第七章 願いが叶うケーキとは・・・


 プチ家出も朝帰りも初めての事だった。
 一夜明け、過ぎ去ってしまえば、俺の中ではある程度の諦めもつき、落ち着いていたのだが、母はそうではなかった。
 ドアを開けた時、母は椅子から立ち上がり、悲壮な顔つきを俺に向けた。
 目が赤くなっているところを見ると、泣き続けていたのだろう。
 何かを言おうとしているけど、敢えてそれを抑え込んで口元を震わせている。
 一晩でやつれた母の姿を見ると、俺は罪悪感にさいなまれた。
「ただいま」
 昨夜の事がなかったように、俺は振る舞う。
「おかえり」
 母も必死に俺に合わそうとしていた。
 俺がどこに居たか、何をしていたか、それを訊くのが怖いのか、それとも訊かないようにしてるのか、不気味なほど沈黙が続き、母はただお茶の用意をしていた。
 こんなじめっとした蒸し暑さの季節に熱いお茶は飲みたくなかったが、母が何も言わずに俺の分を用意すると、俺はテーブルについて、それを受け取る。
「お腹空いてない?」
 おれは首を横にふり、湯飲みを手にして、一口すすろうと口元に持って行く。
 意外にもそれはぬるくて、母らしからぬ淹れ方だった。普段はもっと熱いのに。
「今日は遅番なの?」
 俺が仕事の事を聞くと、母は頷いた。
 俺はぬるいお茶をすすり、虚空に視線を漂わせながらセイの事を話した。
 母はびっくりしてたが、やがてそれは溜息に変わり、落胆したようにうなだれた。
 俺がずっと異母兄弟と会っていたことや、知らなかったとはいえ、勉強を手伝っていたことは受け流せても、セイの名前が『青一』だというところが気に入らないと強く憤りだした。
「広崎にとったら二人目の息子の癖に。何が『一』よ。そこは『二』でしょ」
 どこかで憎しみが燻っていて、自分の息子が蔑(ないがし)ろにされたように受け取った。
 そういう細かい事を一番気にするところに、俺は「プッ」と笑ってしまった。
 俺も同じところに腹を立てたからだった。
 やっぱり親子だ。
 俺が笑った事で空気が変わった。
「そんな事を気にしても仕方がないわよね。私はすでに離婚して広崎とは関係ないんだから。やっぱり嶺はあんなところに行かなくていい。自分の好きな道を進んで欲しい。あなたの好きなようにしなさい」
 ぬるいお茶を、一気に飲み干しそれを力強くテーブルに置いた。
 母は何かが吹っ切れたように、表情が晴れやかになっていた。
「ところで、昨晩はどこで泊まったの?」
 俺は飲んでいたお茶をブーって吹きそうになった。
「友達のところ……」
「ふーん」
 無事に帰って来たからそれで良しとしたのだろう。特に問い質したりしなかった。
 別に俺も疚しいことはないけども、やっぱり正直には言えなかった。
 母との問題は解決し、特にセイも父親も、何も言ってこなかったので、終わった事だと排除した。
 今一番気がかりな事はノゾミのことかもしれない。
 期末が近付いてきているから、ノゾミは俺の邪魔をしてはいけないと思い、俺に会いには来なかった。
 時々放課後になると、教室の入り口で覗いているんじゃないかとふと期待してしまう。
 俺も会いに行けばよかったんだろうが、三者面談があったり、今後の事をどうするか岐路に立たされ悩んでいるうちに、期末テストがどんどん近づいて、会いに行く余裕がなかった。
 タイミングが悪かった。
 そうしているうちに期末が始まり、それが終わるまでは会えず仕舞いになってしまった。
 ノゾミとの契約の期限まで、期末テストが始まったこの時点で残りあと2週間──
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