第二章


「二番目の理由は自分のためです」
「二番目が自分のため?」
「はい。先輩に告白してみたかったんです。例え振られても、私という存在を先輩に知って欲しかった」
「それは大いに俺を印象づけたのは確かだ。一億円も、意表をついた。それも俺の気を引くための作戦だったってことか?」
「作戦とかそういうのじゃありません。私はただ、お礼として……」
「わかった。それよりも、一番目の理由はなんだ」
 一億円の話になるとまた堂々巡りになるので、この際横に置いといて、俺は一番目の理由が知りたかった。
「一番目の理由は……」
 ノゾミはここで視線を俺から逸らし、ぐっと歯をかみしめていた。
 中々言おうとしないので俺は急かした。
「どうした、なぜそこで黙るんだ」
「これは先輩は知らない方がいいからです。それにまだきっちりと私の中で整理しきれてなくて、言えません」
「おい、ただのお前の理由だろ。どうしてそれが言えないんだ。自分のためよりももっと意気込んだ理由があって、俺に付き合ってほしいと言ってきたんだろ。ここまで勿体ぶった言い方されたら気になるじゃないか。そこまで俺と付き合いたいと駆り立てた理由って一体なんだよ」
「私には色んな複雑な思いが混じり合ってます。一つ一つ理由づけても、それは一部分であって、本当の思いは全てが重なったからこそ、勇気を出して告白しま した。だから分けて考えてはいけないのかもしれません。今、私が先輩の前に居て、そして彼女として扱ってもらっていること自体が奇跡なんです。この奇跡を 起こしたかった。それが総合的理由だと、今気が付きました」
「おい、一体何を言ってるんだ? そんな難しく言われても俺にはさっぱり理解できない。お前と居ると、時々俺は置いてけぼりになるんだけど」
「すみません。どうしても一人で勝手に考えて、自分の中だけで話を進めてしまうみたいです」
 それだ。
 俺はその時、やっとノゾミの不思議さの意味が筋道を帯びた。
 ノゾミは俺に肝心な事を何一つ説明しないで、自分の中だけで行動している。
 ノゾミにしかわからないから、勝手に行動されて俺は困惑しているだけだ。
 その理由がわかれば、この不可解な行動が解明する。
 しかし、ノゾミはそれを言おうとしない。
 なぜだ?
 その時、突然フラッシュバックするように、ある映像がぱっと浮かんだ。
 昨日ちらっと見た、マスクをした男。
 妙に俺の記憶を突いた。
 俺は違和感を覚え、その感情がどこからやってくるのか、今一瞬、何かを思い出したような気になった。
「先輩、どうしたんですか」
 突然ぼんやりした俺の表情がおかしいと思ったのか、ノゾミが俺の顔を覗き込んだ。
「えっ、いや、今、何かを思い出しかけて……」
 それがとても重要な事で、そこにノゾミとの関連があるんじゃないだろうか。
 くそっ、ダメだ。
 引っこ抜かれたように、その部分があっという間に消えていった。
 一体なんなんだ。
 俺は無意識に頭を抑え込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「えっ、ああ、大丈夫だ。なんだか今、お前の一番の理由がわかりかけた気になったんだ。でもそれがすっと抜けて行った」
「えっ?」
「とにかく、お前は何かを俺に隠しているってことだな。それに俺が気が付くとヤバイ。そうじゃないのか?」
「それは……」
「わかった。今は俺も訊かないでおこう。だが、約束の期限、つまりお前が提示する今から三ヶ月後だ。その時、俺に何もかも話してくれないか。この顛末の全てを。終われば話せるんじゃないのか?」
 ノゾミは俺の言葉を体全体で受け止め踏ん張っていた。
「わかりました。その時が来たら、全てをお話しします。ただ、その時、私は……」
「ん? なんだ?」
「いえ、なんでもないです。とにかくその時までは、私を彼女として先輩の傍に置いてくれますか?」
「それは最初に約束した通りだ。だから、こうやって俺はお前を助けに来たんじゃないか」
「ありがとうございます」
 ノゾミはほっとしたように、表情を緩ませた。
 それは素直に嬉しいという気持ちがあったが、俺を見ていた瞳はどこか寂しげに陰りが見えた。
 まだ不安な要素が残っているのだろうか。
 だから俺は、安心させようと再び彼女を抱きしめ、そしてその延長でノゾミにキスをしようと顔を近づけた。
 そうするのが男の本能というのか、俺は自分の意思に逆らえない感情の流れに流されていく。
 学校の中の誰も来ない秘密の場所。
 俺たちだけがここで抱き合い、いけない事と認識しながらもそれを突き破って行動を起こすこの瞬間。
 ドキドキと心臓が高鳴り、知らない事を今から体験するワクワク感が、俺の体を動かすエネルギーとなり、俺はノゾミに欲望をぶつけようとしていた。
 理性というものが頭の片隅で存在しながらも、平気で無視をして、この状況を作り上げたいという、俺の男としての感情があった。
 この時は、思春期の好奇心と約束を交わした事への律儀的な行為だと思っていた。
 色々と言葉を並べてみても、結局自分でもなぜキスをしようとしたのか、はっきり言ってわからないまま、俺はノゾミの顎をくいっと持ち上げた。
 ノゾミの驚きが、喉を反射して小さく漏れた。
 俺たちの唇がそっと重なろうとしていた──
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