第八章


「まだ見つからんのか」
 高層ビルが集まる大都市。
 摩天楼を見下ろす、最上階のビルのオフィスで、並べ立てた部下を前に、イライラとしては歩き回る男がいた。
 ふくよかな体ながら、特注にあつらえたブランド物のスーツを着こなし、トップに立つ相応しい貫禄があった。
 その目は欲にまみれて抜け目なく、悪事を働くことになんの戸惑いも見せない肝の座った図太さが現れている。
 太い指先で葉巻を挟み、ふてぶてしく口に咥えては、時折小指にはめた悪趣味な金の指輪がきらりと光っていた。
 世界でも有名な大企業のトップでもあるが、裏の顔も持っており、金のためなら平気で悪事も働く。
 その世界では名を知られる闇の企業でもあった。
 この男の名前はゴードン・デスモンドといい、デスモンドグループの最高責任者ではあるが、闇の帝王という方が似合っていた。
 だが、表向きは優良企業であり、経済に多大な影響力を持ち、色んな悪い噂があっても、その証拠はなく、誰も太刀打ちできないまま、のさばっていた。
 裏ではならず者国家などに闇ルートを利用して武器販売をし、ドラッグや臓器売買といった違法な行為にも関与していた。
 そこには決して表に出ない闇の組織を作り、完璧に足のつかないようにしている。
 噂は流れるが、その実態はいつも闇に葬られ誰も裁く事はできなかった。
 世界を牛耳り、思いのままに操る陰謀を企てるため、デスモンドと手を組みたい輩は沢山いた。
 そこには企業のトップ、一部の国の政治家、さらにギャングなどが支配下に入り、あちこちでデスモンドのために便宜を図る。
 豊富な資金を持ち、スポンサーになることで誰も逆らうものはいない構図が出来上がっていた。
 その時代の最先端を常に先読みし、金になりそうな事は絶えず手を出すことでも有名で、利権がらみにはうるさい。
 警察機関も国のトップも、その黒い噂を知りながら手も足も出ずにいつも歯がゆい思いをしていた。
 しかし、デスモンドはあまりにも狡猾で、悪事を暴こうとする者が現れれば容赦なく消してしまう。
 そのため、生半可に近寄るものも居ず、見てみぬフリがまかり通るようになってしまっていた。
 欲しいもの全てを手に入れるため、それができない時は、デスモンドは我慢できない。
 例えそれがほんの些細なことであっても、デスモンドは諦めず、最後まで手に入れようとする拘りをもっていた。
 ここまで世界を牛耳れる男が、一つでも手に入れられないものがあると、恥を感じるぐらいだった。
「無駄に年月だけが過ぎてしまった。なぜこんなにも、時間が掛かるのだ」
 デスモンドの前には何人かの黒尽くめの男達が、黙って立っていた。
 彼らは、闇の組織と表向きの企業の間で、デスモンドの側近として、最高幹部として動く者達だった。
 その中にDも混じっている。
 周りの男達と比べると、一番若造ではあるが、何の引けも取らず堂々とした態度で貫禄を見せていた。
「いいか、お前たちはこのわしに選ばれた優秀なもの達だ。一刻も早くコナー博士の発明したものを探し出せ。この十年間コナー博士は沈黙を守ってきた。もう 限界だ。例のあれは彼の娘が隠しているらしいじゃないか。一刻も早く娘を見つけ出すんだ。娘が出てくればコナー博士もわし達に協力せずにはいられないだろ う。娘は少々痛い目に合わせてもいいが殺すなよ」
 デスモンドはそう言って部屋から出ていった。
 たった一つ、まだ達成していないものが、これだった。
 すでに諦めてよさそうなものを、デスモンドのプライドが許せず、執拗に追いかける。
 これが、エレナに係わる事件だった。
 Dは周りの者と同じ表情をし、組織の責任を伴う威厳を持って立っているが、その腹の底では、デスモンドを憎んでいる。
 コナー博士を助け出し、エレナを絶対に守りぬかなければならない。
 自分の命に代えても──。
 憎き組織に所属しても、忠実に命令を聞き、誰よりも危ない仕事を自ら進んでする。
 そんなDだからこそ、組織はDが裏切っているなどと微塵も感じなかった。
 内部に入り込んで敵の懐を常に知ることができるからこそ、エレナをここまで守れてきた。
 ハワードに依頼をしたのも、もしものための予防策として、自分の味方が欲しかったからだった。
 だが、それも限界に達している。
 これ以上の情報錯乱はD自身疑われる可能性も出てくる。
 それだけ、時間が経ちすぎ、こんな事に対応できないこと事態おかしいと、内部の裏切りに気づく輩が必ずでてくるはずである。
 時間が経てば、この一区切りの節目というのは、特に見直しがあるために、洗いざらい小さな事も調べにかかる。
 そこに齟齬を見つけられたら一環の終わりだった。
 長々と続いたデスモンドの叱咤激励がようやく終わった。
 それと同時に、リーダーのJが指示を出す。
「お前ら、ついてこい」
JはDを含む部下5人を引き連れて、このビルにある秘密の場所へと向かう。
 一般のものが乗り込めない特別エレベーターを使い、その地下へと下りていく。
 そこは厳重に警備され、監視カメラですべての箇所が管理されていた。
 その一角に、入り口を鉄格子で区切られたスペースがあり、まるで留置場のように人を隔離する場所がある。
 そこまで来ると、銃を持った男が厳しく一人一人のIDチェックをし、そして入り口電子ロックを解除した。
 Jたちがその鉄格子のドアを潜ってる間、警備員は姿勢を正し敬礼して見送る。
 全員が入ったところで、再びロックをかけるという厳重さだった。
 男達は薄暗い廊下を歩いていき、その奥の部屋を目指した。
 そこにも二人の見張りが左右に立って厳重体制をとっていた。
「変わった事はないか」
 Jが尋ねると、見張りは首を横に振った。
 その部屋のロックが解除され、ドアが開くと、男達は中に入っていった。
 その部屋は狭く窓が一つもないが、ベッド、バスルーム、空調が管理され、生活する最低条件が揃っていた。
 その部屋の隅のベッドの上に首をうな垂れ、やつれきった男が一人腰掛けている。
「コナー博士。ご機嫌はいかがかね。あなたがここに来てからもう十年という年月が過ぎてしまった。いい加減に我々に協力したらどうだ」
 そう切り出したのはリーダーのJだった。
 そしてこのコナー博士とはダニエル・コナー、すなわちエレナの父親なのである。
 ダニエルは視線も合わさず、沈黙を守っていた。
「まあいい、そうやって黙ってられるのも今だけ。これからあなたが一番会いたい人を我々はここに連れてくる。そうすればあなたも我々に協力するしかない。あなたを迎えに行った時に、一緒に連れてくるべきだったが、上手く逃げられたのが悔やんでならない」
「娘には関係のないことだ。娘は何も知らない」
 ダニエルは落ち着いた声で言った。
 顔を上げ、Jを見た後、ちらりとDを一瞥した。
 その時、Dの表情からエレナが無事であることを読み取った。
 ダニエルにはDが誰だかわかっていた。
「まあいいだろう。とにかく彼女がここへ来たら、あなたは、我々に嫌がおうでも協力せざるを得ない。あれから十年、彼女も美しく育っているに違いない。そんな美しい娘を傷物にされてもいいのか」
「娘には手を触れないでくれ。娘は本当に何も知らないんだ」
「だったら、なぜ私達に協力しないんだ」
「そっちこそ、早く私を始末したらどうかね。私の研究など、とるに足りないものだ。いい加減諦めたらどうだ」
「そういう訳にはいかない。あなたの研究は、今ある武器のあり方を根本から覆すほどの大発明。それを手に入れれば、戦争の戦い方まで変わってしまう。我々にはそれが必要だ」
「そんな事は不可能だ」
「もちろん、我々が造るのは無理に決まってる。だからこそ、その研究成果を元にあなたに作れといってるだけだ。あなたはメカニズムを解明し、それを応用す る技術まで研究を進めた。そしてたっぷりと資金をこちらが出すといっているのだから、それを造る事は科学者冥利につきるだろう。いつまでもこんなところで 何もせずにいるのはいかがなものか。いい加減ここを出たいと思わないか。我々の言うことを聞けば手厚くもてなされるのに、いつまでも意地をはるんじゃな い」
 ダニエルは俯き、黙り込んだ。
「とにかく娘は必ず見つける。その時は素直に従うんだな。娘のためにも」
 エレナの事を持ち出され、悔しそうに顔をしかめるダニエルを、Dは無表情を装ってみていた。
 このままでは本当にエレナを見つけられてしまう。
 Dもまたジレンマを抱え、腹の底では苦しんでいた。
 Jは用が済んだとばかりに、部下達を見据え、顎を一振りして部屋を出ることを指図する。
 その時、ダニエルを見ていたDに、鋭い視線を向けて一瞥した。
 Dは一瞬自分がどんな表情をしていたのか、気が気ではなかったが、他の部下達と同じように部屋を出て行った。
 所々に設置されていた、監視カメラを見つつ、来た道を戻り、エレベーターへ向かっていた。
 出入り口がこのエレベーターしかないため、どんなに計画しても、このセキュリティを掻い潜ってダニエルを救い出す事は、Dには難しかった。
 ダニエルを救い出すには、他の場所へ移動する時の一瞬の隙を突くしかなかった。
 しかし、それも一人でやるにはかなりのリスクがあった。
 ダニエルがここに監禁されている間は、命は生かされる。
 しかし、エレナが見つかってしまい、ダニエルが脅迫されて従うことになった後では、二人を同時に救う可能性はどんどん低くなる。
 ダニエルは飼われる研究者となり、エレナは一生捉われの身となって自由を束縛されてしまう。
 そんな事は絶対にさせてはいけない。
 しかし、Dにはこれと言って対策もなく、ひたすらエレナを匿うくらいしかできなかった。
 リーダーのJがエレナの情報を掴んでいるとは思えないが、あらゆる体制でエレナの所在地を追求していることは確かだった。
 このままでは本当に見つかってしまうのではとDは珍しく動揺していた。
 その前に、ダニエルが隠した研究資料をなんとしてでも手に入れたい。
 それがあれば、エレナはまだ自由の身でいられる可能性がある。
 博士は一体どこにそれを隠したというのか。
 エレナに直接訊いても、やはり本人は知る由もなかったが、ダニエルが密かになんらかの手段でエレナに伝えているとDは考えていた。
 だから公園でエレナに探せとメッセージを与えた。
 エレナは偶然にもハワードと接触し、そしてなんらかの動きがあるとハワードから連絡をもらったが、それはエレナが何かに気がついていると推測できる。
 しかし、エレナが動けば、組織に見つかる可能性も高くなってくる。
 研究資料が見つかるのが先か、エレナが見つかってしまうのが先か──。
 エレベーターに乗り込もうとしたとき、リーダーのJが声を掛けた。
「D、一体何を考えている」
「それはみんなと同じことだ」
「いや違う。お前はどこか他の奴と違うんだよ」
「どう違うというのだ」
「お前には我々とは違うものがこびりついている。仕事はきっちりと、しかも大胆にこなすが、それが却って俺の鼻につく」
「手柄を取られた悔しさか?」
「おい、D、慎め」
 他の部下がDを嗜めた。
「まあいい。お前は俺達の中で一番の若造だ。ここまでのし上がってきたことは認めてやろう。しかし、お前はこの先、慎まなければ命を落とすぞ」
「俺はいつだって命がけでやってる。それぐらいのリスクは常に背負ってる」
 この時Jは鼻で笑った。
「わかってないな、お前は」
 エレベーターが階に止まり、皆降りていく。
 そしてJはDとすれ違いざまに耳打ちした。
「敵は外にいるとは限らないぞ」
 Jはさっさとどこかへ歩いていく。
 Dは立ち止まり、Jの背中を見つめつつ、それこそ鼻で笑ってやった。
「ああ、その通りさ、敵は外に居るとは限らないぜ」
 DはJを始末する日が近いことを悟った。

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