第九章


 エレナが自分の部屋で、再び目を覚ました時、全てが夢のように思えたが、枕元に封筒が置かれていたことで夢ではなかった事を思い知らされた。
 デイビッドが自分の父親だと言われても、突然の事に実感が湧かず、ずっと父だと思っていたダニエルとは、全く血の繋がりがないことも信じられなかった。
 事実は衝撃だったが、それでもエレナは嘘をついていたダニエルの事は、憎む事などできなかった。
 ダニエルと一緒に住んでた頃は、不自由のない生活ができたし、何よりもダニエルはエレナを心から愛して本当の娘のように大切に育ててくれた。
 ダニエルも、いつかは知らせなければいけないと思いつつ、真実を告げられずに苦しんでいたに違いない。
 そんなダニエルの事を思うと、エレナはいてもたってもいられなかった。
 なんとしてでも助けなければならない。
 再びエレナは気力を奮い起こしていた。

 居間でハワード、ライアン、カイルが、目の前のローテーブルに置いたオルゴールを見つめながら、この日の出来事を話していた。
「このオルゴールの『D』と『M』というのはデイビッドとマリーという意味だったんだ」
 ハワードが言った。
「コナー博士はわざわざこのオルゴールを自ら作ったということは……」
 ライアンが言った後をカイルが続けた。
「エレナに自分の口から直接伝えにくかった。だけど真実は知らせなくてはならなかった」
「そうだ、知らせなくてはならなかった。組織に狙われていることを知って自分の命が危ない事に気が付き、慌ててデイビッドの遺品を探し出した。エレナに本 当の父親の遺品を渡してやりたかった。偶然それが楽譜だったのでこのオルゴールを作ることによって、マリーとデイビッドが愛し合っていた事をメッセージと して残した」
 ハワードがそう推測すると、ライアンもカイルも切ない気持ちになった。
 暫く黙り込んでいる時に、楽譜の入った封筒を手にしてエレナが部屋に入って来た。
「みんな、今日は色々とありがとう」
「エレナ、寝てなくちゃだめだ」
 カイルが側によりエレナを支えようとするが、エレナはそれを拒み、気丈に振舞い自らソファーに座った。
「私なら大丈夫。それよりも皆に迷惑を沢山かけてしまったわ。本当にごめんなさい」
「僕達はいいんだよ。それよりも、君の体の具合の方が心配だ」
 怪我もそうだが、精神的にもショックが続き、カイルは不安になっていた。
 体の痛みは軽減されず、相変わらず苦しいが、エレナはそれを表に出さないようにしていた。
 カイルを見つめて、笑顔を見せる。
「私の体の事よりも、今は、研究資料の方が問題だわ」
「だけどさ、どこにその研究資料は隠されているんだろう。ハワード何かわかったか? 一応、点は増えたぞ。線で繋がるのか?」
 ライアンが訊いた。
「うむ、オルゴールと青いバラについては、点と線は繋がり、その謎も解けた。だが、博士の研究資料については全くの点がない。それとも私が見落としているのだろうか。皆はどう思う?」
「ハワードがわからない事を僕達が気づく訳がない」
 カイルは首を振る。
 ライアンは腕を組んでじっと考えていた。
 そしておもむろに口を開いた。
「ハワードは、いつも事件を解決する時って、何を基準に動くんだ」
「どういう意味だ、ライアン」
「いや、今まで調査したり謎を解く時って、どんな手順を踏んでやってるのかなって思って」
「それは、とにかくありとあらゆる情報を集め、そこから繋がることを探していく」
「それが点と線ってことだろう。そこにハワードの勘も入るのか」
「ああ、直感で感じた事も含め、そこから何か新たなことが見つからないか探す」
「だったらさ、ハワードの勘は今どういう風になってるんだ? 何か感じる事ってあるか?」
「可能性としては一つ思うこともあるが、しかし、それだと、辻褄が全く合わなくなる」
「えっ、ハワード何か気がついたのか? もったいぶらないで教えてよ」
 カイルが言った。
 ハワードは、「うむ」と声を発して目を閉じて考え込んだ。
「やっぱり、そんな事すぐには言えないよな。実は、俺もさ、多分ハワードと同じ事を思ってると思うんだ」
「そうか、ライアンもその結果になったか」
「ちょっと、ライアンもハワードも一体何を話してるんだ」
 カイルだけがわからずにイライラしていた。
「だから、研究資料についての点が見当たらないということが、この場合おかしいのさ。例えばさ、百万年生きるカメがペットショップで売られていたとするだろ。それを買って家に持って帰ったら次の日に死んでしまった。それはなぜだかわかるか」
「ライアン、こんなときに冗談はよせ」
 カイルはイライラした。
「ライアンらしい、面白い例えだ」
「なんだよハワードまで、一体何を話しているんだ。不謹慎だぞ」
 カイルはエレナを心配して一瞥した。
 エレナは首を傾げていた。
「だから答えは簡単なんだよ。カメにとってその日が百万年目だったってこと」
 ライアンがそういうと、カイルは益々訳がわからなくなった。
「それと研究資料とどういう関係があるんだ」
「つまりライアンが言いたいのは、色んな事に惑わされずに物事の本質を考えればわかるということだ。コナー博士の研究資料はこの十年間皆探し続けた。そしていかにもそれが、どこかにあるかのように、皆信じてやまなかった」
 ハワードがそう言うとライアンが続けた。
「だから、裏を返せば初めからその研究資料は存在しなかったんだよ。存在しないものは探しても出て来る訳がない」
「恐らくコナー博士が十年間沈黙を守ってきたのは、本人が存在しないことを知っていた。また嘘がばれてしまえば自分も殺される事もわかっていた。だから沈黙を通さなければならなかった」
 ハワードが推測した。
「それじゃなんのためにそんな嘘を言わなくてはならなかったんだ。しかも危険な組織がスポンサーにつくような発明をしたなんていう嘘を」
 カイルが言った。
「だからそこが矛盾して辻褄が合わなくなるんだ。コナー博士が研究を捏造して資金を集めたいのなら、デスモンドが食いつくのは有難い事になる。だがコナー 博士は、レイの父親にデスモンドの悪事を知らせ、やめさせようとした。しかも警察にまでデスモンドの悪事を知らせようとしている。こうなると嘘の研究をし た理由がなんなのかが浮いてくる」
 ハワードはまた考え込んだ。
「最初は資金集めのために嘘の研究をしたけど、結局はデスモンドの悪事に怖気ついたとか?」
「カイル、父はお金のために研究の捏造なんかする人じゃないわ」
「あっ、ごめん、エレナ。例えばの話だから……」
「うん、わかってるわ……」
 エレナも考え込んでいた。
「コナー博士は嘘の研究などする人ではない。コナー博士の信用とその実績は誰もが認めている。それなのに、嘘の研究をしなければならない理由となると……」
 ハワードが言った時、エレナは突然思い出したようにはっとした。
 そしてライアンを見つめた。
「ん?」
「スタークさんが言ってた」
「えっ、俺の親父?」
「スタークさんに父が何をしていたのか聞いたとき、警察のために協力してくれていたとちらっと洩らしてたわ……」
「警察に協力?」
「それって、もしかしたら、父は警察のために嘘の研究をしたってことなのかもしれない」
「あっ!」
 ライアンははっとした。
「そうか、デスモンドの悪事を暴く、いわゆるおとり捜査に協力したということか」
 ハワードも気がついて納得していた。
「えっ! それって、俺の親父のせいじゃないか。なんてこった。すまない、エレナ」
「ライアンが謝ることなんてないわ。それにスタークさんのせいでもないわ。悪いのは全てデスモンドよ」
 エレナにそう言われても、ライアンは悔しさがにじみだし、感情が高ぶってはいたたまれなくなった。
 自分の感情の赴くままにエレナを抱きしめて、全ての許しを請いたい。
 その気持ちを抑えるために、ライアンは立ち上がり、窓辺へ向かった。
「だけど、警察も何かを探していたわ。父の研究資料が最初から存在していないのを知っていたのなら、一体何を探していたのかしら?」
「デスモンドの悪事を暴く証拠だろう。コナー博士はデスモンドをおびき寄せ、警察に有利になる証拠を手に入れようとしていた」
 一つの疑問が解決してからハワードの筋道はどんどん立っていく。
「それじゃ、その証拠はどこにあるんだ?」
 カイルが訊いた。
「私の推測だが、警察にすぐに渡せずに、どこかに一時的に隠したかも知れないが、今それはレイが持ってるのかもしれない。レイは表向き組織の人間だ。しか しデスモンドの悪事の証拠を握っていれば、それは自分を助ける保険となる。 恐らくコナー博士がいざと言うときのために、集めたデスモンドの悪事の証拠を、最終的にレイに託したに違いない。レイを救い出すために。そしてレイもア レックスの事を良く知っている様だった。きっとエレナを守るために何かの情報をアレックスに知らせていたのだろう」
 エレナも、レイがアレックスに情報を流していることは、疾うの昔に気がついていた。
 アレックスもダニエルが生きていることを自分しか知らないと言っていたのは、レイがそれを教えていたということだ。
 エレナはようやく気がついた。
 なぜこの事件が公にできず、極秘で、誰も充分に説明してくれなかったのか。
 ダニエルを救うためには絶対におとり捜査だったという事は知られてならなかった。
 そして、そんな危険に遭わせてしまった事を、娘であるエレナに話せる訳がない。
 エレナの感情は再び高揚し、決意が固まった。
「私、今から父を救いに行くわ!」
 エレナは最後に残っている力を振り絞り、精一杯背筋を伸ばした。
「そんな無茶な。エレナの体の具合いも悪いのに、しかも研究資料なんか存在しないんだ。それこそ君の命まで危なくなる」
 カイルはこの時ばかりは猛反対だった。
「最初から何もかも嘘なら、もちろん研究資料も嘘で突き通すわ。もうこれしか方法はないの」
 それは力強く部屋に声が響いた。
「うむ、私もそれしか方法はないと思う。レイも私達が資料を見つけだして持ってくると思っているだろうし、それに、残されている時間も限られている」
「ハワードまで、なんだよ」
「カイル、もちろん、エレナの体の事は心配だ。しかし、切羽詰ってるのも事実だ。このままエレナが逃げ続けられるかも怪しくなる。それこそ、今、エレナが捉まったら、嘘がばれた時、博士もエレナももっと危なくなる」
「やめてくれよ、ハワード。どっちにしたって最悪じゃないか」
 カイルは取り乱してしまった。
「落ち着けカイル。俺が必ずエレナを守る。絶対にエレナを危険な目に遭わせないと誓う」
「ライアンはすでに乗り込むつもりかよ。いくらライアンが口でそんな事を言っても、信じられるか。ここは警察に行った方がいい」
「そんな事をしても無駄よ。今まで父がずっとデスモンドに捉われてるってわかっていても、証拠がなくて手が出せなかったのよ。警察に行ったってなんの解決にもならないわ」
「だけど、エレナ……」
「カイル、私なら大丈夫。レイも側にいてくれてるのよ。それにスタークさんの息子のライアンが居れば、デスモンドだって下手に動けないはずよ。お願い。今までの長い追われていた生活にピリオドを打ちたいの。いい加減に全てを解決して、自由に羽ばたきたいの」
 自由に羽ばたきたいというエレナの言葉は、カイルの胸に響いた。
 かつて自分も同じ思いを持ち悩んでいた。
 全てのことから解放されるのなら誰しもそのチャンスに希望をかけたくなる。
 カイルは心配で打ちひしがれそうになりながらも、エレナを肯定するしかなかった。
「エレナ、わかったよ。君はやはり熱くなったら誰にも止められないね。だけど絶対に危険な事は避けてくれ。ライアンどんな事があってもエレナを守ってくれよ」
「ああ、当たり前だ。必ずエレナを守るよ」
「レイを信じよう。きっと博士をうまく救い出してくれるだろう」
 ハワードも言った。
 エレナは胸に抱えていた封筒を皆の前に突き出した。
「これを持っていくわ。きっと私の本当の父も守ってくれるわ」
 ここまで来るとエレナは何がなんでも突進む。
 皆が賛同してくれたことで、エレナは最後の力を振り絞ろうとしている。
 しかし、それは本当に自分の残っている無理をした力だった。
 エレナの体はこの時、気力だけでここまで動けることの方が不思議なくらいだった。
 体は相当負担がかかり、熱を帯びている。
 この時は自分の体の事よりも、父、ダニエルを救うことしか考えてなかったために、あとどれくらい体が持つかなどと自分で心配などしてられなかった
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