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その男の銃を持つ手が震えていた。
その銃口の先には美しい女が、安らかな笑みを浮かべて男の目を愛おしそうに柔らかく包み込んで見ていた。
仄かに輝く瞳に吸い込まれそうに、そしてそれは全てを溶かしてしまいそうにまどろんで見つめられている。
「なぜだ。なぜ恐れぬ」
男は魅力溢れるその女の瞳に敗北しかかっていた。
だが、この女を助けることはできぬそのジレンマで、男は苦しくてたまらない。
同じ人間という部類でも、生まれた国が違うだけで、その女と男の国が理解しがたい思想の違いと憎しみに駆られた過去のお互いの歩みのために、二人の間には無視できない隔たりが、見えない壁となって冷たく存在している。
このまま見て見ぬふりをして去ったとしても、いずれ他の誰かがこの女を捕らえて殺してしまうだろう。
穢れを知らない透き通るほどに白いつややかな肌を、冷酷に傷つけ、使い捨ての道具のようにただ楽しむだけに乱暴する。
しかも複数によって。
この女だけはそうなって欲しくない。
男はなぜか女に肩入れしてしまっていた。
男がこんなにも悩んでいるというのに、女はそんな事はどうでもいいと、たおやかに微笑んで殺されるのを待っていた。
「お前はこの俺に殺されることを望んでいるのか」
男はこの時悲しくもあり、悔しくもあり、腹立たしくもあった。
またその女の慈悲深い瞳にずっと見つめられていたいと淡い希望も持っていた。
気に入ってしまったからこそ、この女の瞳の中の仄かな命の炎を灯し続けたいと願っている。
だが突然はっとして、顔を強張らせた。
この女はわざと男の心を弄んでいるのではないだろうか。
疑念が湧いた。
しかし、その顔色を読み取るかのように、女は真剣な眼差しを男に向けた。
「私には見えるんです。あなたと私が笑顔で語り合ってる姿が」
「何を言っている。そうやって命乞いをしているのか」
「いいえ、私はすでに覚悟ができております。あなたに会うまでは、こんな気持ちではありませんでした。絶望的でとても恐ろしく死を恐れておりました。しかし、今はそのような気持ちが全くなく、あなたに会えてよかったとすら思えるんです」
「恐怖のあまり気でも狂ったというのか」
「わかりません。でも、今まで感じられなかったことが私の体の中ではじけるように現れたのです。私にしか分からない感情です。でもそれもまたこの時代を生き、そして散っていくために神様が施して下さったのかもしれません。安らかになれというように」
「何を言っているのかわからぬ」
男ははっきりせぬ自分の気持ちとこの女の意味もなさない戯言に苛立ち、銃を持つ手に再び力が入った。
しかし、引き金を引くことはまだできなかった。
いつまでこのような状態が続くのだろうか。
この女と出会ってしまったことを、なぜか呪ってしまいそうだった。
荒れ果てた小屋に、敵はいないかと確認のために入っただけにすぎないのに、もし敵がいても始末するだけにしか感じてなかったのに、自分はゆるぎなく敵国を憎んでいたはずだった。
それなのに、一人の敵国の女に出会ってしまい、男はこの上なく心揺すぶられていた。
なぜこの女はここに居るのだ。
この辺りの森はすでに敵は逃走した後だと情報が入っていた。
この小屋も元々住居ではなく、狩りをする者たちが自由に使えるだけに簡易に建てられただけのものだった。
すでにボロがでては、いつ崩れてもおかしくないぐらいにあちこちから隙間風が吹いている。
こんなところに女が一人でいるとは、見つけた男の方が驚いたというものだった。
これだけ美しい女が一人で彷徨っているのもおかしい。
何かの罠なのか、男は益々躊躇って、心に動揺が走っていた。
「まだ私を撃てませんか?」
「うるさい。軽々しく口を聞くな」
弱い部分を見られることが恥となり、男は痛いところを突かれて、声を荒げてしまった。
女は黙り込んだ。
先ほどまで怯えてなかった瞳が急に陰りをみせ、悲しそうに目を伏せた。
女にとってそれは失態であったと反省しているようにも見える。
自分が殺されるかもしれないときに、自分を恥じる余裕なんてないはずなのに、この女の反応は理解不能だった。
いつまでもこんなことをしていられない。
再び銃口が女の方を正しく向いた。
カチャッとかすかな音がなり、セーフティロックが外された。
女はしっかりと男を見つめなおす。
緊張感が走るこの時、どこかから風が吹いては、冷たく男の頬を伝わって流れていった。