過去のブルーローズ
7
デイビッドとの結婚を、マリーが私に真っ先に知らせてくれた事を後で知り、私には酷でありながらも、私もマリーにとっては大切な人の一人とみなされていた。
私が愛するように、マリーにとって、愛する人というのはデイビッドであっただけで、そこは重なることができなかったが、マリーが幸せになるのなら、それもまた私の幸せに繋がると私は自分に言い聞かせた。
行き場のない私の思いは、宙ぶらりんになって、寂しく漂い続ける。
完全に自分が吹っ切るにはまだまだ時間は掛かりそうだった。
しかし、罪滅ぼしもあり、私は二人が幸せになるように協力することで、その宙ぶらりんの思いを価値あるものに変えたかった。
大学の教授の知り合いに、ミュージカルプロデューサが居たのを偶然知ったので、私はデイビッドを紹介してもらえるように頼んでみた。
私の普段の授業態度や、その成績も考慮され、私という人物が認められたのもあるが、最初は渋っていた教授も私のしつこさに耐えられず、その重い腰を上げてくれた。
教授に勉強の事以外で頼みごとするのは、私も憚られたが、私の行き場のない思いが後押しとなって、マリーの幸せを願うあまりに、動いたことだった。
それが聞き入れられて、デイビッドは自分の作品を聴いてもらうチャンスに巡りあえたわけだが、元から才能があっただけに、プロデューサが気に入らない訳がなかった。
それがきっかけで、デイビッドは仕事の話が舞い込み、それは見事に順調に進んでいったかのように見えた。
デイビッドは私に感謝しても、仕切れないほどの礼を何度も言い、側でマリーも一緒になって私に感謝しては、その僥倖を心から喜んでいた。
その笑顔はデイビッドに向かっていたかもしれないが、少なくとも私がきっかけとなり、引き出したものに違いない。
私の愛は報われなかったが、それでもマリーを幸せにする事はできた。
私はもう卑屈にならず、デイビッドに嫉妬する事もなかった。
殺そうとして思いつめていたあの頃の事を考えると、恥かしさで自分が情けなく居た堪れない。
その気持ちがある限り、私はデイビッドに一生頭が上がらないと思うくらいだった。
私がきっかけでデイビッドの夢が叶うのなら、私もまた救われる。
マリーの幸せとデイビッドへの贖罪を胸に抱いて、私は、遠くから二人を見つめる。
私もまた、科学者としての道を選び、名を残せるようにひたすら打ち込む。
研究をする時だけは、唯一何もかも忘れられて没頭することができた。
そして、全てが丸く収まりかけたと思っていた時、あの悲劇は起こった。
デイビッドの仕事の話も順調に進み、その仕事の舞台となる場所へ出かけ、その話を終えて、マリーに報告するのを楽しみにして岐路についていたあの日、運悪く彼の乗った飛行機は墜落してしまった。
誰も生存者がいない大惨事となり、デイビッドの遺体すら見つかる事はなかった。
何かの間違いであって欲しい。
デイビッドの乗った飛行機ではないとそれだけを祈っていたが、現実はそうではなかった。
私は自分の行いを呪った。
デイビッドが居なくなればいいとは思っていたが、何もかも納得した上で自分もやっと祝福しようとした時に、こんな事になるとは夢にも思っていなかった。
この最悪のシナリオはどうしても自分のせいだとしか思えなかった。
そして何よりも、マリーを見ているのが一番辛かった。
マリーは事故のショックで精神的ダメージを受け、それが元で体調を崩し、病院へと運ばれた。
私も知らせを受けて、すぐに駆け付けたが、そこで初めて彼女のお腹に赤ちゃんが居ることを知った。
それがエレナだった。
私はどう声を掛けて良いのか何もわからなかった。
マリーのあの悲しみは、今思い出しても胸が抉られるくらい痛く苦しい。
マリーはそれでもなんとか立ち直ろうと無理をしていた。
その気力は、デイビッドが残した子供がいたから、母親として気丈に振舞っていた。
必ず無事に産みたいという願いと、デイビッドの子供である事を誇りに思いたい気持ち。
マリーにたった一つ残された、彼女の命に代えがたいほどのデイビッドの形見だった。
私はまた馬鹿なことをこの時考えてしまった。
これから生まれてくる子供のために、私ができることは、デイビッドの代わりに父親になれないかという厚かましい考えだった。
デイビッドがこの世からいなくなったのなら、私を受け入れてくれるチャンスがあるのではと、非常識に浅はかに思っていた。
血は繋がっていなくとも、私はマリーのお腹の子の父親になりたいとも願っていた。
私は、その時初めて自分の気持ちをぶつけた。
今までずっと好きだったこと、私がマリーと子供を幸せにしたいこと、そして私と結婚して欲しい事も、そこで伝えた。
しかし、マリーは決して私の申し入れを受けてはくれなかった。
それでも私は諦めずに、何度もマリーにアタックした。
その度に、マリーのお腹がどんどん大きくなるのも目の当たりに見てきた。
「マリー、君がデイビッドを失って辛いのは百も承知だ。でも君一人ではそのお腹の子供を育てていくのは大変だ。私はその子の父親になりたい、どうか私と結婚して欲しい」
「ダニエル、あなたの気持ちは嬉しいわ。でも私なら大丈夫よ必ずしっかりと一人で産んで育ててみせるから」
マリーは私を邪険にするわけでもなく、まっすぐ見つめて、はっきりと自分の意見を述べていた。
今思うと、マリーは自分の子供をデイビッドの子供として立派に育てたかったのだと思う。
だから私の子供として育てたくなかったのだろう。
もっと早く彼女の気持ちを理解していたら、私も違った方法で彼女を助ける事ができたかもしれなかった。
それなのに自分の事ばかり考えて、マリーの幸せを考えてあげられなかった。
その結果、彼女はお腹が大きくなっても無理をしてまで働き、一人で育てていく準備をしている時に、体を壊し、無理にお産を迎えてしまった。
出産直後『エレナ』と名前を告げて、力尽き、間もなくして息を引き取ってしまった。
私がしつこく結婚を申し込んだために、こうなったのではと思うと辛くてたまらなかった。
マリーも納得がいかないと、自分の信念を突き通すまで、頑固に凝り固まる事があった。
その性格を知っていたのに、私もまた必死になりすぎて加減がわからなくなっていた。
デイビッドに続きマリーまで失ってしまって、私はやるせなく茫然自失になってしまった。
しかし、エレナが生まれ、小さなその体から発せられる元気な泣き声を耳にして、私ははっとした。
二人を失ったのなら、私はエレナを立派に育てる責任がある。
そこに、偶然が重なり、私が側に居たことで、父親と勘違いされ、私はそれを否定する事もなく、そうだと肯定してしまった。
エレナを自分の手元に置くには、それしか方法がなかった。
エレナの出生証明書の父親の欄に私の名前を刻む事は、この時容易いことだった。
しかし、神様はしっかりとご覧になっていた。
私は、その罪から逃れられる訳がなかった。
デスモンドの事件が起こってから、私は自分の人生を後悔しない日は一日もなく、今もエレナには申し訳ない気持ちで一杯である。