第七章


 ノゾミは両手にビニールバッグを下げ、疲れた足取りで部屋に入って来た。
 そこで俺を見るなり、跳ね上がるほどびっくりしていた。
「よぉ、邪魔してるぜ」
「あ、天見先輩、どうして、えっ、えっ?」
「なんか成り行き上こうなってしまって……」
 俺もどう説明していいかわからない。
「ノゾミ、一体どこに寄り道してたの? なにその荷物?」
 志摩子がノゾミから一袋奪って中身を覗いた。
「あら、小麦粉、生クリーム、ゼラチン、コンデンスミルク、家にもあるじゃない」
「でもそれはお店のだから」
 もう一つの方にはイチゴが入っていた。
 袋から赤い粒ぞろいの物が見えている。
 これはどう見てもお菓子作りの材料だった。
 学校帰りに寄り道して、これを買いに行って遅くなったらしい。
「あっ!」
 ノゾミが急に慌てだし、ローテーブルの上にあった自分のスケッチブック目掛けてダッシュしてひったくると、顔を赤らめて志摩子に怒っていた。
「どうして、これを天見先輩に見せてるのよ」
「だって、あなたが早く帰ってこなかったから、退屈しのぎに、見て貰ってたのよ」
 ノゾミはスケッチブックを抱きしめ、俺をちらっと見た。
 もっと絵の上手さやアイデアに自信を持っていいと思うが、そのケーキのイメージをふくらまそうとして、単純に絵だけじゃなく、所々にハートマークがとびかったり、ポエムらしきものも入っていたのを気にしているのだろう。
 そして『レイLove』という落書きも実は目についていた。
 俺はそのことには触れずに、とても素晴らしいアイデアだったと称賛した。
 娘が帰ってきた気配を感じて、ここで父親が入って来た。
 何でもない事を装いながら、体の動きはぎこちない。
 俺をチラチラみながら、ノゾミに説明してほしいと催促している。
 その前に志摩子が俺の事を紹介した。
「こちら、天見未那子さんの息子さんで天見嶺さんよ」
「えっ、天見さんの息子さんか。これはこれは、いつもお母さんにはお世話になってます」
 こうなると俺も立ち上がらなければならない。
 「いえいえ、こちらこそお世話になってます」とお決まりの挨拶を返した。
 俺の正体がわかったとたん、ノゾミの父親は安心し、仕事場へ戻って行く。とても分かり易くて、俺は却って気に入った。
 娘を持つ父親というのも大変なのかもしれない。
「それじゃ私も仕事があるから、上にあがるね。天見さんゆっくりしてって下さいね」
「ありがとうございます。それとサンドウィッチ、とても美味しかったです」
 志摩子はおっとりと笑って、鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。
 俺は一体何をしてるのかわからなくなって、緊張感が抜けるとソファーにもたれかかった。
「うちの両親が色々と天見先輩に詮索したみたいですね。すみません」
「でも、うちの母がこの店の常連だとは知らなかった。お前は知ってたのか?」
「はい。それで天見先輩とは以前一度会ってます」
「本当か、いつの話だ?」
「昨年……」
 俺は腕を組んで考えた。全然覚えてない。ノゾミは俺の思い出せない様子に少し寂しそうにしていた。
 いつまで考えても記憶になく、またノゾミもはっきりと教えてくれず、俺は居心地悪くなり、話題を変えた。
「おい、ケーキの材料、生ものもあるし、冷蔵庫に入れなくていいのか?」
「あっ、そうでした」
 ノゾミは材料を袋から取り出し、要冷蔵の物を冷蔵庫に入れていた。
「また、ケーキを作るのか? もしかして俺に作りたいと言っていたケーキか?」
「そうです。今度は父の物を一切使わず、自分の買ってきた材料で作ります」
「それは幸せを呼び込む、願いの叶うお前のオリジナルケーキなのか? レスポワールのろうそくつけて」
「はい、そうですけど、どうして知ってるんですか」
「だって、ここのケーキは願いを叶えるって訊いた事あるから」
 ノゾミの顔がぱっと晴れた。
「なんなら、今から作っていいぞ。俺、ノゾミがケーキ作ってるところがみたい」
「えっ、そんな」
「それか一緒に作ろうか」
 俺にしてはメルヘンチックな提案で、ちょっとムズムズしてきて恥ずかしくなった。
 でも、ノゾミの驚いた顔を見るのは大いに楽しかった。
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