第八章


 ライアンはエレナが連れ去られた状況を二人に話し、車から落ちたエレナが怪我を負ってることを示唆した。
 ライアンは助けられなかった自分に憤り、カイルは不安で胸が押しつぶされそうになっていた。
 ハワードだけが、いつもと変わらない態度で冷静ではいたが、その心の奥底は色々なことを巡らしていた。
 三人はそれぞれの自分の乗り物で事務所を目指した。
 先に事務所についたのはライアンだった。
 その後すぐにカイルが到着し、二人は事務所のドアの前で気まずく立ち、ハワードがやってくるのを待っていた。
 カイルはライアンの頬を見つめ、うっすらとした痣があるのに気がついた。
 自分が殴った痕なだけに、何も言わないわけにはいかなかった。
「殴ってすまなかった」
「ああ、あれは効いたぜ。しかし、もう済んだ事だ。それに、あれは俺が悪かったんだよ。すまなかった。それよりも、エレナと婚約したんだってな。心から祝福するよ」
「祝ってくれるなら、エレナを無事に救出してからにしてくれ」
「ああ、そうだな。安心しな、俺の親父もついてるし、ハワードも絶対なんとかしてくれるさ」
 カイルは先行きがわからない事で何も答えられなかった。
 辛そうにしているカイルの表情を見るとライアンは、助けられなかった自分の責任を感じてしまう。
 エレナを好きになってしまってカイルを怒らした事を含め、ライアンはなんとかしたいと思った。
「それに、俺だっているじゃないか。絶対エレナを救い出してやる。お前のためにもな」
「ライアン……」
 エレナの事をすでに諦めて、親友としての信頼を取り戻そうとしているライアンの気持ちがカイルに伝わってくる。
 ゴタゴタはあったとは言え、事が起こった結果が今に繋がるだけに、カイルは複雑だった。
 決してそのお蔭でこうなったとは一括りにしたくはないが、この時ライアンを許せる気持ちになっていた。
 エレナがさらわれてしまった以上、ここはいつまでも意地を張っている訳にはいかなかった。
「そうだな、エレナはきっと僕達が救い出す。絶対に」
 カイルがライアンときっちりと向かい合ったことで、二人のわだかまりがなくなった。
 完全に元に戻るにはまだ時間がかかるかもしれないが、二人はまた信頼し始めようとするのが感じられた。
 そして、その時、ハワードがやってきて、やっと事務所のドアが開かれた。

 静寂な事務所で、誰もが一言も喋らず、デスクについて、コンピューターを操作しているハワードに、ライアンとカイルは期待を寄せて見ていた。
 ハワードのカチャカチャとキーボードを打つ音に耳を澄ませ、二人は固唾を飲んでいた。
 この時、ハワードはエレナのメモに書かれていた教会について調べているところだった。
 そして、ハワードの動きが止まった。
「これを見てくれ」
 ライアンとカイルがコンピューターの画面を覗き込むと、そこにはステンドグラスの写真が掲載されていた。
 ステンドグラスらしい、よくある色と色の組み合わせだが、そこに青いバラが散りばめられていたのを見て、二人ははっとした。
「エレナはこれを見たとき、自分のオルゴールの青いバラと何か関係があると思ったんだろう」
「ハワード、その教会はどこにあるんだ」
 カイルが尋ねた。
 ハワードがその場所を知らせると、カイルははっとした。
 それと同じようにライアンも驚いた顔をしていた。
「その辺りは、確か以前エレナが住んでた場所かもしれない。そんな話を昔聞いたことがある」
「えっ、ちょっと待ってくれ、俺も、以前にその辺りに住んでたことがある……」
「なんだって?」
 カイルはライアンに振り向いた。
 ライアンも不思議そうな顔をしては、見つめ返した。
「とにかくだ、エレナは以前自分の住んでた街に、この青いバラのステンドグラスがあったから気になったというのは間違いない。もしかしたら、ここに行けば何かヒントがあるのかもしれない」
「だけど、どうやってそこへ行くつもりだ。車では時間がかかりすぎるぜ。飛行機でもないとすぐにはいけないとこだぞ」
「飛行機なら僕がチャーターしよう。会社専用のがある」
 カイルの一声にライアンは目を丸くした。
「カイル、すげぇー。スケールが違うぜ」
 カイルは携帯を取り出し、パイロットに飛行機のエンジンを温めておくようすぐに連絡を取り付ける。
 ライアンはその姿を見て、やはり敵わないとふーっと溜息を洩らしていた。

 一方で、Dは、ぐったりとして意識を失っているエレナを見つめて顔を歪ませていた。
「すまない、エレナ」
 普段は冷静沈着に行動するDだが、ここぞとばかりに取り乱していた。
 緊急事態に備えていたものの、全く予期せぬところからエレナの情報が出てしまい、それをリーダーのJの情報網がすばやくキャッチすることを恐れ、一刻も争う時だった。
 小さな情報でも洩らさず、すぐに動き出す体制をとっているJなら、エレナの名前を媒体で見ただけでも必ず反応する。
 確認するより前に、その人物の元に行く。
 偶然にもDがこの時一番近くにいたために、エレナの元にすぐに駆けつけられたが、もし遅れていたらエレナはJによって捉えられていたことだろう。
 間一髪だった。
 一つ幸いなのは、Jが掴んだ情報はDには絶対に知らせないという事だった。
 Dの事を毛嫌いしてるだけに、手柄を横取りされるのを阻止するためだ。
 とりあえず知らないフリをしておけばいい。
 しかし、FBIが派手に動き出し、エレナが姿を消したことをどのように受け止めるかで、それは時間の問題かもしれない。
 暫くの時間稼ぎはできるが、この先の事を考えると、Dは珍しく動揺していた。
 この時、Dとエレナは空を移動していた。
 コックピットの隣の席にエレナを乗せている。
 エレナの頬に自分の手を軽く触れさせ、Dは頬の形をなぞるように優しく撫ぜては、溢れる思いを堪えるように奥歯をかみ締めた。
 取り返しのつかない過去はDの思いを無残にも砕け散らせた。
 その時、エレナの小さく呻く声が喉の奥から漏れた。
 朦朧としているエレナは、自分がどうなっているのかわからずに、苦しそうにしている。
 エレナの意識が戻りつつあったこの時、Dはエレナの口元に布を当てた。
 エレナは再び目を閉じ眠りについてしまった。
「初めからこうすればよかったんだ」
 薬を使ってエレナを眠らせてから連れてくるべきだったと、Dは後悔していた。
 事情を車の中で話すつもりが、エレナが暴れたために、上手く車の中に誘導できなかった。
 そこにライアンが来てしまい、エレナは無茶な行動にでてしまった。
 Dは自分の失態を悔やんだ。
 しかし、今はそんな事を考えている暇はない。
 Dは目的地へと急いだ。

 エレナが目を覚ました時、辺りはとても静かで、誰も居なかった。
 徐々に意識がはっきりとしてくると、自分がベッドに寝かされていることに気がつく。
 見える範囲で周りを見れば、なぜか初めて見た気がしない。
 机や本棚の家具には見覚えがあり、そこに熊のぬいぐるみが目に入った時、はっとした。
「ここは、私の部屋……」
 咄嗟に、体を起こそうとするが、痛みが酷くて唸ってしまった。
 その時、自分が車から落ちてしまったことを思い出した。
「あっ、ライアン!」
 それと同時に赤いバイクで駆けつけて、自分を助けようとしてくれたライアンが頭によぎった。
 なんとかして起き上がろうと、エレナは痛いのを堪えて、体を起こそうとするが、あまりの激痛にエレナは立ち上がれずにベッドから転げ落ちてしまった。
 ドシンと床に落ちた衝撃が、また体の痛みを増幅させ、エレナは悲鳴を上げてしまった。
 そしてそのすぐ後に突然ドアが開き、Dが駆け寄ってきた。
「大丈夫か」
「あなたは誰? 私をどうする気なの?」
 エレナは困惑し、再びパニックに陥り、Dが抱えようとするも必死で抵抗した。
「は、離して」
「落ち着くんだ、エレナ」
 抵抗して暴れるエレナの手が、Dのサングラスを吹き飛ばした。
 そこには優しいブルーの瞳がエレナを心配して覗き込んでいる。
 エレナの動きが止まり、暫くその目に釘付けになった。
 ずっと昔にもこんな風に自分を見つめる人が居た。
 大人しくなったエレナをDは抱えて、再びベッドに寝かせてやった。
「手荒な真似をしてすまなかった。君を傷つけるつもりはなかった」
 やるせない思いに、瞳を潤わせて、深くエレナを見つめている。
 体は逞しく、男らしい厳つさを感じるが、その瞳からはどこか繊細で壊れやすいものが伝わってくる。
 エレナは、ようやく思い出した。
 思い出した後は、しっかりとその面影が浮き上がった。
「レイ…… あなたはレイでしょ」
「エレナ、覚えていてくれたんだね」
 レイと呼ばれたことで、封じ込めていた部分がじわりと溶け出していく。
 ずっと昔、エレナと兄妹のように過ごした日々が再び思い出され、Dは、この時レイとして本来の自分の姿に戻っていた。
 レイの父親とエレナの父親が激しく言い争って、それ以来姿を消してから十年ぶりの再会だった。
「でも一体なぜこんなことを、どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「すまないエレナ。私は君に会わせる顔がなかった。私の父が欲に目がくらみ、悪事に手を染めた研究をしたことで、コナー博士を裏切ることになってしまっ た。全ては私の父のせいでコナー博士が捕まったんだ。あの時の言い争いは、コナー博士が父を説得しようとしてたんだ。しかし、父は聞く耳を持たず、魂を悪 魔に売って、そしてあの悲劇が起こってしまった」
「だからと言って、レイには罪はないわ」
「いや、私はどうしてもコナー博士を救いださなければならなかったし、そしてエレナを守りたかった。そのためには本来の自分を捨て、エレナを追ってる組織に入る必要があった」
「それで、今まで隠れてずっと私を助けてくれてたのね」
「だが、却って君を苦しませてしまった。救うどころか、こんなにも大怪我させてしまった」
「ううん、こんなの大丈夫だから。心配しないで」
「エレナはいつだってそうだった。自分を犠牲にしてまで、無理をするんだ」
 微笑んでいるエレナが、相当無理をしているのがレイには心苦しい。
 エレナの顔色は悪く、体は全身を強く打って相当のダメージを受けているのが目に見える。
「エレナ、必ずコナー博士を助け出す。君は何も心配しないでここでゆっくり休んでいればいい。まさか君がここに戻って来ているとは誰も思わないし、私が情報をコントロールしているからここは安全だ」
「わかったわ……」
 言葉を発するだけでも、エレナには負担が掛かっていた。
「もう何もしゃべらなくていい。後で薬を持ってくるから、とにかく安静にしておくんだ」
 レイはエレナの柔らかな頬に触れ、軽くさすった。
 エレナはそこに安心感を得て目を閉じていた。
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