第一章
4
私の足は自然と速くなり、街行く人を掻き分けてはリセの手を引っ張って闊歩していた。
「婆さん、そんなに慌てなくても。リセは逃げはしないって」
ミッシーも必死になって後を追いかけてたが、振り回されるのが嫌なのだろう。
リセの名前を出してはいるが、実際は自分がしんどくなって出た言葉だった。
私は少し速度を落とし、そして掴んでいたリセの手を離した。
リセは気を使ってニコッとして、私のことをとにかく気遣ってくれる。
どんなときにも優しいのがリセだった。
現実の私とは大違い。
私は常に感情に流されて、すぐにイラついてしまいがち。
だからこそ、理想のリセには、常に人のことを考えて優しく接する設定にしている。
全てはキュウジに惚れられるため。
キュウジもきっとリセを深く知れば絶対好きになると私は思っていた。
そしてリセだって、あんなかっこいい人に惚れられたら気にならない訳がない。
何せ、二人は理想のカップルで、常に甘い恋人同士って私が決めているんだから、絶対そうなるんだ。
また、体の奥から熱い気持ちが湧き上がり、それが自然と体を動かしてしまう。
押さえ切れないものにコントロールされ、やっぱり私の足は再び速く動き出していた。
キュウジにまた会える喜び、これから始まるキュウジとリセの恋、考えれば考えるほど楽しみすぎて、それを側で早く見たくて仕方がなかっ
た。
期待に胸膨らまし、キュウジがいる場所へとイソイソと向かっていたが、私はこのときはまだ自分で創った世界を甘く見ていた。
「さあ、このあたりがそうだ」
都会のビルが集まる中心部から少し離れ、人通りもまばらではあるが、下町の人情といった助け合うような人々が集まっている。
そんな庶民溢れる居心地さがある場所へと私は二人を導く。
私が創った街だけあって、そんなに治安は悪くはないのだが、石畳を挟んでヨーロッパでよく見かける建物が広がり、外灯も所々に設置され
ていた。
その先には大きな時計が掲げられた講堂を前にしてぐるりと円になった大広場がある。
その真ん中には噴水が置かれて、ちょっとした市民の憩いの場となっている。
そこには鳩も沢山たむろしていた。
後にここでキュウジとリセもデートをして楽しむことになると思うが、イメージ通りの場所を見つめて私は二人の寄り添う姿を想像した。
あの噴水のところで仲良く並んで座っていちゃついては愛を語り合う。
想像するだけで萌えてしまった。
まさにこれが普段自分が妄想していた場面である。
そうそう、これよこれ。
ここで甘く囁くキュウジを想像しながら、夢見心地でその景色を見ているときだった。
噴水の周りで走り回っていた小さな子供が、集まっていた鳩たちの中に飛び込み、一斉に鳩が飛び立ってしまったことで、私ははっとして我
に返った。
「さっ、ぐずぐずしてはられないよ。こっちにおいで」
広場の隣の横丁に入り込めば、そこは青空市場となって屋台の店がいくつも連なって活気が湧いていた。
野菜や果物といった色とりどりの鮮やかさが目に入り、買い物客で賑わっている。
また人々の間をするりと抜け、そして狭い路地を見つけると私は迷わずそこへ入り込んだ。
急に静けさが広がり、一瞬にして怪しい雰囲気に包まれるが、さらに奥に進むと隠れた店があり、その入り口のドアには小さなチョークボー
ドの看板が掲げられているのが目に入った。
『マーマレードあります』
走り書きされた字で書かれていた。
リセとミッシーはきょとんとしてお互い顔を見合わせていたが、私は全てを知ってるだけに堂々としてそのドアを開いた。
軽やかなベルの音が響き、怪しげな雰囲気のする空間が現れた。
所々に古いワインの樽がぶっきらぼうに置かれているのが目に入り、陳列棚にはワインが並び、その他缶詰やピクルスが詰まった瓶も積み上
げられている。
一歩踏み込む度に床がぎしぎしと音を立てた。
店内は年季の入った木の光沢があり、落ち着いた雰囲気がする。
古びたように見えるが、隅々掃除されていてこぎれいで、知る人ぞ知る変わった食材を売る穴場な店に見える。
立ち止まったとき、奥から「いらっしゃい」と声がした。
落ち着いた声ながら、どこか鋭く耳にすっと届く。
怪しげな商品が並ぶ棚を背にして、カウンターの中でひょろりとした背の高い男が、じっと愛想悪く私を見つめていた。
「あっ」と思わず声が漏れる。
そこには私のよく知っている人物が居た。
彼の名前はジェス。
この店のオーナーであり、そしてキュウジ達を率いるピッチフォークのリーダーでもある。
もともとこの店は表向きの商売で、ただの見せ掛けであり、この部屋の隅にある、あの奥の扉を開ければ、秘密の部屋に続いている。
最新のコンピューターやいざというときのための銃などの武器がそこにはあり、ここがピッチフォークの拠点として依頼者から頼まれた事や
バッフルに対抗する案を企てる秘密基地として存在している。
「婆さんが直接ここに訪れるとは驚きだ」
ジェスの目がかなり鋭くなって私を睨んでいる。
睥睨しているのではなく、信用できる者であっても決して甘い顔を見せないのが彼のやり方だった。
これがいつもの普通の彼の姿なのである。
そして、さらに目つきを厳しくしたのは、私がこの場所を知っていたことに非常に驚いているとも取れる。
私が設定した情報通のキオスクの婆さんは、いつもあの場所から動かず、彼らの方から寄ってくるだけに、なぜここにその婆さんが現れたの
か彼なりに訝ってはその本質を読み取ろうとしていた。
ジャスなら容赦なく睨んでくる。
そういう設定で創ってるのだから、私も怖がることはなかった。
「いや、ちょっとね、ここで美味しいジャムが手に入ると小耳にはさんでね。おやおや、まさかあんたの店だったとはね」
はっきり言って何の言い訳にもなっていないし、わざとらしすぎた。
後ろで聞いていたリセとミッシーも何かを感じ取ったのか、かなり警戒した態度で緊張している様子だった。
「ジャムなら、今マーマレードがあるが」
「ああ、看板にもあったね。それってジェスの手作りかい?」
「ああ、ちょっとオレンジが一杯手に入って作ってみた」
「そういえば、オレンジ農場を潰して新しいビルを建築するとか言っていたけど、あれは頓挫したみたいだね。まだまだオレンジが必要だっ
たって訳か」
これはバッフルたちが乗っ取ろうとしたオレンジ農場をキュウジたちの活躍で救われたというエピソードが絡む。
その依頼を仲介したのはこの情報通の婆さんであるから、よく把握している設定なのだ。
私が創った話だから、知ってて当たり前なのだが、その時の報酬としてオレンジを沢山手にしたという、かわいい落ちもつけたつもりだっ
た。
そこからマーマレードが作られたという訳である。
この辺りの設定は、ピッチフォークがどのような事件に係わって成功を収めるのかという例え話のように書いただけで、別に重要じゃないの
で詳しいことは飛ばすが、ジェスの性格を現すためにはちょっとした説明付けになっている。
ジェスは強面の顔でありながら、手先が器用で、見かけによらずにかわいいことをたまにしては、そのギャップ萌えが人気のキャラクターで
もある。
マーマレードを作るという案もジェスならではで、キュウジに馬鹿にされながらも黙々とエプロンをして作ってはキュンとさせる役割を果た
す。
ジェスだから、様になるエピソードなのだ。
私はキュウジ派だが、実際のアニメではジェスもファンが多い。
私もジェスの存在自体が好きなので、リセとも時々絡ませてキュウジをやきもきさせたりという筋に持っていくこともある。
ジェスはただキュウジをからかうだけに過ぎないので、リセのことが特別女として好きとかそういう感情は一切ない。
私もジェスとの絡みを楽しみたいがために、面白がって妄想していた。
ジェスも私の妄想話にとってはかけがえのない大切な登場人物の一人ということだった。
実際動くジェスを目の前で見ると、やっぱりいい男と素直に思ってしまう。
婆さん役になりきってはいたが、結局は素の自分がでて、この世界の雰囲気を大いに楽しんでいた。
やっぱり、身悶えるくらいにこの男もいいわ。
ジェスもかっこいいぃぃぃ。
「婆さん、なんか様子が変だが、大丈夫なのか」
思わず垂涎しながら見ていたと気がついて、慌てて姿勢を正した。
私は声がでずに、何を言っていいのかわからなくなっては、つい首をうなだれて恥ずかしくなった。
この鋭い目つきがお仕置きされているようで、まともに正視してられない。
ちょっとした恥プレイのような感じもして、ああ、悶えちゃう。
こんな状況でも一人楽しんでいる中、後ろに居る二人は落ち着かずにただ黙っている。
暫く静寂さが漂った。
ジェスだけが落ち着き、そしてカウンターの下から瓶を一つずつ取り出し、それを置いていく。
静けさの中でコトっという音が三つ連続して響くと、オレンジ色の瓶が三つカウンターの上で並んでいた。
「店からのサービスだ。もっていってくれ」
ここに長居は無用だと示唆されたのがわかった。
色々とジェスの事を知ってる情報通の婆さんだけに、あまり内部事情を知られるのが嫌なのだろう。
婆さんは普段ここまで足を運ぶことはないし、場所を知っていたことが、ジェスには驚異的に捉えたのかもしれない。
「ジェス、実はな、今日はキュウジに用があったんだ。キュウジはどこにいる?」
あのドアの向こうで、何かの情報を掴もうとコンピューターを操っているのではと思っていた。
だがそれは知らない振りをするしかない。
あまりにも詳しく知っていると思われると、頭の回転が速いジェスには何かを勘繰られて、私の計画の妨げにもなる可能性もある。
ここは自分の創った世界ながら、ジェスとの頭脳戦が繰り広げられているようで、お互い腹の探りあいをしているようだった。
いやん、ちょっとスリリング。
ジェスはとにかく、疑り深く、常に先の先を読む頭が切れる奴なのだ。
またそこがかっこいいんだけど、実際目にすると、やっぱりいいわ。
また堂々巡りして、ついみとれてしまった。
「婆さん、今日はなんだかいつもと違うように見受けられるが、まるで別人のように思える」
さすがジェスはするどい。
いくら私が創ったキャラクターとはいえ、なりきろうとしても本来の自分が知らずと出ているのだろう。
しかし、ここは変にごまかしても無駄だ。
こういうときはそうだと言い切った方が却って怪しまれないだろう。
「いつもと全く違う人間がはいってるのさ」
笑いながら堂々と言い切ってやった。
「なるほど個人的に何かをしようとしてるということか」
ジェスは軽く片方の口元を上げた。
変にごまかさずに言い切ったことで、ジェスは何も問題がないと判断した様子だった。
「で、後ろの二人は一体ここに何の用なんだ?」
「ああ、忘れていた。紹介するよ、こっちがリセでこっちがミッシー」
私が紹介すると、二人は軽く頭を下げてとりあえず挨拶していた。
ジェスは相変わらずの愛想の悪さだったが、小さく首を一度縦に振ってコミュニケーションだけはとっていた。
「ちょっとね、キュウジに紹介したくてつれてきたんだ。キュウジはあの部屋の奥にでもいるのかい」
今、目に付いたとばかりに、扉の方を向いた。
「今は外にでて、御用聞きにでかけてここには居ないが」
御用聞きとは、この辺りに敵が忍び込んでないか探しに出かけているということだ。
なるほど、私にも心当たりがあった。
バッフルのスパイがこの辺を嗅ぎ付けまわして、多少焦るという設定だった。
まあ、結果としてはピッチフォークの存在を見つけられないのだが、確かこのときキュウジはリセと出会う設定にしていたはずだ。
それなら、今がチャンスかもしれない。
私の創造した筋書きでリセと出会ってくれるのかもしれない。
「わかったよ。また出直してくる。もしかして、スカイラーも一緒に御用聞きに出てるのかい?」
ジェスは「ああ」とだけ返事した。
スカイラーとは同じくメンバーの一人でキュウジととても仲のいい友達でもある。
この三人のメンバーが正義の味方のピッチフォークなのだ。
スカイラーも大好きなキャラクターなので、キュウジと甲乙つけがたいかっこよさがあるのだが、ちょっとお調子者の明るい性格で、女に甘
く騙されやすいところが玉に瑕。
硬派なキュウジに対してボケのスカイラーというところ。
これもまた典型的なコンビの姿ではあるが、二人一緒だから楽しくて魅力が溢れてくる。
スカイラーもリセに絡んではキュウジがヤキモキしたり、実は隠れてリセがいいなと思わしている。
そうやって、イケメンたちに囲まれて所々美味しいところをつまみながら、キュウジとの恋を楽しむという本当にご都合主義の話でもあった
りする。
誰もが一度は自分のモテキを想像するのではないだろうか。
いろんな人に言い寄られることを想像して、心を満たしていく。
なんとも恥ずかしくて絶対人には言えない世界。
でも世に出してみたいから、人は小説を書いては自分の願望を出し続けるのではないだろうか。
ねぇ……
ここで自分は婆さんになってしまっても、この世界は自分の意のままに理想に進んでくれるお蔭で、どきどきが止まらない。
私はカウンターに近づき、差し出された3つのマーマレードを抱え込んだ。
「これはありがたく頂くよ、ジェス」
ジェスの手作りジャムが食べられるなんて幸せ。
私は前掛けをスカートの上から身につけており、そこに大きなポケットが左右についてたので、その瓶をそこに入れた。
「なんならオレンジもあるが」
ジェスは手品師のようにオレンジを取り出して、突然ミッシーに投げた。
ミッシーは迷わずそれをパシッと掴んだ。
「食べ物を粗末にするんじゃないよ」
ミッシーは半分呆れて答えるも、ジェスはニヤッと静かに微笑んだ。
「いい条件反射をしているな」
ジェスはミッシーを試していた。
ジェスは人の能力を嗅ぎ付けると、確かめずにはいられない。
ミッシーの運動神経の良さに気がついた様子だった。
もう一つオレンジをまたミッシーに投げた。
「隣のお嬢さんにもお一つどうぞ」
リセに直接投げなかったところをみると、どうやら運動神経の鈍い女と判断されたようだった。
リセは守ってあげたいお姫様タイプだから、そこもジェスにはお見通しだった。
これで私の好きなキャラクター達の輪が広がっていく。
あとはキュウジとスカイラーをリセとミッシーに会わせることで主要人物たちが繋がってくることになる。
そして、キュウジはリセに出会って恋をして、その後は私も胸キュンキュン…… となるはずなのだが。
果たして上手くいくのだろうか。
この世界がどこまで自分の思うように動くのか、まだ半信半疑で少し不安も付きまとっていた。