第七章
2
「自分は一体何を考えればいいのだろう」
カイルが去ってしまった後、何も手づかずでいたエレナは、暫く、石のように動かずベッドに腰掛けていた。
まるで、抜けられない迷路の中で彷徨い、ひたすら出口を探そうとするが、一向にその方向がわからず、どっちに向かっても出口などないように思えた。
この先、カイルとライアンに会うのが辛い。
しかし、このまま放って置く訳にも行かず、かといって、自分はどうすればいいのかもわからない。
一層のこと何も考えたくなくなり、力なくただそこに座っているだけだった。
何もする気力がなく、迷ってる時に、一階からオルガンの音が聞こえ、それに合わせて子供達の歌う声もする。
エレナがかつてここへ連れて来られた時も、塞ぎ込んでいたエレナに向けてシスターパメラはオルガンを演奏した。
そしてエレナにもオルガンを触らせた。
まだ父と一緒に暮らしていた頃、エレナはピアノに興味を持ち、父がピアノを習わせてくれた事もあり、そのお蔭でエレナはオルガンを弾くことができた。
シスターパメラはその時、エレナの演奏を思いっきり褒めては、いつでも使っていいと許可をした。
エレナは他の子供達に心を打ち解ける事は中々しなかったが、寂しさを紛らわすために、そのオルガンで、オルゴールの曲を真似して度々弾いていたことがあった。
シスターパメラは、エレナが演奏する度、喜んで聴いていた。
それはやれることを自分で見つけなさいという、シスターパメラからの教えだった。
決して無理をすることなく、少しずつ思うことをすればいい。
それからカイルの助けもあって、エレナはここの生活に馴染む事ができた。
今は答えを見つけられないけど、そのうちに必ず出口が見つかることを信じて、エレナは耳を澄ました。
無邪気な子供達の声が可愛く、そこにシスターパメラの愛情がオルガンの音に乗って届くようだった。
エレナはようやく立ち上がり、みんなのいる場所へ向かった。
「私も混ぜて」
そういうと、子供達もシスターパメラも笑顔で歓迎してくれた。
その笑顔を見て、声を出して歌えば、怖がらずにしっかりと前を見て歩きたいと勇気が出てくる。
今すぐにはどうしていいのかわからないけど、逃げることだけはしてはいけないとエレナは感じていた。
その次の日、エレナはいつものやるべき事を済ませ、また図書館で調べものをしようと思っていた。
今やるべき事は、自分の事件の真相を探るということだった。
朝11時にオープンする図書館は訪れる人もまばらで、その分インターネットも気兼ねなくできるだろうと、エレナは朝一を目指して、家を出た。
その時、車が入ってきて、車窓からポートが顔を出した。
「あ、ポートさん。こんな時間にどうしたの?」
「わしは、シスターパメラに用事じゃ。ちょっと近くまで来たついでに寄ったんじゃ」
「シスターパメラなら、どこかへ出かけて今は家には誰もいないわ」
「そうか、それなら仕方ない。ところでエレナはどこ行くんじゃ」
「図書館よ。インターネットで調べものをしようと思って」
「それならうちへ来るか? うちにもあるぞコンピューター」
「えっ、ほんと?」
「なんじゃい、その驚いた顔は。わしもそれくらいできるわい」
にこやかに笑うポートに釣られ、エレナもくすっと笑っていた。
図書館のコンピューターは時間制限がある事を考えると、ポートのところへ行った方が長く調べられて都合がいい。
ポートの好意にエレナはあっさりと甘え、すぐに車の助手席へ乗り込んだ。
ポートの庭は相変わらず手入れが行き届いて、緑と花のバランスがとても美しい。
この時期はチューリップが咲き誇っていた。
「きれいに咲いてるわね。ポートさんの庭は本当にいつ来ても色とりどりのお花で一杯」
「ああ花や草木にかけては、わしはプロだからな」
その言葉を聞いてエレナはふと思った。
「ねえポートさん、青いバラって知ってる?」
「青いバラか。わしも作ろうと思って色々努力したよ。青いバラには不可能っていう意味があるくらい、作るのは難しいんじゃ。青い色素を持つ原種バラがない
だけに、それを用いての交配育手法ができないんじゃ。赤いバラの赤の色素を抜いてできるだけ青に近づけるんだけど、それも根気がいるし、中々思ったように
咲いてくれん。まあ白いバラに青い液体を吸わせると青くはなるけど、それは本物じゃないしな。今は遺伝子組み換えで、可能になったそうじゃが、すごい時代
になったのう」
「他にも青いバラに特別な意味があるの?」
「いやそれぐらいしか、わしは知らないけど、青いバラがどうかしたのかい」
「えっ、あの、ちょっと見たことなかったから気になってたの」
青いバラがついたあのオルゴールには、やはり特別な意味がないのかとエレナはがっかりしてしまった。
しかし、他の角度から見れば、まだ何か隠されていることがあるのかもしれない。
気を取り直して、エレナは諦めることだけはしなかった。
ポートの家に入れば、ジョンが尻尾を振って出迎えてくれた。
興奮しきっているジョンを宥めるのに、暫く時間を要し、エレナはジョンが満足するまで付き合った。
その間に、ポートはダイニングテーブルにノートパソコンを置いて、インターネットができるように準備していた。
「エレナ、好きに使ってくれ。わしはちょっと裏庭に出ておるから、用があればいつでも呼んでくれ」
「ありがとう、ポートさん」
エレナがテーブルに着くと、ジョンも側によって座り、エレナをじっと見つめた。
「ジョン、また後でね」
エレナが相手してくれないとわかると、ジョンは諦めてエレナの足元で体を横たわらせた。
裏庭から、ブルンブルンと芝刈り機のエンジンをかける音が聞こえ、その後はパワフルにゴォーッと響いた。
遠くに行ったり近づいたりと、音の音量の違いで、ポートが裏庭を行ったりきたりして芝生を刈ってるのが伝わってくる。
ジョンも忙しく耳を動かしていた。
かなりの騒音ではあるが、それも気にならないくらいに、エレナはインターネットに没頭していった。
そして、いつしかまた静かになり、そしてジョンは眠りに落ちていた。
エレナはそんな様子など見えないままに、コンピューター画面に食い入っていた。
時間を沢山掛けても、やはり思うような情報が得られず、時折、脱線しては、関係ないところを見たりと、中々作業ははかどらなかった。
ポートが裏庭の仕事から戻ってきたことすら気がつかず、エレナはキーボードを叩き、マウスをクリックして取り憑かれたように、コンピューターの画面だけ見ていた。
ポートはその様子を見て、心配しだした。
「エレナ少し休憩しないか。もう昼もかなりすぎてるぞ、腹空かないのか?」
「えっ、そういえば空いたかも」
ポートに指摘されて初めて空腹に気がついたくらいだった。
ポートはエレナのためにサンドイッチを作って、それをテーブルに置いた。
「ありがとう」
一応礼は言ったが、サンドイッチを片手にエレナはまだインターネットをしていた。
「おいおいエレナ、一体何の情報を探しているんだい。食べるときぐらい手を休めなさい」
「あっ、ごめんなさい。つい夢中になっちゃった」
それでもまだしつこく画面を見ているエレナに、ポートは呆れ顔になっていた。
その頃、カイルの会社では一本の電話が入った。
カイルがそれを取った直後、顔を青ざめ震え上がった。
「なんだって! そんな馬鹿なことがあるものか」
電話を強く握り締め、我を忘れて、叫んでいる。
普段、仕事の話に感情を出すような男ではない。
それほど衝撃的に、その電話はカイルを窮地に追い込んでいた。
どんどん血の気が引いて、真っ青を通り過ごして、生気が抜けていく。
呆然として何も考えられず、それはもうこの世の終わりとでも言うような絶望的な顔をしていた。
カイルが担当しているリゾート開発の計画が突然中止になってしまった。
すでに工事は着手して、中止になる事は全くありえず、寝耳に水だった。
カイルはこの事態を飲み込めずにいた。
電話で知らされたことが本当であれば、会社は責任を取らされ、莫大な損失を与えてしまう。
今更中止は考えられないというより、絶対ありえないことであった。
「理由は、理由はなんですか」
電話の向うの相手は、明確な理由を口にしなかった。
そのまま逃げるように電話は切れてしまい、カイルは余計に焦った。
机に向って自分の頭を抱え込み、この事態をなんとかしようと、焦りながらいろんな知恵を絞っていた。
一体何がそんな事態に追い込んだのか。
その理由を考えても、全く思い当たる事はなかった。
その時、カイルははっとした。
入院してた時、リサが訳のわからない事を言っていた。
『あなたは間違ってるわ』
あれは何に対して間違っていると意味していたのか。
『あなたは将来、お父様の会社を担っていく方でしょ。だったらきっとわかると思うわ』
父親の会社を担う……
今なら謎めいたリサの言葉が意味をなす。
カイルはリサを振ったことで間違った選択をし、そしてその報復が会社に損害を与えるということなら、これはリサが仕組んだことになる。
だがそれもあまりにも大きなこと過ぎて、彼女がそんな力を持つこと自体信じられなかった。
そんな事をして何になる。
人を疑うのは良くないと頭を横に振った。
まずは冷静になって、原因を突き止めなければならない。
そう思った矢先のこと、電話のスピーカーから秘書の電話取次ぎの連絡が入った。
忙しい時に誰だと思い、受話器をとって聞こえたその声に、カイルは固まった。
それはあまりにもいいタイミングに、折角吹っ切ろうとしていたカイルの疑念は再び深まった。
「お久しぶりねカイル。体の具合いはすっかりよろしいの? 心配はしていたんですけど、あなたは私の事を避けていらっしゃったから」
「何の用だい、リサ」
さっきまで焦っていた気持ちが急に冷めた。
というより、カイルは凍りついたように冷たいものを背中に感じていた。
「今日よかったらお食事でもどうかしらと思って。今晩お忙しいの?」
カイルは確かめたかった。
これがリサの仕業なのか、それともただの偶然なのか。
「とっても忙しかったのですが、あなたの声を聞いて急に会いたくなりました。いいでしょう食事に行きましょう」
「あら、まあ嬉しい。まるで何か心変わりでもあったみたいね」
リサの受け答えが、その裏に何か含みを添えて、一々鼻につく。
カイルは我慢して相手をし、場所と時間を取り決めた。
「それでは今晩、お会いできるのを楽しみにしてます」
リサに会える事を本当に楽しみにしているわけではない。
それは社交辞令で言ったわけでもなく、この突然の出来事が、リサが企んだことなのか確かめたいというカイルのせめてもの皮肉だった。
電話を切った後、息切れしたように荒く呼吸をしながら、カイルは暫くじっと考え込んでいた。
エレナは食後もまたインターネットに没頭していた。
ポートが何を言ったところで止められなかったので、好きにさせておくしかなかった。
エレナが何かに捉われると、周りの事が見えなくなる性格はポートも熟知している。
ほとぼりが冷めるのを待つしかなかった。
気がつけば、すっかり夕方になっていた。
その時、気になるサイトが引っかかり、エレナは興味を鷲掴みにされた。
そこには教会の写真が掲載されていて、その教会のステンドグラスの模様に青いバラがデザインされていたからだった。
そしてその教会の所在地は、エレナが以前父親と住んでいた町の近くだったので、見つけたときは息を飲むほど驚いた。
何か関係があるかもしれないとそれをメモにとり、ポケットにしまいこんだ。
「おいエレナ、そろそろ帰らなくていいのか」
「ポートさんお願いあともう少しだけ。シスターパメラに遅くなるって言っておいて」
やっと探していたものが見つかったことで、エレナは興奮し、邪魔をされたくなかった。
その時のエレナの取り憑かれた顔をポートはみて、これはまだまだ続くと覚悟した。
ポートはお人よしながら、言われた通りにシスターパメラに連絡を入れた。
エレナを自分の娘のように思っているポートは、エレナには甘い。
シスターパメラには、エレナが何をしているかは明確に言わずに、自分の手伝いをしていると言葉を濁して、エレナがここに長く居られるように自らもっていっていた。
そして、エレナの足元で遊んで欲しい態度を取っているジョンを呼び寄せ、「お前も、邪魔しちゃだめだぞ」と言い聞かせていた。
「エレナ、夕飯は何がいい? ピザでも取るか」
「……うん」
わかって返事しているのか、相槌を打っただけなのか、それは曖昧に聞こえた。
ポートは再び電話を持ち、ピザの出前を頼んでいた。