第四章 勝負しろと言われても・・・


 優しい日差しが教室に入り込み、ポカポカとして穏やかな授業中。
 土曜日の半日授業はお昼から解放される。
 それもこの授業で終わり。
 教室はお気楽モードでどこか浮ついていた。
 俺も時計の針を見て、残りの時間を計算していた。
 前日は、とんだハプニングとなり、俺はユメ──ノゾミの姉に付き合う事となってしまった。
 最初は、いい迷惑だと思ったが、全てが上手く行った後では、自分が役に立ったことが誇らしげでもあった。
 下北の行為は許されないが、ユメが終わった事だからと、全てを水に流してしまった後は、俺もいつまでも苛立っても仕方がない。
 反面教師のように、俺はああいう人間にはなりたくないと強く肝に銘じるだけだ。
 出会ってしまった事は、不運で後悔してもしきれないと、過去に戻って出会いをなかった事にしたいとユメは笑っていたが、それよりも戻れるのならもっと遡って、ノゾミを大切にしてやりたいと言い出した。
 自分はいい姉ではなかったと、懺悔でもするように俺に色々とノゾミの事を話してくれた。
 それを聞いていると、まだ会った事もない腹違いの弟の事を俺は考えてしまった。
 俺も一方的に弟の境遇に嫉妬していた。
 でもユメを見ていると、俺にも学べるものがあった。
「いい、いつ後悔するかわからないんだから、今を精一杯大切にしましょう」
 俺も弟を妬んでると言ったから、そんなことを忠告してきた。
「そういえば、ノゾミの他に弟がいるんですよね」
「あら、そんな事まで知ってるの? 私にとったら弟になるけど、ノゾミとは血が繋がってないわ」
「えっ?」
「だから、私の本当の母の息子ってこと。あっちも再婚して、その後弟ができたの」
「そうだったんですか」
「たまに会ったりするけど、弟もかなり複雑な心境で、扱いにくくて大変。でも私とは一応姉弟になるから、継母も父も気遣ってくれて、時々食事に招待して団 らんの場を設けようとしてくれるの。私の本当の母はそれが気に食わないんだけど、弟の方がケーキが沢山食べたいって来ちゃうから、断れなくて」
「ノゾミもそこで気を遣ってるってことですね」
「その通りよ。ほんとに子供って親次第で大変よね」
 やるせなく笑っていた顔が、怒りを我慢しているようにも見えて印象的だった。
 きっと下北の生まれてくる子供の事も気遣っていたのだろう。
 あんな最低な男でも子供が生まれれば父親になる。
 腹は立つが、子供に影響する波風を立てたくなかった。
 この人ならきっとそこまで考えているに違いない。
 俺よりも複雑な環境。
 それぞれの家庭で枝分かれして腹違い、種違いの妹弟がいる。
 でも根本的な部分では俺も同じだ。
 だからノゾミも自分の事のように姉の父親違いの弟を気遣い、何かと手伝おうとしているのかもしれない。
 社交辞令で、セイの問題解決に協力すると格好だけはつけてしまったが、事情を知った今、無視できないものを感じる。
 皆複雑な感情を抱え、自分だけではなかったという妙な安心感もあり、俺は益々ノゾミと係わった事で何かが変わりそうに思えた。
 いや、もうすでに変わったのかもしれない。
 少なくとも俺は今、少し気分が楽になっていた。
 そんなことを考えていると、チャイムが鳴り、授業が終わった。
 
 またノゾミを迎えに教室へ向かうつもりでいたが、俺が教室を出ようとしたときには、ノゾミは出入り口のドアの付近でおどおどとして立っていた。
 それに気付いたが、慌てて行くのもクールに格好つけるのも相応しくないようで、俺は照れくささを感じて、自然を装いおもむろにノゾミに近づく。
 ノゾミはまだ俺を目の前にして緊張していた。
「あの、今日は何も持ってきてないんですけど」
「お菓子はもういいって言ったし、気にすることないじゃないか。でもまた俺が作って欲しいと思った時はリクエストしていいか?」
「えっ、あっ、はい!」
 ノゾミの顔がぱっと明るくなり、瞳を煌めかせ、この上ない喜びを体で感じた力の入った返事だった。
 素直に感情を表すノゾミに、俺はクスッと笑いを漏らした。
 ある程度ノゾミの事がわかると、俺は彼女に親近感を抱いてしまう。
 ノゾミは、見かけは地味で大人しい女の子だが、この時の俺の目には不思議と可愛く映っている。
 まっすぐに見つめる目。
 儚げな風貌。
 清純な心。
 恥かしがり屋ではあるのに、強い信念を持って一生懸命に全力でぶつかろうとする。
 時々何を考えているのかわからないが、それもまた余興として興味深い。
 俺は徐々に彼女に心を許しつつあるのかもしれない。
 でもまだ、俺はそれを彼女に伝えられず、どこかで粋がってカッコいい自分を演じていた。
 自分もノゾミを迎えに行こうとしていたのに、つい俺は気取ってしまう。
「それで、何か用か」
 なんでもっと俺は気の利いた事を言えなかったのだろう。
 例えば「俺も今迎えに行こうとしてた。来てくれて嬉しいよ」とか。
「あっ、あの」
 案の定、ノゾミはまたオドオドしてしまった。
 視界に江藤のニヤニヤした態度がこの時目に入った。後で上から目線で説教されそうだ。
「とにかく、ここではアレだから、場所を変えよう」
 俺が先に廊下を歩けば、ノゾミは小走りに近づき俺の横に並んだ。
「天見先輩、昨日姉がどうも失礼しました。姉から何があったか全部聞きました」
「こっちこそごちそうになったし、俺は得したけどな」
「姉も先輩のお蔭で助かったってとても感謝してました」
「いいお姉さんじゃないか」
「はい!」
 ノゾミは満足そうにしっかりと返事した。そこで勢いづいて俺に問いかけた。
「それで、あの、今日お時間ありますか」
 もちろんある。
 俺の方がデートに誘うつもりでいたくらいだ。
 先に越されると、自分がしっかりしていないようで悔しい。
 俺はどうしても自分のメンツにこだわって、自分で視野を狭めて息苦しくなる。
「どうした、なんかあるのか」
 ほらまた──
 自分でもわかっているのに、体はふんぞり返って偉そうだった。
「あの、お忙しいのでしたら、また今度でもいいんです」
 俺はノゾミの息込みに水をさしてしまった。
「だからなんだよ。はっきりと言え」
 脅してどうする。
「あっ、あの、実はセイ君の事なんですけど」
「はっ? セイ?」
「はい、これから一緒に会って貰えませんか」
「弟だったよな」
「いえその、ちょっと訳ありで、私の弟って訳じゃないんです」
「ああ、わかってるよ」
「えっ?」
 ノゾミは驚いていたが、俺は何でもわかってるとつい大きな顔をしてしまった。
 俺の態度にノゾミはまたうろたえ困惑していたが、込み入った話だからさらりと流してやった。
「とにかく、その、セイに会ってどうしろというんだ?」
「そ、それは、セイ君が天見先輩と話をしたいと言っていて、先輩にもセイ君をちゃんと紹介すべきだと思ったんです」
 なぜセイが俺と話をしたいのか。
 セイはユメの異父姉弟で、ノゾミとは血の繋がりはない。
 しかし、一緒に過ごす機会があったから、それで年があまり変わらないノゾミに恋心をいつしか抱き、俺に嫉妬しているのかもしれない。
 それに俺も手助けすると言ってる以上、会うのが筋というものだ。
「いいだろう」
「ありがとうございます。でも、あの」
「まだあるのかよ」
「セイ君にはどうか気を付けて下さい」
「えっ?」
「いえ、多分大丈夫だとは思います。でも念のため」
 自分から言ってきたものの、ノゾミはどこか乗り気ではなさそうに、憂いを帯びていた。
 余程扱いにくいのかもしれない。
 セイと会った時、俺を睨んでいたあの目つき。
 それを思い出すとハッとする。
 ノゾミもその後は考え込むように黙りこくっていた。
inserted by FC2 system