第三章


 ライアンとカイルの事が興味深く語られていく──。
 ライアンが放課後ロッカーの前で荷物を取り出していた。
 顔には殴られた痕があったが、喧嘩には勝利していた。
 そこへカイルもロッカーに忘れ物を取りに来て、その時ライアンに話しかけた。
「よぉ、ライアンまた喧嘩か。どうせまた君の勝ちだろ。君は強いよな」
 カイルの事は見たことあったが、口を聞いた事はなかった。
 喧嘩には勝ったとはいえ機嫌は悪く、睨み返していた。
「よけいなお世話さ」
 ぶっきら棒に答えるライアンだったが、カイルは怯むことなく、笑顔を向けた。
「そうだよな。余計なお世話だよな。でも僕は君が羨ましいんだ。それに君は理由もなく人を殴ったりしないのも知っているよ」
「ん?」
 カイルの言葉がライアンの眉根を少し動かした。
 暫くカイルに気を取られて、見つめていた。
 ライアンは曲がったことが許せない。
 しかし、正義感溢れているというわけでもない。
 自分が気に入らなかったら、腹が立って殴りたくなるだけだった。
 この時も、気弱な者が虐められているのを見て、立場を逆にしてやっただけだった。
 訳もなくちょっかい出されて殴られるということがどんなものか体験させてやったに等しい。
 子分を従えてボス気取りになってえらっそうにしている奴は見ていて鬱陶しく、一匹狼のライアンはそういう群れを壊してしまいたくなるのだった。
 ライアンはこの時、家庭上の都合で荒れていた事もあり、自分が怪我をしようがお構いなしの怖いもの知らずなだけに、その戦い振りは荒れ狂っていた。
 その無茶苦茶さが、厄介で、みんなから恐れられていた。
「殴られたくなかったらオレに近づかない方がいいぜ。それとも殴られたいのかよ」
 ライアンは凄みを利かして威嚇した。
 しかしカイルは全く動じず、それどころかライアンとの距離を縮めた。
「僕、君と一度勝負してみたかったんだ。殴ってこいよ」
 ライアンの瞳は見開き、面食らった。
 青白い顔のひょろひょろしたがり勉タイプのカイルが、自ら喧嘩したいなど、自殺行為に等しい。
「お前、本気か」
「ああ。君に勝てば僕が一番強いことが証明できるからな」
「ガリ勉のお前がオレに勝てる訳がないだろう」
「さあ、やってみないとわからないんじゃないかな」
 怖がらずにカイルはじりじりとライアンに近づいていく。
 カイルは見るからに弱そうではあるが、芯の部分が意外と太く見えて、ライアンは判断しかねた。
 ライアンだけが緊迫し、カイルは泰然自若に迫っていく。
 ライアンは、ゴクリと喉をならすように、唾を飲み込んで一瞬本気で構えそうになった。
 そこでカイルは突然笑い出した。
「あはは、冗談だよ。僕が君に勝てるはずがないだろう。殴られるのはごめんさ。でも少しは君も焦ったかい?」
「……」
 ライアンは言葉を失っていた。
 一瞬でも、カイルが自分より強く見えてしまった事が信じられない。
「この野郎」
 ライアンは拳を振り上げ、寸止めで脅してやろうと企んだ。 
 その瞬間、カイルは平然としたまま、逃げるどころか、正面からその拳を掴んでいた。
「あれ? ライアン、なんだ君も本気じゃなかったのか。でも拳が本当に飛んできてちょっと冷っとしたよ」
「お前、本当は強いんじゃないのか」
「まさか。そんなことある訳ないじゃないか」
 そんなやり取りをしているうちライアンはカイルが気に入った。
 ここまで精神的に迫ってきた奴はいなかった。
「お前みたいな奴初めてだせ」
 そう言ってカイルに握手を求めたのだった。
 カイルもライアンと親しくなれるのは嬉しかった。
 その手を喜んで握り返し、それからずっと親友同士となった。

 エレナはその話を楽しく聞いていた。
「ねえねえ、それでカイルは本当はあなたより強かったの」
 エレナはもっと話の続きが聞きたくて急かしていた。
「さあ、わからねえな。俺達喧嘩したことないからな。でもカイルはどんな事があっても絶対手を出さない奴だったよ。そう言うのって真の強さだと俺は思ってるよ。あいつは本当に良い奴さ」
「面白い話をありがとう。カイルって自分の事あまり話したがらないでしょ、知ってる人から聞く話って本当に楽しいわ」
 素直に喜んでいるエレナの表情があどけなくてかわいい。
 女心をくすぐる言葉をいくつも言って喜ばせてきたが、そんな行為で喜ぶ女が安っぽく感じるほど、この時のエレナの仕草はキラキラとしていた。
 女性の前では常に格好つけて自分を演じ、女性が喜ぶことで自尊心を高めて満足していたが、エレナを見ているとそれが馬鹿らしい行為に思えてならない。
 自分の過去の話を飾らずにただ話し、エレナはそれに素直に反応している。
 たったそれだけのことが、とても楽しい。
 もっと一緒に過ごしたい。
 このまま朝までここに居て欲しい。
 そう思ったとき、ライアンの胸がドキドキと騒ぎたてた。
 それと同時に、カイルに対して後ろめたくなってしまった。
 なんだか胸が苦しい。
 ライアンは気のせいだと何度も思い込もうとした。
「今度は僕が質問する番だ。君はどうやってカイルと知り合ったんだい?」
「えっ、私とカイルの事? そ、それは」
 エレナは少し躊躇してしまう。
 しかし、すでにライアンの過去の話を聞いているだけに、自分が話さないわけには行かなかった。
「うーん。気が付けば、カイルは側にいたと言う方がいいかもしれないわ。カイルはボランティアで施設の身よりのない子供達の世話を手伝ってくれてるの。私も訳あってそこで育ったんだけど、その時カイルが色々と世話してくれたの」
 そんな話はライアンには初耳だった。
 ボランティア活動、身よりのない子供達、施設と初めて聞くキーワードだった。
「知らなかったよカイルがそんな事をしてたなんて。君はいつからその施設にいるんだい?」
 エレナには人には言えない過去がある。
 あまり詳しく質問されないことを願いつつ、差し支えのない程度で答えていた。
「十歳のときからよ。身よりは父しかいないけど、その父とも事情があってその頃から離れて暮らしているの……」
 エレナの声が小さくなっていく。
 繊細な部分に触れてしまうことを恐れている様子をライアンは汲み取った。
「そっか、大変なんだな。俺のところも結構複雑でさ、十年前に母親は死んじまったんだ。それ以来父親と二人だけど、その父とはうまくいってなくてさ、会え ばいつも反発ばかりしているんだ。あ、 なんか暗くなっちゃったな。まあ皆それぞれ事情があるってことさ。繊細な部分に触れてすまなかったな」
「えっ、そ、そんな」
「ところで、好きな食べ物とかある? 動物は何が好き? 好きな色は? 今まで読んだ本で面白かったものは何? それから……」
「ライアン……」
「ん?」
「ううん、一度に一杯質問されたの初めてだから、どれから答えていいのかわからなくて」
「だったら、気が向いたときに、好きなのからゆっくり教えて。あっ、それとも俺が当ててやるよ。その方が面白みがあるってもんさ。じゃあ、エレナの好きな食べ物は、そうだな、甘いものかな?」
「あっ、範囲が広すぎ」
 他愛のない会話だった。
 でもそれはライアンの気遣いでもあった。
 なぜカイルがライアンと友達なのか、その理由はライアンを見ていてエレナはわかったような気がした。
「ねえ、雨が止んだかもよ」
 エレナが言った。
 それがこの楽しい時間の終わりを告げたようで、ライアンは少し寂しさを覚えた。
「そうだな、そろそろ行こうか」
 ライアンは部屋のクローゼットから予備のバイクのヘルメットと、モスグリーンのダッフルコートを取り出した。
「バイクに乗ると寒いからこれ着ろよ。遠慮はいらないぜ」
「このコート、かわいい。これライアンの?」
「ああ、かなり昔のさ。結構暖かいぜ」
 エレナは早速袖を通してみた。
 それはエレナの体をすっぽりと包みこんだ。
「ありがとう。とても暖かい」
「ああ、似合ってるぜ」
 静かな部屋で二人は見詰め合って微笑んでいた。
 出会いは最悪だったが、この時の二人はそれを忘れてしまって、心打ち解けている。
 エレナが無防備にライアンと向かいあっているその姿は、信頼していますと言わんばかりだった。
 しかし、ライアンはこのまま抱き寄せたくて、両手がうずうずとしていた。
 その前にエレナがライアンに触れようと手を前に出して近づき、ライアンは息を呑んだ。
「ねぇ、ライアン」
「えっ」
「ちゃんとあのクリームで顔の傷の手当してね。これ消えるかな」
 エレナは顔の傷を見ていて、ライアンを見ているわけではなかった。
 ライアンは気恥ずかしくなり、目をそらした。
「ああ、きっと治るさ」
 頬の傷がなんだか火照っていた。
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