第三章


「お待たせしました。ハンバーグステーキです。鉄板が熱くなってます。お気をつけ下さい」
 ウエイトレスがそれを俺の目の前に置くと、ソースが鉄板に滴り、ジューと音を立てた。
「うわ、うまそう」
 素直に喜んでいる俺の向かい側で、ノゾミの姉、ユメがコーヒーカップを手にして俺を見ていた。
「本当にそんなのでよかったの? フレンチのコース料理や日本料亭でもよかったのに」
「俺、これ好きなんです。それじゃ遠慮なく頂きます」
 俺はフォークとナイフを手に取り、ハンバーグに切り込みを入れた。
 俺がそれを口に入れるのを、ユメは微笑んでみていた。
 この時、俺はユメとファミレスの席についていた。
 とりあえず一仕事終わった後の、ユメからのお礼だった。
 結論から言うと、ユメと下北は完全に別れられた。
 それもあっさりと、ユメの方からばっさりと斬ったのだった。
 あの時、下北の態度ですでに察していたが、とどめを刺すように俺がスマホで録音した声を再生すると、ユメはスーパーサイア人ごとく燃え上がった。
 プライドの高いユメは般若の顔つきで睨みつけ、そして「サイテー」と悪態ついて、グーパンした。
 周りを歩いてた人達はびっくりし、沢山の視線が集まったが、男女の痴話げんかと察すると見てみぬふりを装いながら、面白そうにしていた。
 下北は弁解の余地なく、されるがままに大人しく、素直に謝罪する。
 それは男の俺が見ていてもかっこ悪く、いい気味だと溜飲が下がる思いだった。
「あんたね、こんなこと二度とするんじゃないよ。これから子供が生まれて父親になるんでしょ。もっとしっかりしなさい。子供を絶対に不幸にしちゃだめ」
「それじゃ妻には黙っててくれるのか」
 この男は何もわかってないと思った。
 俺が言わずとも、下北はもう一度グーパンを味わされていてた。
「自分の事ばっかり心配してんじゃないわよ。別に許したわけじゃない。見抜けなかった私が情けなかっただけ。これ以上私のような犠牲者を作るなって事よ。バーカ」
 その後は踵を返して歩いて行った。
 俺もすぐ追いかけようとしたとき、下北が話しかけてきた。
「高校生探偵さんよ。お前もいつか俺の気持ちがわかるときがくるかもな」
「はっ? そんなのわかんねぇよ。俺はお前みたいにはならない」
「男はチャンスがあったら、みんなこうなるよ。案外とお前の親父もそうなんじゃないのか」
 恥かしさを紛らわそうと俺に八つ当たるただの悪足掻きにすぎない。
 だが、実際自分の親父はそうであったから、たちが悪い。
 俺はカッとなるも、必死に抑えた。
「俺に八つ当たるのなら、俺もそのお返しをするくらい何の問題もないんだからな。口には気をつけな」
 最後に証拠が入ったスマホを下北の目の前にかざして、俺は踵を返した。
 前方ではユメが背筋を伸ばして怒りながら闊歩している。
 追いかけて肩を並べてユメを見れば、彼女の頬には濡れたものが伝っていた。
 俺は無言で、スマホを突き出す。
 彼女はそれを手にして暫く考えたあと、立ち止まってスマホを操作していた。
「こんなの残してたら運が悪くなるわ」
 そう言って、折角手にした証拠を抹消していた。
 奥さんに告げ口して復讐することだってできたはずなのに、彼女は生まれてくる子の事を考えたに違いない。
 本当は腹が立ってどうしようもない憎悪の渦が湧いているだろうに、敢えて飲み込む。
 潔く忘れようとするユメの態度がかっこよく俺の目に映った。
 俺は頼まれたわけでもなく黙って暫く夢と肩を並べて歩き、ユメにつきあっていた。
 そしてその流れで食事に誘われたという訳だった。
 ユメは今では気を取り直し、俺が豪快に食べてる姿をにこやかに見ていた。
 コーヒーのポットを持ってたウエイトレスが傍にくると、ユメは二杯目のコーヒーのお替りを催促する。
 カップに並々注がれると、砂糖とクリームを入れ、それをゆっくりとかき回し呟いた。
「天見君、色々とありがとうね」
「俺こそ、ごちそうになってますから。得してます」
 さりげなくなんでもない事のように俺なりに気を遣ってみた。
「天見君はほんといい子ね。見かけもいいし、頭もいいし」
「いえ、そんな」
 俺は照れくさくハンバーグを口に頬張り、もぐもぐとしていた。
「ノゾミの事よろしくね。天見君みたいな人にノゾミを理解してもらえて嬉しいわ。あの子、消極的で不器用だから、いつも損してるような子なの。自分よりも人の事を優先して、余計な気を遣い過ぎて空回りしちゃうタイプなの」
「でも、結構踏ん張って立ち向かってはいるみたいですけど」
「常に人の顔色ばかり窺ってるから、なんとかしようとするんだろうけど、そこが却ってうっとうしかったりもする。特に私みたいな者は、ついそれが顔に出ちゃってさ、ついノゾミには意地悪くなっちゃうんだ」
「ノゾミもそれ充分わかってましたよ。お姉ちゃんが怖かったって。でも辛かった時親身になって慰めてくれて、本当は優しいって言ってました」
「えっ? 親身になって慰めた? いつの話だろう。私そんな事したかな。意地の悪い態度取った事は良く覚えてるけど」
 コーヒーを一口すすり、ユメは視線を虚空に向けて思い出そうとしていた。
 もしかしたら、この人は物忘れが激しいのではないだろうか。
 そんなことはどうでもよく、俺は引き続き食事を続けていた。
 だが次の言葉で俺の手の動きが止まった。
「そんな事言うのも不思議だけど、下北が既婚者だっていう事もノゾミが言ったんだよね。今日はなんか後ろから抱きついてきたし、なんだかいつものノゾミじゃなかった」
「いつものノゾミじゃない?」
「ノゾミはいつも大人しく黙ってるような子で、私とは常に距離があった。それは全て私が悪かったんだけど。私がノゾミに嫉妬してたから」
「嫉妬?」
 申し分ない外見で妹より姉の方が絶対目立つのに、姉が妹を嫉妬する理由──この時はまだ不思議に思っていた。
「実は、私とノゾミは異母姉妹なの」
「えっ?」
「私の本来の母と父が離婚して、私は父に引き取られ、というより母に捨てられたの。あの人、父を放っておいて他の男に走ったから。それでその後、父が再婚して、ノゾミが出来たという訳」
 なんだかまた被る話に、俺は飯を食うのも忘れ聞き入った。
「父の再婚相手、ノゾミの母親だけど、その人は私にもとても優しくしてくれた。でもノゾミが生まれてから、なんだか疎外感を抱いて、本当の母親に可愛がら れるノゾミが羨ましくて仕方がなかった。別に意地悪をされたとかはなかったのよ。私にも充分愛情を注いでくれたわ。ノゾミの名前も私が名づけてって言われ て、私がつけたの。私がユメだし、次はやっぱりノゾミでしょ、苗字が叶谷なだけに」
 思わず俺も納得して頷いていた。
「父も私の本当の母親と結婚していた時よりも幸せそうで、念願の店も持つこともでき、ちなみにあの店のデザインは継母がしたの。イラストレーター兼デザイ ナーで、割とメディアにも取り上げられる人なの。何もかもがパーフェクトでさ、何も苦労なくノゾミは生まれて、幸せに暮らし、父親の姿を見て将来自分もパ ティシエになるって夢持ってさ、その父の店の名前もフランス語の『希望』でしょ、自分と同じ名前だから一人で使命感持っちゃってさ、いつもお菓子作りには 必死なの。それで勉強もできて、なんか訳もなく時々嫉妬しちゃうの」
 自虐的に笑いながら、またコーヒーを一口すすっていた。
 俺はそれが自分と大いに重なり、知らずと共感していた。
 それに気を取られて口に入れたハンバーグを中途半端にごくりと飲み込んだ時、思わずむせて咳き込んでしまった。
「あら、天見君、大丈夫? ほら水飲んで」
「げぼっ、げほっ、あっ、大丈夫です。すみません」
 なんだかみっともない。
「ごめんなさいね、急に変な話になって」
「いえ、俺、その気持ちとても理解できます。俺もそうなんです」
 この流れになると、言わずにはいられない。
 俺も異母兄弟がいる事を話した。
 最初はびっくりして聞いていたが、ユメは最後にニコッと微笑んだ。
「そっか、私達なんか似てるのかもね」
 お互い、長年苦しんでいた憑き物が取れたような、そんなすっきりした顔で見ていたと思う。
 同じ境遇の中、ユメと俺はすっかり打ち解けた。
 無理やり巻き込まれてしまったが、結果的にはユメを通じて自分を客観的に振り返る事に繋がった。
 これもまたノゾミにしてやられたような気分だった。
 悪い気はせず、ただ目の前の食事が美味しいと思えた。
「天見君、美味しそうに食べるね。私もなんか食べようかな。父のケーキを一杯食べた後だから、甘いものはもういいやって思ってたけど、また食べたくなってきた。きっと体がもっとスィート(優しく)になれって言ってるんだろうね。天見君もデザートどう?」
「それじゃ俺もお願いします」
 俺たちはストロベリーパフェを頼んだ。
 それが目の前に出て来た時、俺はイチゴのように顔を真っ赤にしたノゾミを思い出さずにはいられなかった。
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