第七章


 苛立ってカイルが店を出た直後、背広のポケットに入れていた携帯電話が鳴った。
 取り出してみれば、ディスプレイにポートの名前が出ており、カイルは無視できずに歩きながらそれを取った。
「カイルか、すまんが今からうちに来てくれないか。エレナがここにいるんだが、どうも中々帰ろうとしない。昼前からずっとインターネットをしとるんじゃ が、 ちょっとそれが異常なんじゃよ。お前さんからなんか言ってくれんか。わしでは言うことをきかん」
 前日の事があってから、エレナにどんな顔をして会えばいいかわからない。
 しかし、そんな事を気にするよりも、カイルはエレナに会いたくて堪らず、特にこんな辛い日は、エレナを力強く抱きしめ、何もかも忘れたい気分だった。
 ポートが電話を掛けてくれなければ、エレナに会えるきっかけもなかったことだろう。
 却って、ポートからこのような頼みごとを持ちかけられて、カイルはとても有難かった。
「わかりました。今から迎えに行きます」
 通話ボタンを切った後、カイルは車に乗り込んでポートの家を目指した。
 辺りはすっかり暗く、夜の闇の中を彷徨っている気分だった。
 ライアンを殴り、エレナにキスを無理やり迫った罰が、仕事の失敗なのかと思うほど、カイルは衰弱しきっていた。
 体はだるく、車を運転するのも辛い。
 エレナに会いに行くという気力だけで、カイルはかろうじて自分を保っていた。

 ポートにうるさく何も言われないことで、エレナはインターネットに没頭し続けてたが、窓の外が真っ暗だったことに気がついて、どれだけの時間をここで費やしてしまったのか、やっと我に返った。
 好きなようにさせてくれたポートに感謝しつつも、ポートがどのように思っているのか想像するとエレナは怖かった。
 ポートは暖かみのある電球色に包まれた居間で、ソファーに座りテレビを観ている。
 後ろめたいため、目を伏せがちにして、エレナはもじもじと近づいた。
「あ、あの、ポートさんごめんなさい。つい夢中になっちゃって。本当にごめんなさい」
「やっと終わったか。エレナは夢中になると周りが何も見えなくなるからのう。まあ、これで満足したか?」
「はい。とても助かりました」
「しかし、一体何をそんなに夢中になってたんじゃ? そこまでして何を調べてるんじゃ?」
「えっ、そ、その、それは…… なんか面白くなっちゃってやめられなかったの」
 やめられなかったのは嘘ではないが、正直に本当の事は話せなかった。
「まあ、お前さんのことだから、他に何か理由があるんだろうけど、あまり無茶をするんじゃないぞ。今度は程ほどにするなら、またいつでもここに来ていいから」
「ポートさん本当にありがとう。今度はこんなにも長く使わないからまた時々使わせてね。これからは程ほどにするから」
「まあ、わしは正直なところ構わんけどな。エレナは今まで施設で我慢する事も多かったから、ここに来たとき位は、羽目を外しても、わしゃ、気にせんわい」
「ありがとう、ポートさん。さすが太っ腹。大好き」
 エレナは飛びつくように抱きついた。
「おいおい、抱きつく相手、間違っとるぞ」
「えっ?」
「とにかく、ちょっとここに座りなさい」
 珍しくポートがお説教するのかと思うと、エレナはまじめな面持ちで、ポートの隣に腰掛けた。
「エレナも、そろそろ、周りの事をよく見て行動するんじゃな。そうじゃないと、お前さんは糸の切れた風船じゃ。どこへ飛んで行くかわからん」
「わかってる。私も、いつまでも皆に頼ってる訳にはいかないって思う。しっかりしないといけないんだけど、一つの事に気をとられると、どうしても周りが見えなくなっちゃって、ムキになっちゃうの」
「突っ走る事は別に悪いことじゃないぞ。それだけ一生懸命で、やり遂げようとする意志があるってことじゃ。だがのう、お前さんは、極端なんじゃ。ぼーっと してるかと思えば、急に走っておるし、そして肝心な事に気がつかないでおる。カイルの事もそうじゃ。一緒にいつも居るくせに、その意味がわかっておらん。 わしゃ見てて歯がゆいぞ。もう少し、カイルの事考えてやってくれないか」
「あっ、そ、それは」
 いきなりカイルの話になってエレナは戸惑った。
「わしが言えた義理でもないが、カイルにはエレナが必要じゃ。後はエレナがカイルをどう思うか次第だからのう。もしかして、エレナには他に好きな人がいるのか?」
「えっ、そ、それは、私……」
 エレナの瞳が小刻みに揺れ、呼吸が乱れていた。
 ポートはそれを見て何かを感じた。
「まあ、こればっかりはな、わしが何を言ったところで、どうしようもないわな。すまんかったエレナ。気にするな。わしも、老いぼれた爺さんだから、つい若者の事に口を挟みたくなっただけじゃ。エレナの気持ちが一番大事だから、エレナが好きだと思う人を選べばいい」
「私、まだ、そういうの、わからなくて……」
「なんか迷ってるみたいじゃのう」
「えっ、違うの! その、私、その……」
 自分でもわかってない気持ちを、言葉にできるわけがなかった。
 しかし、ライアンとカイルの間でエレナは揺れ動いているのも事実だった。
 二人からあれだけ激しい告白をされた後では、どのように答えていいのかわからないでいる。
 しかし、エレナの気持ちとして、心惹かれる方はわかっていたが、その名前を言うのが自分でも怖く、まだどこかで気の迷いだと否定していた。
 言葉につまり、あたふたしているエレナを見て、ポートは優しく見守るしかなかった。
「さてと、そろそろお迎えが来たぞ」
 表庭に入って来た車の気配をポートは感じ取った。
「お迎え?」
「お前さん、どうやってこんな時間に家に帰るつもりだったんだ?」
「まだバスは通ってるわ」
「こんな暗い夜道にバスで帰るのは危ないだろ。わしがそんな事させるわけがないぞ。だからお迎えを呼んだんだ」
「お迎えって、まさか、カイル?」
「そうじゃ、カイルなら任せて安心だからな」
「ちょ、ちょっと待って。私、バスに乗って帰りますから」
「どうした、何をそんなに慌てとる? わしが変なことを言ったからか?」
「ち、違います。その、カイルだって仕事で疲れてるし、そんな迷惑をかけるのも悪いし」
「しかし、もうここに来とるぞ」
 そしてタイミングよくドアがノックされた音が聞こえると、エレナはこの上なくドキッとして、緊張してしまった。
 前日にあんなことがあってから、エレナもこんなにすぐに顔を合わすのが躊躇われる。
 一人そわそわと落ち着かないでいるとき、すでにポートは玄関のドアを開けていた。
 その側でジョンが尻尾を振ってカイルを出迎えていた。
「カイル、突然呼んですまんかったのう」
「いえ、ちょうど家に帰るときでしたから、よかったです」
 抑揚なく、淡々と語るカイルの様子にポートは首を傾げた。
「なんだか元気がないようじゃが」
「いえ、そんな事ないです」
 カイルはジョンの頭を撫ぜて、誤魔化していた。
「そうかい、それならいいんじゃが。とにかくエレナを送ってやってくれ」
 ソファーに座ったままエレナは固まっていた。
 カイルとポートが同時にエレナを見ている。
 エレナはどうしていいのかわからないまま、すくっと立ち上がり、体を硬直させて玄関に向かった。
「ハーイ、カイル。来てくれてありがとう……」 
「こんな事大したことないよ」
 エレナ自身もぎこちなかったが、カイルも様子がいつもと違っていた。
 この時はまだ、前日の事が影響してお互い気まずくなっているとエレナは思っていた。
 カイルは先にスタスタと車に向かい、エレナはもう一度ポートにお礼を言ってハグをし、そしてジョンの頭を撫ぜてから、その後を追いかけた。
 二人が車に乗り込んだあと、暫くしてクラクションが一度鳴り、そして車が去っていく。
 それを見届け、ポートは二人が上手く行くことを願っていた。

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