Brilliant Emerald

第一章

4 

 遠くに山が重なって屹立し、周りは畑や田んぼが広がり、その間を整備されていないあぜ道が伸びていた。
 ユキを先頭に少し距離を開けて、黒髪と金髪の外国人が、タンポポや雑草に飾られたのどかな田舎道を歩いている。
 視界が広がる広々とした土地に、ポツポツと家が所々に建っているのが見渡せた。
 その前方、小山を背にして小高い場所に建っている緑に囲まれた家。それがユキの住まいだった。
 二階建ての日本家屋。低木の茂みに覆われた庭が広く、ご近所さんといえる家が近くにない。
 誰にも邪魔されないようなもの静かで落ち着いた佇まいだった。
「ここが私の家」
 ユキが立ち止まって知らせた。
 トイラの悲しみを察して少し暗くなっていたキースだったが、ユキの家を目の前にすると、すっかり気分を入れ替えていつもの調子に戻っていた。
「へぇ、ここがユキの家か。なかなか大きいな」
 悪くはないと、まずまずの佇まいに満足し、ここでの生活を楽しもうと明るく振舞う。
 トイラは家や周辺を鋭く見つめ、辺りの様子を窺っていた。
「大丈夫だ。問題ない」
 キースに確認を取るように呟いた。
「そこはいい家だって言えばいいでしょ。なんで素直に褒めないのよ」
 ユキに言われトイラは言い直す。
「ああ、いい家だ。ユキが小さい頃育った家か?」
「そうよ。海外暮らしが長かったけど、ここで育ったことには変わりないわ」
「ここで住もうとなんで思ったの?」
 キースが言った。
「この土地を選んだのは父なんだけど、なんでもこのあたりは自然の宝庫で、山には沢山動物がいてそれが気に入ったんだって。父はこの辺りには人を化かす狐や狸がいるとか言っていたわ」
「そんなのがいるのか?」
 トイラがはっとした。
「やだ、ただのこの辺にまつわる民話に決まってるでしょ。トイラって案外騙されやすいのね」
「あっ……」
 トイラは騙されやすいという言葉にハッとし、その後は口をつぐんだ。先ほどまで普通に話していたのに、また近寄りがたい雰囲気が漂ってきた。
「そんな話は後でいいから、早く僕たちを家に案内してよ」
 キースにせかされ、ユキは鍵を開けに玄関に近づいた。
 解錠して引き戸を開け、自分が先に入ってからふたりを中に招きいれようとするが、まずは首だけ突っ込んで念入りに匂いをかぎだしたのでびっくりしていた。
「ちょっと、臭いとでもいいたいの? とにかく上がって」
 ユキが憤慨したので、ふたりは三和土にさっさと踏み入る。言われたまま家の中に上がり込むが土足だった。
「ああっ! 靴! 靴脱いで!」
 急に叫んだユキにふたりは驚き、その場で慌てて靴を脱ぎだし、三和土に放り投げた。
「日本語はペラペラの癖に、そういうことは知らなかったの?」
 ユキはふたりが脱ぎ捨てた靴を調えながら呆れていた。
 そんな事もおかまいなしに、トイラとキースは体を低く構えて鼻をひくひくと動かし警戒していた。
 日本の習慣になれてないとはいえ、ふたりの行動は奇妙に思えた。
 それを尻目に、ユキは家の中を案内する。
 まず、手前にあった部屋の戸を引くと、和室が顔を覗かした。床の間には掛け軸がかけられている。
「ここが和室。日本らしいでしょ」
 ユキがふたりに入れと促すとふたりは鼻で深く息を吸い込んだ。
「森の匂いに似ている」
 トイラが小さく呟いた。
「これは畳の匂い。い草っていう植物で作ったマットよ。青々しい香り、気に入った?」
「ああ」
 トイラは素直に答えていた。
「それでこっちがね……」
 成り行きながら、ユキは家の中を案内し、それが終わるとふたりを居間のソファーに座らせた。
 日本風の家でありながら、モダンを取り入れて居間は洋風らしく、ダイニングキッチンと続いて広々としている。
 ユキはこれからどうすべきか、ふたりを目の前にして腕を組んで考え込んでいた。
「僕たち、迷惑かけないから。安心して」
 追い出されては困ると、キースが媚をうるような目つきで、慈悲を訴えている。
 その横でトイラは寡黙にじっとユキを見つめていた。
 その緑の目は捉えどころがなく、何を考えているのかわからなかった。またそれがユキを惑わした。
「とにかく、この状況をパパに説明してもらわないと、私だって何をすべきなのかわからないわ。とにかくパパの職場に連絡してみるわ?」
「博士なら、今日僕たちと入れ違いにカナダに行ったよ」
 しれっとまたキースが言った。
「えっ、嘘ぉ! そんなの聞いてない」
 ユキは仰天する。
「本当だ。君の父親は今日本にいない」
 大したことでもないように、トイラはあっさりと言った。
「今朝までパパと一緒にいたのよ。そんな大事なこと一言も言わなかった」
 納得するほうが難しい。連絡先も告げられないまま、蒸発するように父親が海外に行くなんて不自然すぎた。
 いや、目の前のふたりが来ただけで何もかもが不自然ではないか。
 これは夢に違いない。
 ユキは自分で耳を塞ぎ込み目を閉じて現実から逃れようとしていた。
 でも目を開ければ、ふたりはそこにいて、ユキをじっと見つめている。
「なんかもう訳がわかんない」
 ユキは急に力が抜けてへなへなと床に座り込んでしまった。
「大丈夫かい、ユキ」
 条件反射のようにすばやくユキに駆け寄り、トイラはユキの体を抱え込む。
 ユキの体がふわっと持ち上がったかと思うとトイラは抱きかかえてソファーに座らせてやった。
 それを見たキースがニヤッと笑みを浮かべていた。
「そうこなくっちゃ」
 キースが囃し立てると、トイラはまた自分を押し殺して無理に冷たい態度を装ってユキから離れた。
 ユキだけが理由(わけ)が分からずに放心状態でそれを見ていた。
 何かが起こっているのは確かだった。肝心な部分が全く思い当たることもなく見えてこない。
 でも直感が働いて何かを感じ取っているようにも思う。
 なんだかもやもやすると同時に、無性にトイラのことが気になってしまう。
 横目でトイラを見ながら、ユキは必死に絡まった毛糸を解こうとしていた。
 人が真剣に悩んでいるときにキースの暢気な声が邪魔をした。
「なあ、ユキ、お腹空いた」
 時計を見れば、まだ夕食にするには早かったが、キースは我慢ができそうになく、目をうるうるさせて媚びている。
「仕方ないわね。わかったわよ」
 ユキは立ち上がりキッチンに向かい、冷蔵庫を覗き何が作れるか考える。
 まずは片付けられる問題から片付ければいい。
 ふたりのために、夕食の準備にとりかかった。

 ユキは父親とふたり暮らしが長いので、家事は大体がユキが担っている。
 母親は早くから他界し、父親と助け合って暮らしてきたから、食事を作ることには問題ない。
 だが、このふたりが何を食べるのかがわからなかった。
 買い物している時間もなく、家にあるもので作るしかなかった。
 突然押しかけてきたふたりにいちいち気を遣うこともないと開き直ると、適当に準備しだした。


「いい、食べるときは、日本では両手を合わせて『いただきます』というのよ」
 テーブルに料理を並べ、日本の食事マナーをふたりに教え込むユキ。
 トイラとキースは言われたとおりに素直に「いただきます」と真似をした。
 その動作が不覚にもかわいいと思え、ユキは母性本能をくすぐられてしまった。
 仕方ないとはいえ、ふたりの面倒をみることになってしまったが、食卓を囲むこの雰囲気は悪くなかった。ひとりのときよりずっと楽しい。
 ついほんわかな気分に飲み込まれ顔が綻んでしまったが、それをふたりに知られるのが恥ずかしくて姿勢を正して、ユキも「いただきます」とかしこまった。
 食卓にはご飯と、味噌汁、焼き魚に、煮物、そういったものが並んでいる。
 純和風だが、魚は焼いただけだし、煮物は作り置きしていたものだし、作ったものは味噌汁くらいなものだった。
 急に作れといわれたら、こんなものしかできなかった。
 いくら気を遣うことはなかったとは言え、ふたりが箸を動かさずにじっと見つめていると、ユキは少し不安になった。

「これ、何? 食べられるの。たまねぎ入ってないよね。僕もトイラも玉葱は嫌いなんだ」
 慎重に料理を見ていたキースが訊いた。
 キースは柔らかな物腰のくせに、小さなことをいちいち気にしそうな細かさが目に付く。
 しかしトイラは一通り見た後、何も言わず黙々と食べだした。箸も結構上手く持っている。ユキの作った料理を一心不乱に食べていた。
 その食べっぷりはユキは見ていて気持ちよかった。

「玉葱が食べられないって、二人とも子供ね。私なんて玉葱大好きよ」
 ユキが皮肉ってもふたりは聞いてなかった。
 そのうちキースも食べだした。
「へぇ、魚って結構おいしい。これって猫の食べ物だと思ってたよ」
「なんでそこで猫がでてくるのよ」
 でもユキは欧米の食生活を振り返っていた。
 確かに魚を食べる人は少なく、肉ばかりだった。おいしい新鮮な魚を手に入れるほうが難しかったかもしれない。
 ふと、トイラの方を見れば、骨まで食べたのか、あっと言う間に魚の姿が消えていてびっくりしてしまった。
「やだ、トイラ、魚の骨まで食べたの。よく食べられたわね」
 キースはそれを聞いてまたクスクスと肩を震わせていた。
 キースはよく喋るし、人懐こい。
 調子いい言葉がぽんぽん出てくる。
 それとは対照的に口数が少ないトイラ。
 何もかも自分のペースを乱さず我が道を行っていた。
 ユキはこのふたりに興味が出てきた。
「ねぇ、二人は友達なの? だから一緒に留学してきたの?」
 ユキの言葉に、トイラの箸を持つ手が止まった。
「俺が、こいつと友達? まさか」
 そういったのはトイラだった。
「おいおい、僕たち友達じゃないか。付き合いも長いし、まあ特別仲がいいって訳でもないけど、知らない仲でもないだろう」
 茶化しているようにも、呆れているようにも、憤慨しているようにも見えたが、結局キースは仕方がないと肩を竦めた。

「ちょっと、待って、じゃあ二人がここに居るのは偶然って事なの?」
 ふたりを知ろうと思えば思うほど分からなくなってくる。
「話せば長くなる」
 トイラはそれ以上話すつもりはなさそうだった。
「だからそのうちわかるって。それまでこのままで楽しもう。しばらくこの状態が続いてほしいよ、なあ、トイラ」
 いちいち引っかかるような言葉をキースは使う。
 何かを問い質す度、ユキの眉間にしわが増えるだけだった。
 夕食後、ユキがお皿を洗おうとすると、トイラはユキを押しのけてシンクの前に立つ。 
「これ洗うんだろ。俺がする」
「えっ、あ、ありがとう」
「これを使うのか?」
 トイラがスポンジを手にしたので、ユキは洗剤を掛けてやる。
 黙々と洗物をしだしたトイラの横で、呆然とユキは立ってみていた。
「それじゃ、僕は邪魔だろうからあっちに行ってるね」
 意味ありげにキースは笑ってさっさと居間のソファーに向かった。
 手伝わずに逃げただけだとユキは思っていたが、トイラがそれに反応した。
「うるせいっ」
 なぜトイラがそう言ったのか、この時ユキはまだわからなかった。
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