第八章


 夏休みの始まりもカウントダウンになって来た頃、休み中、受験勉強をどうするのかという話が耳に入ってくる。
 予備校の夏期講習を受ける奴がちらほらといる。
 オープンキャンパスに足を運んで、受験勉強のモチベーションを高めるという奴もいる。
 皆、それぞれの進路を真面目に考えていた。
 6月に父と会った事が転機となって、俺も大学受験する意向を担任に伝えた。
 俺は自分の意思でそう決めた。
 期末テストもいい結果を残せたので、後は自分の頑張り、運次第の受験戦争が始まる。
 だがまだ医者を目指すべきか悩んでいる。
 一応そのつもりで受験勉強をしろとは担任に言われたが、本人が迷ってるうちはこのままでは医学部に合格するなどとうてい無理だろう。
 かといって、大学で何を勉強したいか、具体的に決まってないので、受験先で悩んでいる。
 ノゾミは軽々しく、医者になれといってくれるが、その陰に父の姿とセイがちらつき、素直にめざせないモヤモヤをを感じる。
 広崎家には負けたくないと思いつつも、そこで競争心を持って勉強する虚しさも嫌だった。
 やっぱり、こういう時はノゾミに会いたくなってくる。
 誕生日のプレゼントも用意ができてるし、渡せるその日が楽しみでたまらない。
 その時まで告白するのを取っておくのもヤキモキする。
 ノゾミから、付き合い終わり宣言を食らった後では、今俺は友達扱いなのだろうか。
 そんな事関係なしに、放課後俺はノゾミに会いに行った。
 するとまた休みだと言われ、もしかして、また旅行なのかと疑ってしまう。
 どうしようかと悩みつつ、やっぱり家に訪ねる事にした。
 レスポワールのお店はその日とても暗く見えた。
 店内の電気が消えている。
 出入り口のドアの取っ手の部分には『fermé』といる看板が掛けられている。
 これは英語で言う『closed』のことだろうか。
 定休日なのかもしれない。
 今度は玄関先に回り込み、そこで呼び鈴を押した。
 ほんわかする笑顔で、志摩子がでてくる姿を思い浮かべていたが、一向に応答がない。
 もう一度呼び鈴を押しても、やっぱり誰も出てくる気配がなかった。
 留守? もしかして家族で旅行にいったのではなかろうか。
 誰もいなければしょうがないので、俺は残念な気持ちで帰った。
 そして次の日、しつこくノゾミの教室に行けば、今日も休みと知らされた。
 やはり家に寄れば、この日もレスポワールは昨日と同じままに閉まっていた。
 来週は終業式を控えて、その後は夏休みが始まるから、早めに休みを取って、本当に旅行にでかけたみたいだった。
 俺が帰ろうと来た道を戻ろうとしたとき、後ろから車の気配を感じ、振り向けば、一台の車が店の駐車場に入って行った。
 もしかしたらと思って、引き返したら、車の中から出てきたのはユメだった。
 俺は久しぶりに会えることが嬉しくて大声で名前を呼んだら、ユメは真っ赤な目で俺に振り返った。
「天見君……」
「ユメさん、どうしたんですか。何かあったんですか」
 俺を見るなり、涙腺が緩んで泣き出した。
「ノゾミがノゾミが」
「ノゾミがどうしたんですか」
 ユメは耐えきれずに、俺に抱き着いて来た。
「……ノゾミが死んでしまったの」
「えっ!? 死んだ? 嘘」
 俺の頭の中は真っ白になった。

 俺は今、自分の家に戻りテーブルについている。
 ユメは、今から家族の時間になるからそっとしておいてほしいと、俺をその場からソフトに追い出した。
 ユメも気が動転しており、これからノゾミを家に迎えるための準備があるために、一足早く病院から戻ってきたところだった。
 今日は仮通夜になり、明日の夕方以降から通夜になるからと、その時に来てほしいと言った。
 ユメも詳しく説明できず、ただ死因だけを教えてくれた。
 ノゾミが死んでしまった原因──急性白血病。
 前日に急に意識がなくなり病院に運ばれ、そのまま帰らぬ人となってしまったとユメは言った。
 それを言うのが精一杯で、あとは察してほしいと、家の中へと入って行った。
 ここにいれば迷惑になると思い、重い足を引きずるように帰ってきたが、俺は、これが現実だと受け入れられない。
 何かの冗談のように、「嘘でした」とユメもノゾミも面白半分に舌を出して仲良く笑ってる姿が目に浮かぶ。
 信じたくない。
 ノゾミは死んでなんかいない。
 その時色々と頭に浮かんだ。
 ノゾミが常に鼻血を出していた事、手足の青痣を良く見かけた事、疲れた表情を良くしていた事、体調が悪くふらつきがあった事。
 それらは白血病の兆候としてよく現れる。
 なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。
 急性白血病は放って置くと確実に死に至る。
 稀に気づかずにいることもあり、そんな時、突然体調が崩れてあっという間に命を落としてしまうこともある。
 ノゾミはまさにそうなってしまった。
 兆候は一杯出ていたのに、俺だってそれくらいの知識はあったのに、なんで気づいてやれなかったんだろう。
 俺はまだこれが悪い冗談にしか思えず、頑なに信じたくなかった。
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