第二章

10
 ジェスが気をつけろといったことは冗談ではなかった。
 まさか、こんなに早い段階でスカイラーが手を出してくるとは思いもよらなかった。
 スカイラーはここで私、いや、ミッシーにキスをねだっている。
 ちょっと、待った!
 その前にもっとすることがあるでしょ。
 例えば、楽しい話をするとか、甘い言葉を囁いて雰囲気を作るとか、キスする前の段階があってもいいじゃないの。
 それなのにいきなり行動されると、こっちは困るじゃない。
 その原因を作ったのは自分ではあるけど、言葉なら、まだ交わすことができるし、対策も取れるはず。
 それにスカイラー、その唇はやめろ。
 タコのように伸ばしてきている。
 ロマンティックも何もないではないか。
 スカイラーが、ここまで子供のように自分の感情をストレートにさらすなんて思いもよらなかった。
 この無茶な調子ぶりだから、いつも振られてばかりなのが納得する。
 実際のアニメでも、いつも振られてばかりで、恋が成就しないのが、スカイラーの持ち前だった。
 あんた、女性の扱い知らなさ過ぎ。
「スカイラーちょ、ちょっと待ってよ」
 噴水広場の周りには人も鳩もいる。
 鳩は別にどうでもいいか。
 でも鳩が団体で足元に近づいてこられたら、さらに逃げられない圧迫感を大いに感じるではないか。
 そんなところで派手に抱き寄せてキスしようとなると、なんかとてつもない焦りが迫ってくる。
 また、ここで鳩を蹴散らせば一斉に飛び立つだけに、さらにもっと注目を浴びてしまうことになるし、スカイラーからも、鳩からも、人々の視線からも逃れられない恐怖が襲ってくる。
 スカイラーが私を強く引き寄せてキスを迫ると同時に、私も同じ距離を保って後ずさっては後ろにそれていく。
 そうこうしている内に、足が噴水の縁にぶつかり、これ以上さがれないと行き場をなくしてしまった。
 そこからは体を後ろにそらすことしかできなくなった。
 どこまで迫ってくるのよ。
 不自然にそれても、スカイラーも不自然に体を倒してくる。
 そろそろ限界に近づいてきた。
 それでも、スカイラーは体を曲げてくるから、無理にでも体をそらす。
 だけどスカイラーが迫ってくるときの体の重さが加わったとき、私はもうバランスが取れなくなってしまった。
 あっ、と思ったときには、スカイラーの服を掴みながら、後ろ向きに倒れて、噴水の中へとドボンと突っ込んでしまった。
 二人とも一緒に噴水に落ちて、パニックになってはお互い慌てて体をばたばたさせる。
「うぐぐぐ」
「あああ」
 粋のいい魚が暴れるようにばしゃばしゃしていた。
 噴水は寝転がって落ちると結構な深さがあり、すぐに体制が整えられないまま、二人は水の中でアップアップとしていた。
 やっと落ち着いたとき、水の中で二人は尻餅をついた形で暫く放心状態になってしまった。
 私は腹が立ってしまい、ついスカイラーの顎に向かって、自分の頭を突き出すように頭突いてやった。
 腹が立ちすぎて、無我夢中でやったことだったが、自分も痛いと顎をふいに抑えてしまった。
 しかし、違和感を覚える。
 ぶつけたのは頭だったのに、あれ、なんで顎?
 ふと前を見るとミッシーがきょとんとして困惑しきっている。
「えっ、ここはどこ? 私何してるの。 あれ? なんで、私、こんなところにいるの……」
 えっ? ミッシー?
 ミッシーが私の方を見た。
「一体何が起こったの? あれ? 私、さっき銃を向けられてそれで撃たれたような……」
 ミッシーの記憶はあの事件で気を失うところまでしかなかった。
 自分の体を見ては、手足を動かし、撃たれてないことを確認する。
 あの時の衝撃も恐ろしいものだったが、噴水の中でびしょびしょになりながら腰まで水に浸かっているのも衝撃だったらしく、顔を青ざめていた。
「ちょっと、スカイラー説明してよ。私、一体どうしたの?」
 えっ、今なんて呼んだ?
 私のこと、スカイラーって、それってまさか。
 私は立ち上がり、自分の体を調べた。
 さっきまで目の前にいたスカイラーの服を私が来ている。
 ちょっと、ちょっと、ちょっとぉぉぉぉ!
 うわぁ、今度はスカイラーになってしまった。
 なんてこったい。
 嘘でしょ……
 こんなことになるなんて。
 私も暫く放心状態になり、でくの坊のように噴水の中で立っていた。
 ミッシーだったとき、馬鹿なことをしでかした報いか、罰か。
 どっちにしろ、これも最悪の展開だった。
 男になってどうしろというのだろう。
 そう思えば、ミッシーだった頃、悩んでいたことがかわいらしく思えてくる。
 私はスカイラーに憑依してしまい、そしてキュウジの親友となる。
 これも辛いではないか。
 人が私たちの前に集まりだしてきた。
 人々の視線を沢山受け、はっとして、噴水から飛び出した。
「ミッシー、とにかくそこから出よう」
 私以上に混乱していたミッシーを噴水から出して、私たちはずぶぬれで歩き出した。
 ミッシーはくしゃみをしては、あの時の恐怖心も思い出し、寒いと震えていた。
 無理もない。
 ミッシーにとったら、撃たれそうになったことはさっきのことのように感じてしまうのだろう。
 それまでは私が憑依してたから、その間に何が起こったかなんてわからないはずである。
 それにしても、この状態をどのように説明すればいいのだろうか。
 自分がスカイラーということだけでも充分訳がわからないというのに、いい説明など考えられなかった。

 店に戻り、ジェスが私たちを見るなり、眉根を寄せた。
 普段無表情ではいるが、スカイラーが係わって何か良からぬことが起こったときは別である。
 リーダーとして、不振な行動には容赦なく厳しく当たる。
「スカイラー、一体何をしたらそんなに濡れるんだね」
「そ、その、あの、これは」
 私が言葉に詰まっていると、ミッシーが声を出した。
「ここは、婆さんと一緒にきた店じゃないか。なんでまたここに……」
 ジェスの表情が強張った。
「なんだかミッシーの様子がおかしいようだが」
「あんたは、確かジェスだったね。でもなんで、私はここにいるの?」
 ここでまたミッシーはくしゃみをしていた。
 体も震えている。
「このままでは風邪を引いてしまう。早く着替えた方がいい」
 ジェスは階段の下から、リセを呼んだ。
 リセがすぐに現れると、ミッシー達のずぶ濡れ状態に酷く驚いていた。
「ちょっとどうしたのよ、ミッシー。ビショビショじゃない」
「リセ、あんたもここにきてたの? 一体どうなってんの?」
「ミッシー、どうしたの?」
「えっ、わかんない。わかんないの。私、もしかして銃に撃たれて死んじゃったの? あれからどうなったの? 婆さんやボスは?」
 ミッシーは震えが止まらないのか歯をがちがちとさせていた。
「リセ、とにかく着替えさせて、寝かした方がいい。もしかしたらPTSDを発症したのかもしれない。こういうのは後からくるんだ。極度のストレスに耐えられなくなって、一時的に記憶をなくしてしまうこともあるらしい。とにかく早くつれていってあげなさい」
「は、はい」
 リセはすぐにミッシーを連れて行った。
 なんとかこの状態はごまかせるような気がした。
 なるほどストレス障害はこの場合とてもぴったりくる。
 ミッシーのことはこれで心配しないで済みそうだった。
「スカイラー、一体何をした。お前のことだ、ミッシーに無理に迫ったんじゃないだろうな」
 厳しい表情から発せられるジェスの言葉は、きつく耳に届く。
 実際はその通りであるが、私は被害者でもある。
 でもここはスカイラーとして答えなければならなかった。
「ちょっと、羽目をはずしすぎたかもしれない」
「かもしれないだと、馬鹿も休み休み言え。お前が迫ったから、それを避けようとしてミッシーは噴水に落ちたんじゃないのか。その時のパニックから、ストレ スが許容範囲を超えてしまい、それが引き金になって押さえつけていたものが一気に爆発してあのようになったに違いない。一体なんて事をしてくれたんだ」
「ごめんなさい」
 自分は悪くないのに、スカイラーの振りして謝るのが辛い。
「スカイラー、謝って済む問題じゃないぞ。お前の女癖の悪さには辟易する。その調子でいたら、いつか命を落としてしまいかねないぞ。私たちが何をしているかわかっているだろう」
 なんだか悲しくなってくる。
 ジェスはこのスカイラーの中に私がはいているなんて思いもよらないだろう。
 スカイラーの馬鹿!
 あんたのせいで私まで怒られる羽目になったじゃないか。
「ジェス、もういいじゃないか。スカイラーも充分反省している。とにかく先に着替えさせてやってくれ。お説教はそれからだ」
 いつしか騒ぎを聞いたキュウジが二階から下りてやってきていた。
 キュウジ…… なんて優しい人。
 ジェスはそれから何も言わなかった。
 黙りこくられる方が凄みがあってよほど震えてしまう。
 そこで急に寒いということを思い出したように、私もここで大きくくしゃみを一つしてしまった。
 とぼとぼと階段を上って二階に行ってバスルームに向かおうとしたとき、私は重大な問題に気がついてしまった。
 ちょっと、服を着替えるって、えっ、スカイラーの裸を見ることってことじゃない。
 ええ〜、うそ、どうしよう。
 暫くバスルームの前で動けなかった。
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