第十章


 事件解決後から一年。
 それはエレナが施設を去ってからの一年後でもあった。
 皆それぞれの時を過ごし、変化が生じていた。 
 施設は屋根と壁をきれいにリフォームし、より一層白さが増した建物に生まれ変わっていた。
 その資金は、でたらめな記事の掲載で新聞社に訴えを起こした時の示談金と、立ち退きの反対運動を起こした時の寄付金や市長からの個人的なお詫びの寄付で賄われた。
 エレナが去った施設は、寂しいことに変わりはないが、カイルは仕事の合間を縫って子供達の世話することはやめなかった。
 エレナの事を思い出さない日はないが、それを乗り越えようとはしていた。
 シスターパメラやポートも時々エレナの事を話し、どこに居て何をしているのかお決まりのようにいつも気にかけていた。
 エレナが施設にいなくとも、皆の心の中には常にエレナが存在していた。
 しかし、エレナからの連絡は全くなく、誰もどこに居るのか知らなかった。
 手紙くらいくれればいいのにとシスターパメラは、時々ぼやく事もあるが、それがエレナの頑固さであり、一人で必死に頑張っている様子が想像できた。
 元気であればそれでいい。
 またいつかふらりと戻ってくると、皆、信じていた。

 カイルは相変わらず仕事で忙しいが、ビジネスに関しては何事も順調に進んでいた。
 自分が任された仕事も、いい結果を出し、会社の評判もよくなっていた。
 一時は嫌がらせで邪魔をされた事もあったが、その当時、エレナのお蔭でカイルが持ちこたえたことが、結局は力強さをアピールし、そのリーダーシップの頼もしさに皆、一層の信頼を置く事となった。
 その邪魔をしたリサだが、父親のグッドフィールドがデスモンドと関係を持っていたことをしらばっくれて、飛び火が掛からないように必死になっているため、その後何の音沙汰もなかった。
 父親の会社の存続がかかっているために、リサは以前ほど派手に動けないのもあるが、プライドもあるため、窮地に立たされてるのを見られたくないのかもしれない。
 会ったとしても、事件が起こった後は立場が逆転し、カイルの方が地位が高く、見下す態度を取ることだろう。
 カイルは以前とは違い、受身だけの耐える性格から、少し変わってしまったところがあった。
 カイルはエレナと別れてから、自棄になってるところもあり、開き直ってあれから女性とは色々と付き合いもするようになっていた。
 雑誌で紹介された影響もあり、カイルの地位と財力に群がる女性は、プレイボーイと称されたライアンの時と匹敵するくらいだった。
 それでも満足する付き合いはなく、未だにエレナに関しては尾を引いていた。
 一年くらいではまだカイルの傷は癒えなかった。

 それとは対照的に、ライアンは以前のカイルのようにまじめになり、プレイボーイからは程遠くなっていた。
 相変わらず、女性にはもてるが、どんなに近寄ってきてもライアンは全く相手にしない。
 今は勉強に忙しく、将来は弁護士を目指して励んでいる。
 カイルはコツコツ型で努力するタイプだが、ライアンは頭の回転が速く、記憶力もいいので勉強のコツさえ掴めば、集中してそこそこのいい点数を取れるタイプだった。
 一度やる気を起こせば、ライアンはメキメキとその力を付けていった。
 ハワードの仕事を手伝う傍ら、沢山の困った人を見て、力になりたいと思った事も、弁護士になりたい気持ちに影響していた。
 そして何より、カイルと劣らない仕事に就きたい一身で、必死に勉強している。
 そのせいで、ハワードの仕事を手伝うことが極力減ってしまったが、友達としての関係は続いていた。
 一年前のあの遊び人のライアンを知っているものは、この時のライアンの姿を見れはびっくりする変わり様だった。
 ライアンは以前の自信過剰なだけの中身のない男ではなかった。
 ただ、ライアン自身、やるべき事をやってるだけに過ぎず、自分が変わったことにはまだ気がついていなかった。
 そこにはエレナへの思いがあり、いつかそれが届く事を信じて努力しているに過ぎなかった。

 ライアンは息抜きに、時々ハワードの事務所を訪ねている。
 ハワードの事務所は居心地がいいので、リラックスしながら勉強するにはもってこいの場所でもあった。
 またハワードは犯罪には詳しいところがあるので、法律と合わせて色々な事を教えてもらうにもピッタリだった。
 ライアンは、この日も、気軽に訪ねていた。
「よぉ、ハワード、なんか変わった事あるか」
 事務所のドアを開け、いつものお決まりの挨拶を投げかけた。
 そんな事を訊いても、ハワードの受けた依頼は教えてもらえる事は少ないが、とにかくそれが通常の挨拶となっていた。
 そんな時に、いつもと違う答えが返ってきた。
「あるぞ」
「えっ、また何か面白い依頼が入ったのか?」
「いや、私にではなく、ライアンにだ」
「えっ、俺に?」
「ああ、ライアン宛に手紙が届いてるぞ」
「俺に手紙? 誰だろ?」
 ハワードからその手紙を受け取り、ライアンは裏を見たが、差出人の情報は一切封筒にかかれてなかった。
「なんか怪しいな。でも市長の写真を受け取った時を思い出すぜ。また新たな情報だろうか?」
「つべこべ言わずに確認してみたらどうだ」
 ハワードは目を細めてその手紙を注視していた。
 ライアンは、封を切り封筒の中身を取り出した。
 そこには花屋の店らしきビジネスカードと折りたたまれた紙が一枚入っていた。
「なんだこれ?」
 そして折りたたんでいた紙を広げれば、一言、手書きでメッセージが書かれてあった。
『昔の事を思い出したか?』
 ライアンははっとした。
 この台詞をライアンに言うのは一人しか心当たりがなかった。
「えっ、嘘だろ…… レイ? えっ、奴は生きてるのか?」
 ライアンは鳩が豆鉄砲食らった顔をしてハワードを見つめれば、ハワードは笑いを堪えるのに必死だった。
「えっ、ハワードは知ってたのか?」
「すまないね」
「ハワード! まんまと騙してくれたな!」
「ああ、レイの事を助けるにはあれしか方法はなかったんだよ。ちょうど腹を撃たれていたし、誰もが疑うこともなく、嘘の情報を流せば信じてしまう状況だった。それはデスモンドからも逃れられるし、世間を欺くにはもってこいだった。アレックスの計らいだよ」
「親父がやったのか。なんだよ。親父もずっと欺いてたのか。やられたぜ」
 騙されていたが、それよりもレイが生きていたことの方が嬉しくて、このサプライズをこの上なく喜んだ。
「それでレイからのメッセージはなんだ?」
「店のビジネスカードが一枚同封されてるけど、全く意図がわからない。」
 ライアンはそれをハワードに見せた。
「これはライアンにここを訪ねろという事なんだろう。ライアン、そこへ行って来い」
「しっかし、遠いな。飛行機で5時間くらいかかりそうだ」
「いいじゃないか、週末くらい時間取れるだろ。旅行だと思ってたまには羽根を伸ばせばいい。ここ最近勉強ばかりしてたんだろ」
「そうだな。レイからのメッセージだし、これは無視できないぜ。それじゃちょっくらそこに何があるか調べて来ますか」
「騙していた事もあるし、償いと言っちゃなんだが、臨時ボーナスとしてそのチケット代は私が出してやろう」
「えっ、ほんとか、ハワード」
 ハワードは早速キーボードをカチャカチャさせて、ライアンのためにすぐに飛行機のチケットを手配していた。
 ライアンはレイが書いた手書きの文字を何度も見つめては、一人でにやけていたが、どうしてもレイが言う昔の事は思い出せなかった。

 レイからの手紙を頼りに、ライアンはその土地を訪れる。
 そこは噂には聞いていたが、高層ビルが建ち並ぶ巨大な都市だった。
 観光客で常に賑わい、遊ぶところも見所もあちこちにあった。
 この国のシンボルとなる大きな女性の銅像は世界でも知られていて、この場所を訪れる人は必ずそこを観光するくらい有名だった。
 高級ショップが並んだストリート、ミュージカルが気楽に見られる劇場も沢山あり、一日では観光しきれない。
 その通りを歩くだけでもライアンは全てに圧倒され、自分の住んでる場所とは全く異なると、物珍しさ一杯に色々と見ていた。
「一体ここに何があるってんだ。レイは何を俺に知らせたいんだ?」
 ライアンはレイが同封したビジネスカードを手にしている。
 それに書かれた住所と同じストリートの名前を見つけ、番地を確認しながら歩いていた。
 暫くすると、斜向かいに色とりどりの花が店の前に飾られているのを見つけた。
「あれか」
 別にこれと言って変わったところのない、自分の街にもあるような普通の花屋だった。
 だが、店から花束を持って出てきたショートヘアの女性を見て、ライアンははっとした。
 髪は非常に短くなっているが、ライアンにはすぐに見分けがついた。
「エレナ……」
 商品を店頭に飾って、忙しそうに働いている。
 突然の再開に、ライアンは胸をドキドキさせ、ただ突っ立って呆然としていた。
 ずっと会いたかったエレナが、目の前に居る。
 そしてエレナが身につけていたエプロンには、ライアンの良く知っている花の絵が大きく描かれていた。
「ブルーローズ……」
 エレナがこれを身につけているには意味がある。
 ライアンにはそれが自分に向けたメッセージに思えてならなかった。
 通りかかった客がエレナに話しかけている。
 エレナは笑顔で答え、花を指差しながら、商品の説明をしている様子だった。
 会話は弾み、エレナの接客が功を奏したのか、客が花束を一つ取り、それを購入していた。
「ありがとうございます。また来て下さいね」
 笑顔でそのお客を見送り、その後はまた次に現れた客の接客をしだした。
 逞しく働いているエレナの姿を見ていると、知らずとライアンの顔はほころんでいる。
 早く抱きしめたいと、腕がむずむずしていた。
 しかし、中々忙しそうで、仕事の邪魔をしたくなくて、声を掛けるのが躊躇われた。
 暫く遠くから眺めてチャンスを窺うも、レイにはしてやられ、またその計らいにライアンは嬉しいようで、そのまま素直に受け入れるのも悔しいようで、ライアンなりに色々と考えていた。
 そして辺りをキョロキョロして、ライアンは一度そこを離れた。

 客が途切れたとき、エレナはふーっと息をついた。
「エレナ、あまり無理をしない方がいいよ」
 奥から一緒に働いているジェシカが声を掛けた。
「別に無理してないよ。お客さんが、花を買ってくれるのが嬉しいだけ」
「でもさ、夜はレストランで、ウエイトレスの仕事を掛け持ちしてるんだろ。よく続くよ」
「ここは好きな時間に働かせてもらえるし、花があって見てて気持ちがいいし、すごくストレス解消になってるの」
「まあ、確かに花に囲まれて働けるのは幸せだよね。でもエレナだったら、花を貰う方が似合ってるよ。花束を抱えて、甘い言葉を囁く人は居ないのかい?」
「そんな人、居ないって」
「エレナって不思議だよね。結構可愛いのに、彼氏がいないって。もしかしてアレ? 同性に興味があるとか? 髪も短いしさ」
「えっ? そんな事ないけど」
「そうだったら、私エレナと付き合ってもいいんだけどね」
「ジェシカ、カートという彼氏がいるくせに、何言ってるの?」
「へへへ、それだけエレナはなんかかっこいいんだよね。いつもキビキビして前向きで、何でも一人でやろうとしてるし」
 エレナは照れていたが、少しでも自立したいという気持ちを持ってやってきた事を、ちゃんと見てもらえて少し嬉しかった。
「でもさ、時には遊んでもいいんじゃないの。エレナはまじめすぎてつまんない」
「ジェシカは、私の事、褒めてるの? 貶してるの?」
「なんていうのか、エレナは頑固な所があるからさ、いい男が折角声を掛けてきても、頑なに拒否してるだろ。先月も金融地区で働くようなビジネスマンから言い寄られてたのに、断ったじゃない。結構いい男だったけどな」
「奥さんが居るのに?」
「えっ、そうなの? そんな風に見えなかったな。良くわかったね」
「偶然、そういう情報を目にした事があったの」
「じゃあ、ミュージカル俳優の卵の人は? あの人も人気急上昇中で将来化けそうなんだけど」
「あの人、女性にチヤホヤされて、色んな人と関係持ってるみたい」
「へぇ、エレナってちゃんと見てるんだね」
「私が見てるわけじゃないんだけど、なぜか、接触してくる人が現れると、その人の情報が目に付くように入ってくるの。なぜなんだろう?」
「エレナにはガーディアンエンジェル(守護霊)がいるんじゃないの」
「そうかな。なんかオカルトっぽいね」
「だけどさ、エレナは好きな人いないの? まだ若いんだから、時には恋した方がいいよ。エレナを見てたら勿体無いな」
「余計なお世話!」
 エレナは笑顔を添えてジェシカを嗜めた。
 その後はエプロンのブルーローズに視線を落とし、そこに自分の思いを反映させていた。
 その時、店に電話が掛かり、ジェシカが店内の奥に走り寄って受話器を取った。
 エレナもサボってられないと、店頭に立って花束作りに取り掛かろうとする。
 そこに男性客二人がエレナに近づいてきたので、エレナは声を掛けた。
「こんにちは。お花をお探しですか?」
 エレナが明るく接客をすると、男二人はニヤッと笑い、そのうちの一人が突然エレナの手を掴んだ。
「お嬢さん、よかったら僕たちと遊ばないかい」
「えっ?」
 一瞬ライアンと最悪の出会いをした思い出が脳裏をかすめたが、エレナはあの時の失態を繰り返したくないと、ここは落ち着いて対処する。
「すみませんが、離して頂けますか。今忙しいんです」
「そんな事言わずに、俺達と一緒に遊ぼうよ。そしたら一杯花買ってやるぜ」
「あの、結構です。間に合ってます」
「何が間に合ってますだよ。ほら、一緒に行こう」
 無理に引っ張られて、エレナは顔を青ざめた。
 どうしようかと迷っていたその時、エレナの後ろからその手を止めようと、逞しい腕が伸びて、無理に引っ張る男の手を掴んだ。
「おい、離してやれよ。お嬢さんが困ってるぜ」
 エレナの手はそれであっさりと解放された。
 そして、エレナが声をした方向に振り向くと、そこには懐かしい顔があり、エレナは目を見開いた。
「えっ、ライアン!?」
 見間違いなのか、幻なのか、それとも過去にタイムスリップしてしまったのか、あの時と全く同じ状況でライアンが現れ、エレナは目を白黒させていた。
 ライアンはエレナを見て微笑んでいた。
 エレナはまるで夢を見ているようで唖然としてしまう。
 するとエレナに絡んでいた男二人が突然ヘコヘコとしだして、ライアンに気を遣い出した。
「あの、これでよかったんですか?」
 先ほどとは打って変わって、自信なさげに聞いていた。
「はぁ?」
 エレナは頭に疑問符を乗せ、口をポカンと開けている側で、ライアンはその男二人に礼を述べた。
「ご協力ありがとう」
 礼を聞いた後、男二人は用が済んだと機嫌よく去って行った。
 暫くそれに気を取られて、エレナはきょとんとして棒立ちになっていた。
 そこにライアンがエレナの腰に手を回し、エレナを自分に引き寄せた。
「お嬢さん、大丈夫でしたか。危なかったですね」
 その顔は真剣だったが、言い方がわざとらしく芝居じみていた。
「ラ、ライアン……」
「あっ、その目は俺に恋しましたね。あなたを救ったから」
 ライアンはかっこつけ、エレナにウインクをし、その後は白い歯を見せて思いっきり笑顔を向けていた。
 ライアンの顔は、どこか男らしくなって、エレナはその笑顔に釘付けになった。
 ずっと会いたくてたまらなかったライアンが、目の前に居て自分に微笑みかけている。
 エレナの頬が弛緩し、体から力が抜けると、抑えていたものが溢れ出した。
 素直な自分の気持ちが言葉になる。
「ええ、恋に落ちました。あなたの事が大好きです」
「俺も、お嬢さんに惚れました。お嬢さんは俺がずっと探していた女性です」
「ライアン!」
 エレナは我慢できずにライアンに抱きつき、離したくないほどに強く強く抱きしめた。
 ライアンもそれに応えていた。
「エレナ、会いたかったぜ。ずっとエレナの事を考えてた」
「私もよ、ライアン。また会えて嬉しい」
 再び二人は顔を見合わせる。
 ライアンもエレナもお互いを求め合い、自然に顔が近づいていく。
 そして最後に唇が重なった。
 エレナの心は最高にドキドキし、そのキスが甘く、体が欲っするままにライアンのキスに熱くなっていく。
 周りは二人の熱いキスを横目にしながらも、見てみぬフリをしてすれ違っていたが、やや離れた場所で、人混みに紛れながら、サングラスをかけたがっしりとした体つきの男が、二人の姿をしっかりと見ていた。
 口元には妬けるとばかりに、笑みがこぼれている。
「エレナ、幸せにな」
 小さく声が漏れていた。
 二人のキスを見届けたその後は踵を返し、自分の役目が終わったと言わんばかりに、満足した足取りで潔く去って行く。
 沢山の人ごみの中に紛れると、男の姿はやがて街の喧騒に消えていった。
 そんな事も知らずに、エレナとライアンは自分達の世界に入り込んでいた。
「エレナ、もう君を離さないぞ」
「だけどライアン、どうしてここがわかったの」
「君のガーディアンエンジェルが教えてくれたんだ。守護『レイ』」
 ライアンは意味ありげに言ったが、エレナは不思議な事もあると狐につままれたような気持ちになっていた。
「ガーディアンエンジェル……」
 エレナはその言葉を繰り返し、首を傾げていた。
 奥からジェシカがニヤニヤとして現れ、ライアンをじろじろ見ていた。
「エレナ、やっぱり彼氏がいるんじゃないの、しかもこんなかっこいい。なんだ、すっかり騙されていた」
「あのね、ジェシカ、これには色々とあって」
「何も誤魔化さなくてもいいじゃない。結局はこの人が好きなんでしょ」
 ジェシカに言われると、エレナは取り繕う事も弁解する事も不必要に感じた。
「ええ、大好き」
「このぉ! 妬けるね」
 肘で突かれ、エレナは照れていた。
 エレナは、ジェシカをライアンに紹介し、二人は挨拶を交わした。
「エレナ、今日はもう仕事上がりなよ。後は私一人でなんとかなるからさ」
「いいの、ジェシカ?」
「ああ、どうせ、彼が現れたら仕事なんてできないだろ?」
「ありがと、ジェシカ」
 エレナはエプロンを脱ぎ、それをジェシカに投げた。
 そしてライアンの手を取り、賑やかな街の中心へと引っ張っていった。
「エレナ、どこに行くんだい?」
「この街の楽しいところ」
 エレナが連れてきたところは、人と車でごった返しになった世界一賑やかな交差点だった。
 そこには所々にストリートパフォーマーが居て賑わいを見せている。
「この街はすごい所だな」
「そうね、私も慣れるまでが大変だったわ」
「どうしてここに住むことを決めたんだい?」
「ここは私の本当の父が来た場所だから、どういうところか見ておきたかったの」
「あっ、そうか……」
「父は、夢を持ってここに来たんだと思う。その夢は叶わなかったけど、私は少しでも叶えてあげたいって思ったの」
 ライアンは少ししみじみとして、言葉に詰まってしまった。
 エレナは、ギターを持って街角に立っているストリートミュージシャンの前にやってきた。
「よぉ、エレナじゃないか」
「カート、いつもの頼める?」
 エレナは紙幣を、開いているギターケースの中に落とした。
「オッケー、アレだね」
 カートは、曲を演奏しだした。
 それはライアンにも聴き覚えがあった。
「これは、オルゴールの曲だね」
「うん、父が作った曲。ここでたまにカートに演奏してもらってるの。そしたら、誰かの耳にも入って聴いてもらえるでしょ」
「中々上手いギター演奏だな」
「カートは店で一緒に働いてるジェシカの彼なの。ジェシカもこの演奏に痺れて恋に落ちたんだって」
 ライアンはエレナの手を取り引き寄せると、体を密着させて音楽に合わせてリズムを取った。
 どこかで口笛がヒューっと鳴り、誰かかが冷やかしていた。
 そんな事もお構いなしに、二人は熱い気持ちに包まれて、この上なく甘く酔っていた。
 それは絵になり、次第に周りに人が集まり、そして他のカップルも二人に感化されて、同じように踊りだした。
「皆、それぞれ自分の大切な人を探して出会ったんだね」
「ああ、そうだな。俺もやっと探した。だけどさ、なんでそんなに髪の毛短く切ったんだ?」
「えっ、どうしてそこで、話の腰を折るのよ」
「だって、あまりにも短いからさ、ちょっと男っぽい」
「やだ、ライアン、折角の雰囲気がぶち壊し」
「だけどさ……」
 その時、ライアンは、何かが急に脳裏に蘇り、はっとした。
 確かに自分はこういう男の子に会った記憶があった。
 その記憶を辿りながら、エレナの顔を見入っていた。
「でもね、私、子供の頃は髪の毛が短かった時があったの。あの時はちょっと刈り上げすぎて、完全に男の子と間違われてたわ。自分がそう望んでた事だったけど、ある男の子と出会ってからはちょっと髪が短いのを後悔したかも」
「えっ、ある男の子?」
「うん、私が、海岸の岩場で派手にこけてしまって、足を切っちゃったの。それが痛くて、べそ掻いてたんだけど、その時私を助けてくれた男の子がいたんだ。ちょうど太陽の光が眩しくて、あまり顔がよくわからなかったんだけど、すごくかっこよかったのだけは印象に残ってる」
「えっ?」
「その男の子、急に背中を向けて私の前でしゃがみこんだの。その背中をじっと見てたら、なんだか引き寄せられるように頼りたくなってしまって、気がついたら、その人の背中に負ぶさって運ばれてたの」
「あっ……」
「その背中、暖かかった。気持ちまで温かくなった。そしてその後私を探してたレイが現れて、そこでその男の子は私を降ろしたの。そして、レイに向かってこう言ったの『しっかり弟の面倒を見ておけ!』って」
「おおっ?」
「その時、その男の子に自分が女の子と思われてなかったことが、子供心ながらなぜかショックだった。その後はあの暖かい背中がいつまでも忘れられなくて、 ずっとその男の子の事を考えてしまってたわ。レイが何度も負ぶろうとしたけど、頑なに拒否してたくらい、その余韻に浸ってたの。それからは髪を短く切るこ とに抵抗があったんだけど、でも、また急に懐かしくなって切っちゃった。その方がしっかりと一人でやって行けるような気がしたから」
 ライアンは口をあんぐりと開けて、急に動きを止めた。
「どうしたの、ライアン?」
「えっ、そ、それって…… それって、もしかしたらエレナの初恋の話?」
「うん、そう。もしかして、こんな大昔の話でも妬いてる?」
 ライアンは全てを思い出した。
 エレナが語った話は、はっきりと映像になって自分の記憶の中で蘇る。
 エレナを負ぶって助けた男の子というのは、まさに自分の事だった。
 レイが自分を嫌うはずだと思うと、なんだか笑えてきた。
「いや、妬くどころか、それは……」
 ライアンはここで言葉を呑んだ。
「ん? どうしたの?」
「なんでもない。いい思い出話だなって思っただけ。俺はその話がエレナから聞けて嬉しかった」
 ライアンはおもむろにエレナを抱き上げた。
「ちょっとライアン!」
「エレナ、君に会えてよかった。これは運命だったんだって、俺は思う。これからも一緒にブルーローズ咲かせようぜ。そしてそれをどんどん増やそう」
 ライアンが意味するブルーローズ。
 それはこの先の二人の未来を表す。
 変わらない確かなものが、エレナの胸に刻まれた。
 エレナは恐れることなく、ライアンを見つめれば、ライアンは、少年のような生き生きとした眼差しをエレナに向けた。
 その瞳を見て、エレナは一瞬既視感を覚えたが、そんなことより、目の前のライアンを見ることに忙しかった。
「ライアン……」
 名前を呟くだけで、エレナの心は熱くなっていた。
 ブルーローズの青さを思わせるエレナの瞳には、まるで自分のものとでも主張するかのように、しっかりとライアンの笑顔が映りこんでいた。



<The End>



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