第二章 こんなに近くに居るのに近づけない
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どれくらいの時間が経ったのだろう。
それよりも自分は今どこにいるのだろうか。
慌しく周りが動いては自分の名前を呼ばれているような気がする。
知らない単語が飛び交って、時々力強い衝撃が体に走っている。
とても騒がしく、ただ困惑させては私を自由にさせてはくれない鬱陶しさがあった。
放っておいて欲しい。
私はゆっくりと休みたい。
あまりにも現実離れして、さらに自分の妄想にも見放された絶望感の中、私は今苦しんでいる。
リセとキュウジはまだくっついてくれずに、話は自分の創造したものから軌道がずれていく。
思い悩みながらふと目の前を見れば、キュウジとリセが現れてはお互い近づくこともなく背中を向けて、その存在すら認めないままに無関心で立っている様子がそこに現れた。
私は近づこうとするけど、その距離は一向に縮まらず、背中合わせの二人も振り向くことなくどんどん離れていく。
私がどんなに必死に走っても遠ざかるばかりで、やがては、はるか遠く小さくなっては跡形もなく消えてしまった。
待って!
虚しさだけがその場に残った。
私の物語が崩壊してゆくさまを見たようだった。
なぜこうなってしまったのか、その原因を探ろうと起こった出来事を思い出す。
角を曲がってきたキュウジと自分がぶつかったことで、大きく狂いが生じた。
その後、キュウジと私は接近したけど、私は婆さんだからなんの希望もなかった。
潔くキュウジからその場を離れ、リセの様子を見にアパートまで出向き、そこでまだ修正可能と知って少しは落ち着くことができたけども、その先は何もまだ保障されていない。
そして、ミッシーが職場に出かけるから、その先の話の展開に不安を感じてついていったものの……
そこで私ははっとした。
ミッシーが床に倒れ、ホッパーが逃げていってしまったあの瞬間、赤いものがどんどん広がって周りを染めていった。
ああ、ミッシー、ミッシー。
倒れていたミッシーの姿を思い出し、命を落としてしまったかもしれない恐怖に私は震えた。
その映像を頭に描いたまま、呆然となすすべもなく立っていると、光が徐々に差し込んで、私を照らしていく。
明るいその先を見つつ、どんどん強まっていくその白い光に包まれると同時に、目を細める。
そして、その中へ溶け込むように自分も次第に飲み込まれて消えていく。
再び辺りが徐々に見え出したとき、私の目の前でリセが涙を目に一杯ためながら、口元を少し上向けている姿が目に映った。
私は、はっとして身を起こした。
どうやらベッドに寝かされていたようだった。
「よかった」
震える声でリセが呟けば、安心から涙が一気に溢れてきていた。
「一体、どうなったんだ。ここはどこ」
「病院よ。もう大丈夫だから安心して。とにかく今は安静に、ゆっくり休んで」
「皆は無事なのか」
ボスとミッシーは一体どうなったのだろうか。
リセは少し戸惑った顔をしながら、私を見ていた。
そこにあまりいいニュースは聞けない不安が生じた。
「ボスは大丈夫だけど、お婆ちゃんが……」
「えっ、お婆ちゃん?」
「ええ、今集中治療室にいるわ。意識不明の……重体……」
衝撃の言葉だったのか、リセはダムが決壊するように泣き崩れてしまった。
「ちょっと待って、お婆ちゃんって、あのキオスクの婆さんのこと?」
私は聞き間違えたかと思った。
あの時、撃たれたのはミッシーだったはず。
リセは気が動転して名前を間違えているのだろうか。
だって、私は痛いところもなく、ぴんぴんしている。
「そうよ、あのお婆ちゃんよ。まさかこんなことになるなんて」
リセはやっぱり婆さんのことを意味している。
だったら、私は一体誰?
私は自分の手を見て、若々しいことに気がついた。
「リセ、鏡あるかい?」
「鏡?」
どうしたんだとばかりにきょとんとしているだけで、リセは鏡を探そうともしなかった。
私はもどかしいと白いシーツを跳ね除け、ベッドから立ち上がった。
そして病室の隅の洗面所のところにあった鏡を覗き込んだ。
そこにはミッシーの顔が私を見ていた。
私が顔に触れれば、鏡の中のミッシーも同じように動く。
それを何度も繰り返し、やっと私は認めた。
嘘! まさか、私がミッシーに、なんで?
「ミッシーどうしたの? どこも顔には怪我はしてないわよ。ボスが言ってたけど、お婆ちゃんが銃を奪おうと必死になって飛び掛ったって。それで自ら犠牲になって撃たれてしまったの。一命は取り留めたけど、まだ意識が回復してなくって……」
ここでリセはまた泣き出してしまった。
私は自分のことばかりに気がとられていたことに気がついて、すぐにリセの側に行った。
「大丈夫、大丈夫だから」
だって、あの婆さんは私で、私は今ここにいるし。
だったら、ミッシーはどこへ行った?
いや、ミッシーはここにいるけど、でも私が中の人になっている。
あれ、どうなってんだ。
えっ、もしかしてミッシーが今あの婆さんの中にいるってこと?
まさか、入れ替わってしまったのか?
そんな。
いやいや、だったら、私がここへきたとき、すでに婆さんだったから、その本来の婆さんはどこにいったということになる。
まさか、体を乗っ取った?
それじゃ、私はもしかしたらこの世界のキャラクターに憑依してしまうのだろうか。
そして今私はミッシーになっている。
背筋を伸ばして立ってみた。
婆さんだったときよりも、目線の高さが違う。
体が軽く感じ、私はその場でピョンピョンと跳ねてみた。
思った以上に機敏に動ける。
体が違うだけで、こうも違ってくるとは思わなかった。
婆さんよりかは、ミッシーの方が絶対いい。
私はあちこちと、ミッシーの体を色々と見ていた。
モデルのようにすらっとした手足に、締まった腰。
胸も大きくはないが、小さくもなく、でもいい形はしている。
適度についた筋肉と脂肪の無駄がない体はボディラインを美しく見せている。
顔だって、キリリとした目に鼻筋が通って、少しきつめの風貌だが、そこがクールビューティで美人。
リセは角がない柔らかな丸みを帯びた優しい雰囲気のかわいい子だが、それに対してミッシーはシャープで粋な美女タイプ。
リセと違った魅力を持っている。
これが今の私なの。
私が理想とするリセとは違うけど、ミッシーはかっこいい女の子だけにそれだけでも悪い気はしない。
私はまた鏡の前に戻り、ミッシーの顔をまじまじと見つめていた。
「ミッシー、一体どうしたの?」
「いや、どこも悪くないかなって思って、体を確かめたんだ」
「ボスが言ってたけど、あの時、ミッシーが撃たれたと思ったんだって。だけど弾は運よく反れたらしい。でも、あまりの緊張と恐怖で気を失ったんだろうって言ってた。ほんとに怪我しなくてよかった」
そっか、あの時赤く染まったと思ったのは、婆さんであった自分の血だったのか。
私が飛び掛ったときに、二発目が体に命中してしまったってとこか。
でも、なぜこんなことが起こったのだろう。
あんな派手な事件を起こしてしまうなんて、今まで借りていた婆さんの体を粗末に扱ってしまったことに、罪悪感を感じてしまった。
「婆さん、大丈夫かな」
「意識さえ戻れば大丈夫だって、お医者さんがいってた。だから、私は大丈夫だって信じてる」
そういえば助かるとリセは思ったのだろう。
実際は心配でたまらないために体が震えていた。
また堪えきれずにリセが泣き崩れてしまい、私はリセを優しく抱きしめた。
ここまで婆さんだった自分のことを心配してくれるのは嬉しいもんだった。
婆さんの体は大変なことになっているが、あの時、中にいた私は大丈夫なのだが、今はミッシーになっている以上、私はミッシーになりきらなければならなかった。
「大丈夫さ、婆さんはきっと目を覚ますよ」
まだ会ってまもないのに、婆さんの身を案じるリセは、とても守ってあげたいと思わせるほど儚げで弱々しかった。
抱きしめたときに感じた華奢な体つきは、折れてしまいそうに思える。
キュウジだって、リセをこんな風に抱きしめたら、きっとときめくに違いない。
婆さんは大変な目に遭ってしまったが、今はミッシーとして存在できる以上、私はまだこの世界を自分の思うように修復できるのではと期待して
しまった。
今度はミッシーになれたのは運がよかった。
リセならミッシーの助言や言うことはよく聞くし、いつも身近にいる存在なだけにリセをキュウジとくっつける機会だって、沢山あるに違いない。
婆さんの命が短いから、私は無意識に近くにいたミッシーに乗り移ったのだろうか。
婆さんがあの状態になってしまっただけに、それは無駄にはできない。
必ずキュウジとリセをくっつけたら、婆さんも浮かばれることだろう。
いや、だから、婆さんはまだ死んではないけども、とにかく私は自分の事しか考えられなかった。