第八章


「嶺、また来てくれるなんて嬉しいよ。あの時、怒って帰ったから、父も俺も心配してたんだ」
 俺はまたセイの所へやってきてた。
 セイは俺を歓迎し、喜んで家にあげてくれた。
「セイ、聞きたい事がある」
「何?」
「どうやって、ノゾミと知り合ったんだ?」
「それは…… ごめん、いいたくない」
 確かノゾミも、口を重くして忘れたと言っていた。
「頼む、教えてくれ。どうしても知りたいんだ」
「あの時、偶然ノゾミに助けられたとしか言えない」
「偶然? 違う、それは偶然なんかじゃない。必然だ。頼む、教えてくれ」
「じゃあ、ノゾミに直接聞けばいいだろ」
「それができないんだよ」
「ノゾミもやっぱり言いたくないんだよ」
「違う! ノゾミはもうこの世に居ないんだ」
「はっ!なんだって。馬鹿な冗談はやめてくれ」
「冗談だったらどんなにいいか」
 俺の悲痛な顔に、セイの顔が強張った。
「嘘、嘘だろ。本当にノゾミは死んだのか? 何があったんだよ」
 俺はノゾミの病気の事を教えてやった。
 それを訊いてセイはショックで椅子に座りこんだ。
「信じられねぇ。ノゾミが死んだなんて……」
 セイは泣き出した。
 視線を虚空に漂わせ、震えるほどに嗚咽を漏らした。
「セイ、何を聞いても驚かないと約束するから。ノゾミと出会った時の事を教えてくれ」
 セイは唇をわなわなさせて、ゆっくりと俺に視線を向けた。
 諦めがついたように、セイは話し出した。
「あの日、俺はどうかしてたんだ。お父さんが、嶺を広崎家に引き取りたいと弁護士と相談してる所を聞いてしまった。嶺の方が俺よりもデキがいいから、医者 にして広崎家の跡取りにするつもりだと話してた。俺だって必死に勉強してきたけど、お父さんは俺には無理だって諦めたんだ。いつも嶺と比べられて、どうし ても越えられなくて、それでその時我慢できなくなって嶺を刺してやるって血迷って、包丁を持って嶺のマンションの前をうろついてたんだ」
「えっ」
 ショッキングな事に俺は喉から反射した声が漏れた。
「そしたら、突然ノゾミが現れて、俺の腕を取ったんだ。それで引っ張られて、連れていかれて、何度も『ダメ、絶対後悔する』ってすごい剣幕で言うんだ。俺 も何度も『離せ』って叫んだけど、食らいついて絶対離さなかった。あんな細い体で必死で俺を止めてさ、それで切羽詰まって思いっきり俺の頬をぶったんだ。 それで我に返った」
「それ、いつの話だ?」
「4月17日」
「なんだって」
 俺をエレベーターに押し込んだ時じゃないか。俺はあの時の事を思い出す。マンション前に立っていた男を確かに見た。
「お前、あの時、大きなマスクしてた?」
「うん、してた」
 やっぱり、そうだ。あの時、ノゾミはセイを見つけて、俺をエレベーターに押し込んだ。
 あの不可解な行動はこれだったんだ。
 やっぱりわかってやってたことになる。
「マンションの前に居た時、すでに包丁を手にしてたのか?」
「ううん、鞄に入れたままだった」
「だったら、なぜノゾミはお前が俺を刺そうとしてたのがわかったんだ?」
「俺もそれが不思議なんだ。でも、必死に俺が後悔するって、沢山の人が悲しむからって言ってた。嶺がどんな人物か先に知った方がいいって、俺と嶺を会わす 約束をしてくれた。ノゾミも、嶺の事が好きだから絶対に傷つけたくなくて、お願いだから馬鹿な事は考えないでって、何度も頼んできた」
「それで説得されて、とりあえず、俺に会ってみたり、試合を挑んだりしてきたのか」
「うん。だけど、ノゾミは正しかった。俺、もう少しで取り返しのつかない事をするところだった」
 俺はもう少しで刺されていたのか。
 刺された時の事を想像し、腹を押さえた時、俺は何か違和感を抱いた。
 その時の映像が一瞬頭に流れ、赤い血のイメージが広がった。
「あっ!」
「どうした嶺?」
「俺、もしかして、一回刺されてるんじゃないのか?」
「はっ? ありえないって。俺、ノゾミに止められて、やってないって。やってたら、嶺、今死んでるだろ」
「俺が死んでる?」
 俺は考え込んだ。考えて、考えて、考えた。
 その結果、導いた答えは、どこかで過去が修正された可能性だ。
 そう思ったとたん、ノゾミの行動の全てが意味を成して繋がってくる。
 ノゾミはわかってた。わかってたから、それを正そうとして、新たな世界に作り変えた。
 それは俺が殺されないように、生き続けている世界。
 俺は本当は刺されて死んでいたんだ。
『私、とても辛くて悲しくてずっと落ち込んでたことがあったんです。その時、姉が相談に乗ってくれて、私を慰めてくれたんです。それで初めて姉の優しさに気が付きました』
 ノゾミが姉の優しさに気付いたと言ってた時のエピソードは、俺が死んだあとの事に違いない。
 だから、姉の彼氏の事もその時に知った。
 宝くじの番号も、たまたま俺とノゾミの誕生日と事件が起こった日付だったから、それで印象に残って覚えていた。
 自分が急性白血病になる事もわかってたんだ。
 そしてノゾミは事前にそれらが起こる以前にタイムリープした。すべてを書きかえようとして──
 そんな事が本当にあり得るのだろうか……
 だけど、もしノゾミが俺を助けたいと願ってあのろうそくを使ったとしたら。
 願いが叶う魔法のろうそく。
 それが本当に起こって、それで自分が白血病で死ぬ前に、後悔のない人生を送ろうとして、俺に告白してきた。
 そう考えると全てが当てはまる。
 なってこった。
 自分が白血病とわかってたなら、なぜ病院に行かなかったんだ。
「ノゾミ!」
 俺はこの時初めて涙を流して泣き叫んだ。
 なぜもっと、もっとノゾミに優しくできなかったんだ。
 後悔してもしきれない。
 傍で、セイが黙って俺の背中をさすって慰めてくれていた。
 俺はそれに甘んじてノゾミを思って泣き続けた。
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