第五章
3
案内された先は、駅からそんなに離れていない場所にあった。
高層マンションと呼ばれるビルのエントランスに躊躇なくノゾミが入って行く。
俺は委縮して後に続いた。
「セイってもしかして金持ちのボンボンなのか」
俺がそんなことを訊いている間に、ノゾミはスタスタとフロントデスクへ進む。
中はホテルのように、そこには身なりがきっちりとしたコンシェルジュという男性が俺たちを迎え入れた。
物腰は柔らかいが俺たちを見る目が鋭い。
ノゾミが訪れた趣旨を述べれば、手順にそってセイに連絡をつけ、モニターを通じて俺たちの確認を取った。
その後はセキュリティカードを手渡され、そしてエレベーターに向かえと指示を出された。
すでにドアが開いており、それに乗りこんでノゾミが操作部分にセキュリティカードを差し込んでから、階のボタンを押すと、それは作動して上昇する。
ビジターは住居者から許可をされても、勝手に他の階へいけないような仕組みになってるらしい。
不審者がマンションに入るのを防ぐシステムはすごいと感心する反面、もろ金持ちの住まいじゃないかと俺は羨ましいものを感じた。
上昇していく間、俺たちは無言になる。
ノゾミは階を表す部分をひたすら見ていた。
チンと軽やかな音がなり、ドアが開く。
ノゾミはすぐさま降りると、迷わずにその近くにあった玄関先へ足を向けた。
よく見ればドアはすでに開いていて、そこからセイが覗いていた。
セイは面映ゆいように、すぐには笑顔を見せられず、まだ気まずさが残っているようだった。
「お前、すごいとこ住んでんだな」
「ここは仮住まいだから」
「はっ? 仮住まい?」
訳がわからないまま、家の中に案内され、靴を脱いで上がりこめば、俺の住まいとは全くランクが違っていた。
廊下を真っ直ぐ突き抜けるとダイニングキッチンとリビングルームが一緒になり広々している。
テレビも大きく、その前にはソファーもあり、家具も深みのある色で統一され、つややかに光っていた。
だが、あまりにもきちんと整い過ぎて余計な物がなく、生活している気配が感じられない。
家の様子に驚いている俺のために、セイは家の中を全て案内する。
ベッドルームが二つ。
一つはセイの部屋で、多少の乱れはあるが、置いてる家具はここも統一感があっていいものだった。
もう一つは当然親の寝室だと思ったが、家具が揃えられて見た目はいいが、使用している様子が感じられない。
トイレ、浴室は掃除が行き届き、とてもきれいにしてあった。
リビングの掃出し窓から通じる広めのベランダは、街のいい眺めが見渡せ、ここがかなり高い場所であるのがよくわかる。
外を見つめていると吸い込まれていきそうにちょっと身震いするくらいだった。
「とてもいいところに住んでるんだね」
ノゾミも違和感があるだろうけど、場所的には申し分ないから、礼儀として褒めていた。
一通り案内された後、ダイニングテーブルに集まり、そこで勉強をすることにした。
「なんか飲む?」
セイはキッチンに入り訊いた。
そこはオーブンまで備え付けられ、カウンタートップも大理石になっていて、まるでレストランが始められそうな本格的な厨房だった。
冷蔵庫から色々とペットボトルを取り出し、俺たちの前に見せ、俺もノゾミも一つ貰う事にした。
セイから手渡されたペットボトルを礼を言って受け取り、俺たちは長方形のテーブルに着いた。
俺とノゾミが向かい合い、セイは主(あるじ)に相応しく議長席のように一番端に座った。
「さっき仮住まいっていったけど、どういうことだ」
俺は鞄から本や筆記用具を取り出して、何気に訊いた。
「ここは、勝手に父が買った場所で、資産の一つみたいなもの。それを俺が借りてるって訳」
「家を複数持つのも驚くけど、セイは一人でここで住んでるのか?」
「そういう事になるけど、毎日お手伝いさんが来て食事の支度や身の回りの世話はやってもらってる。様子を見にたまに母もくるけど、気が散るからあまり来るなっていってる」
「お前、相当金持ちなんだな」
ユメの母親はパティシエの旦那との離婚後は玉の輿に乗ったのだろうか。
そんなことは俺の知った事じゃないから、詳しく訊いてもみっともない。
ノゾミも俺が何か言い出すのではないかとハラハラしている。
セイが闇を抱えてるだけに、両親の話はするものではないと俺は空気を読んだ。
「とにかくだ。環境は整ってる。早速勉強を始めよう」
まずセイの実力を知るために、俺は家から用意した数学の問題集をセイの前に差出した。
「俺が中三の時に参考にしたものだ。あれから時は経ってるけど、基本的なことは変わらないはずだ。まずはセイの実力を知る事から始める」
「わかった」
勉強を教えて欲しいとセイは自ら頼んだだけに、とても素直に言う事をきく。
セイが問題を解いている間、俺とノゾミはできるだけ静かにしながら、自分たちの勉強を始めた。
自分のあの狭い台所と違い、ここは天井も高く開放感がある。
図書館のような公共の広がりきった空気でもなく、ただ静かに落ち着けるものがあった。
聞こえるのは外の風の音。ノゾミが時折本に触れてページを捲る音。そしてセイがシャーペンを走らせる紙が擦れた音。
そしてそれも、集中力が高まると気にならなくなった。
ふと考え込んで、視線をリビングルームに向けると、この部屋の金持ちらしさを再び認識した。
お金には恵まれているのに、セイは思いつめる程満足していないのが贅沢に思えてきた。
この時は、そう思わないようにして、自分の中の嫉妬という部分を否定していた。