3 プロムでの出来事
高校生活が終わりに近づくと、学校が主催するプロムと呼ばれるフォーマルパーティがある。
僕も一応参加したが、一緒に行ってくれる女の子を見つけるのは困難だった。
人気のある女の子達は、あっという間に誘われて、僕がいいなと思った女の子の全ては、すでに相手が決まっていた。
別に恋人同士になろうというものではなく、ただ相手を見つけて一緒にパーティに参加するだけのものである。
消極的な僕にとって、誰かを誘うというのは苦手で、また女の子にちやほやされるような風貌でもなかったため、ああいう企画は困ったものだった。
パーティに参加できるなら誰でもよかったので、適当にその辺にいた、だれからも声が掛かってない子を誘った。
お世辞にもとびきり綺麗な女の子とは言えなかったが、気さくな感じの元気で明るい女の子だった。
女の子を吟味するほど、僕も言えたような立場ではないが、こんな僕からでも誘われて嬉しそうにOKを出してくれたのは、気持ちがよく好感が持てた。
パーティ自体は、高校生最後の日の思い出作りのために、ただ楽しむものであり、これから思い思いの場所に旅立っていく同級生達と最後を一緒に過ごせる集まりでもあった。
男女一緒にペアになっても、それは健全で、教師や親も許可をする公然のデートにもなる訳だが、プロムのパーティ後と言うと、それは生徒次第で変わってくる。
その後もグループになって、夜通し一緒に過ごすものも居るし、カップル同士二人っきりを楽しむものもいる。
大体の相思相愛のカップルは、人気のいないようなところで夜景を見ながら車の中で愛を誓い合うというのか、いちゃいちゃとする傾向ではあるが、ノリで一夜限りそうする者もいる。
僕はまさにそのノリで一夜を過ごした者だった。
一応僕もお決まりのように彼女とそういうとこへ行ったが、好きでもない女の子とそういう事をするのは躊躇ったし、第一に慣れてなくてどうしてよいかわからなかった。
でも彼女は違って、大胆なのにはびっくりだった。
彼女の方からキスをしてきたかと思うと、いきなり押し倒された。
それは立場が反対じゃないのかと僕は茫然自失気味に、彼女のなすがままにされていた。
興味がなかったと言えば嘘になる。
思春期の男児がそんなことされて理性を保てる訳がない。
それが僕の初体験になってしまった。
こういう事になったのは僕だけではないと言える程、何組のカップルも同じような事をしていたに違いない。
もちろんただのダンスパーティを楽
しんだだけのカップルも大勢いただろうけど。
そう言うことを知っているだけに、エレナがプロムに誘われて他の男性と僕がたどったような道に行ってしまったらと思うと、どこか落ち着かない気分だった。
エレナは最初プロムには行くつもりはなかった。
それは着ていくドレスがなかったからだった。
プロムは高校生の最後のイベントで華やかであるが、お金もすごくかかる催しだった。
女の子はこの日のためだけに結構値の張るドレスを用意する。
男の方と言えば、相手に送るコサージュと自分のタキシードを用意する。
めったに着ないものなのでレンタルするのが主流だが、それでもお金はかかる。
お金に余裕があるものはリムジンをチャーターしたりと、女の子のために演出をする。
エレナがプロムに参加する気になったのは、突然エレナの手元にドレスが届いたからだった。
そのドレスを送ったのは誰かと聞いたが『足長おじさん』と答えが返ってきた。
今思えばライアンの父親、アレックス・スタークがプレゼントしたのだろうと思う。
僕はどんな奴がエレナとプロムに行くのか気になった。
だからプロム当日、相手がエレナを迎えに来る前に施設に出向いた。
そこで僕はエレナをいつもと違う目で見ている自分に気が付いた。
今まで一緒に居て当たり前の妹的な存在だと思っていたが、気づかずのうちにエレナは自分のものだと思っている節があった。
だから他の男と出かけると聞いたとき、思わず取られたくない感情が突然降って湧いた。
そして何よりも、エレナのドレス姿には正直目を見開いて驚いた。
肩が露出して胸の辺りも膨らみがくっきりとして谷間も見え、さらに体にそった丸みのある線がはっきりとでるすらっとした白のドレスは、男の本能をくすぐる色気が出ていた。
髪をアップにまとめ、普段とは違うエレナを目の前に見たことで、一人の女性として見ている僕がいた。
誰が見てもエレナは高貴のバラのごとく美しかった。
それは眩しく輝くほどに、モデルになれるくらいに、存在感を増していた。
いつのまに女らしくなったんだと驚いて、僕はその姿を見たとき、一瞬息を飲んで何も言えなくなった。
僕はこの女性といつも一緒に過ごしてきたことを急に自慢したいような、僕が一番近い存在だとうぬぼれるような、この先もずっとエレナと一緒に居ることが当たり前で僕のものと主張する欲が心から溢れてきていた。
そんな時に、エレナを迎えに相手がやってきたことで、僕は我に返り、そして危機感を簡単に抱いていた。
ジェフと名乗るそのエレナのプロムの相手は、僕の想像とはかなり掛け離れていたタイプだった。
僕はもっとまじめで、大人しく誠実そうな男を勝手に想像していた。
ジェフは男から見てもハンサムとわかるくらいの風貌で、スポーツでもやっているのか、体が筋肉質でがっちりとしていた。
どう見ても学校でポピュラーな部類に入るような男であった。
僕はジェフの顔を見るなり気にくわなかった。
何よりも女の子と遊び慣れしたような態度が感じられるのが一番嫌だった。
エレナがこういうタイプが好みとは思えなかった。
いや思いたくなかった。
そしてこういうタイプは、手が早く、必ず女の子にちょっかいを出すのも見えていた。
僕はエレナが心配でたまらなくなった。
それなのに、エレナはジェフを目の前にして、微笑んでいる姿に、僕は知らずと拳を作って力をこめて震えていた。
それこそ、強い嫉妬と取られたくない恐れが一度に降りかかり、僕はどれほどエレナを好きだったのか、ここで初めて思い知らされた。
あまりにも当たり前に過ごしてきた日々だったが、エレナが一気にさなぎから蝶になったことで、その美しさが僕の本能を目覚めさせた。
僕の領域の中にしか居ないと思ったエレナは、この先僕から離れてどこかへ行ってしまうのではと不安にさせた。
それは危うい状態となり、僕の気を狂わし、僕は自分のものを奪おうとしているジェフに腹が立って仕方なかった。
だから、紙に携帯の電話番号を書いてエレナに耳打した。
半ば警告する気分だった。
「いいかい、くれぐれも気をつけるんだ。もし困ったことがあったら電話しておいで」
エレナはキョトンとした感じだったが、『ありがとう』と一言言っ
てその紙をバッグにしまった。
願わくは、無事に何事もなく今日一日が終わることを僕は祈った。
エレナの事を心配している間、僕はどれだけエレナが自分の人生に入り込んでいたか改めて想起していた。
この先、エレナが自立して施設を出て自分の前から消えてしまうと考えたとき、僕は危機感を覚えるほどにうろたえた。
そしてこの日、美しく成長したエレナの姿を見たことで、僕はエレナが欲しくなった。
離れたくない、このままずっと一緒に居たいと思う気持ちが熱く吹き出るマグマのように心に溢れていた。
そんなとき、携帯の電話が鳴り、僕ははっとした。
「まさか、エレナ」
僕はすぐに携帯を手に持ち、ディスプレイの非通知の文字を見てから、恐れる気持ちを抱いてそれに応答する。
震えるような声が僕の耳に届いた。
「…… カイル」
やはりエレナからだった。
「エレナどうしたんだい」
できるだけ平常心を装うとしたが、僕の頭には最悪の状況が想像され、心配で落ち着かない。
まさか、本当に困るようなことをジェフがしたのかと思うと、いてもたってもいられなかった。
電話から届く声はか細く震えている。涙声にも聞こえた。
いつものエレナの様子ではない事を感じ取り、僕は車のキーをすでに手にとって家の外に向かっていた。
「エレナ、いいかい今から迎えに行く。待ってるんだ」
エレナの居場所を聞けば、そこは自分の家からさほど遠いところではなかった。
しかも夜景が見られる場所だということがすぐにわかると、エレナもまたプロムの後のお決まりのコースにいたことが伺える。
それだけにもしかしてと不安が募った。
エレナを見つけた時、僕は露骨に目を見開き呆然とした。
アップにしていた髪は乱れ、ドレスの細い肩紐が片方無惨にもちぎられていた。
そしてドレスの裾から太股あたりにまでスリップが入ったように破れていたのも驚いた。
どう見てもアイツが襲ったのがはっきりとわかるような姿であった。
僕は怖くて何も聞けなくなってその場に立ちすくんだ。
エレナは棒のように突っ立っている僕に助けを求めて抱きついてくる。
その肩はすっかりと冷えきって冷たかった。
「カイル、来てくれてありがとう。あのね、私ジェフと喧嘩しちゃってそれでこんなになっちゃった。だからカイルが心配するような事は何もなかったのよ。でも一人じゃここから帰れなくてカイルに電話しちゃった」
それが嘘であることは容易にわかった。
僕は覚悟を決めてエレナに聞いた。
「エレナ正直に言うんだ。奴に…… 奴に、やられたのか」
露骨過ぎた質問に、却ってエレナは戸惑っていたが、首を思いっ切り横に振って否定していた。
そして我慢していた涙を堪えきれずに、僕にすがりついて泣いた。
怖い思いをした事は、それだけで伝わった。
「違うの、カイルが思っているような事にはならなかった。でも逃げられなかったらそうなってたかもしれなかった」
僕はなんて言ってよいかわからなかった。
とにかく冷えきったエレナの肩に、僕が着ていたジャケットを脱いで、かけてやった。
何かが体を覆ったことで、エレナは少し落ち着いた様子だった。
真っ暗な場所に一人で僕を待っていただけでも心細かっただろうに、ジェフに襲われて恐ろしい目に遭ったエレナを思うと居た堪れなく、僕はエレナの肩を抱きしめ、エスコートするように車へと彼女を連れて行く。
車に乗り込んだ僕達は、暫く黙り込んでいた。
僕はその時、なんて言葉を掛ければいいのか、一生懸命いい表現を探していたと思う。
でもどうしても考えがまとまらなくて、ただ哀れな目をエレナに向けていることしかできなかった。
そのうちエレナの方から僕に事情を話しだし、僕は目の前にあったハンドルを強く握りながら聞いていた。
「ジェフが私を誘った理由がわかったの。友達との賭けに負けて、バツゲームとして可哀想な女の子をプロムに誘うというものだったの。私が孤児院出身で誰に
も相手にされないと思ったらしいの。私もそんな事とは知らずに、ジェフのような女の子達に人気のある男の子から誘われて、少し有頂天になってしまったかも
しれない。だからジェフについていってあんなことになっても自分が悪かったとしか思えなくって…… だけど怖かった。ジェフの押さえ込む力が強く、私が嫌
がっても、ジェフの力は緩む事はなかった。だから、私、必死に抵抗して、そして夢中で逃げてきた。どうやって逃げられたのか、今では思い出せないくらい
よ。あの力から逃げられたのは本当に幸運だったとしか思えないわ」
「エレナもう忘れよう。何もなかったんだったら忘れられるさ」
僕はまた無責任にも簡単にそんな事を言ってしまった。
忘れたかったのは僕の方だった。
エレナはあの時傷ついていたのに、もう少し気の利いた事が言えていたらと後悔する。
だけど僕にとってもあれが精一杯の慰め言葉であり、僕自身にも言い聞かせた言葉だった。
もちろん、心の中では、ジェフに対する憤りが収まらず、殴ってやりたい気分でいたけども、そんな奴の顔を思い出したくなくて、忘れる事に必死でもあった。
しかし後に、僕はジェフとばったり街で会ってしまった。
折角穏やかに、過去の話になりつつあったのに、その顔を見たとたん、僕の苦しさは蘇った。
顔を見るなり殴り飛ばしたい感情になったが、手を握り締めて堪えながら、僕は何を思ったかジェフに話しかけた。
ジェフは僕に声を掛けられ、最初キョトンとしていたが、僕がエレナの知り合いだと知ると、はっとして殊勝になった。
すでに大学生として大人になってるジェフは、社会人としてすでに働いている僕よりも自信に溢れて、何倍もしっかりしているように見える青年だった。
それは僕が想像していた以上に、好青年であり、どうしてもエレナを襲った同じ人物には見えなくて戸惑ってしまった。
ジェフもまた当時の事を思い出し、それが苦い思い出なのか苦しそうにしながら、僕に弁明しようとしてくる。
そこで真実を知ったのだが、エレナが言っていた賭けに負けたと言う話は違っていた。
寧ろ、賭けに勝ってエレナを誘う権利を勝ち取ったということだった。
エレナは気が付
いてなかったが、ジェフの話からすると学校でもかなりのモテぶりだったらしい。
ただ誰とも話たがらないために、中々男たちは近づけなかったそうだ。
また誰かが抜け駆けしようとすると、必ず邪魔が入り、エレナは高嶺の花のごとく、男子生徒から崇められていたらしかった。
エレナが孤児院出身だからという問題は、全く関係なく、エレナそのものの美しさに、男子生徒は手に入れたくて憧れていたとジェフは話してくれた。
どこまでそれが真実なのか、その真意はわからないが、過去の思い出は多少は、大げさに美化される事もあるかもしれない。
しかし、僕がエレナを見て自分のものにしたいと思った気持ちがあるだけに、ジェフの言葉はなぜか真実を語っているように思えた。
エレナがあの夜、あんな格好になってしまったのは、ジェフが理性を押えられなかった事にあった。
ジェフはエレナの事が好きだったと言っていた。
思春期に美しい女の子がセクシーなドレスを着て、狭い車の中で隣に座られたら、気持ちを押える方が難しいだろうと僕も思った。
ただ、エレナはそれを望んでいなかっただけだった。
もしエレナも望んでいたなら、二人はめでたくカップルになっていたことだろう。
そうなっていたら、僕もまた落ち着いてはいられなかった。
エレナが間違った情報を知ったのは、エレナに嫉妬する誰かがそう吹き込んだのかもしれない。
だから最初にその事が頭にあったから、ジェフが迫ってきたときに受け入れる事ができなかったのだろうと、僕は思った。
なんにせよ、僕はエレナが無事でよかったと本当に思った。
そして、この事実をエレナに伝えようとは思わなかった。
変に誤解が解けてエレナがジェフとくっついてしまったら嫌だと本気で思ったし、僕はエレナを誰にも渡したくないほどエレナに惚れているのが良くわかっていた。