第二章
4
キュウジの呼びかけにも応えず、婆さんは結局、意識を回復させることはなかった。
その隣にいた私には、しっかりとキュウジの声が届いていたから、元婆さんだった私にはキュウジのその思いは嬉しいのだが、今はミッシーとして存在しているため、どうも自分でもややこしくなってしまう。
あまり考え込んでも、何も真相がわからないし、何の対処の方法も知らないからどうしようもない。
自分が婆さんだったとき、常にめまいを起こしてたことも思い出し、婆さんも寿命が近づいてたかもしれないと思うと、また開き直って、ミッシーでいいかと、最後は無理に納得するしかなかった。
これからはミッシーとして過ごさなければならないのだが、婆さんの面会をキュウジと一緒にしてから何かがおかしくなってしまったように思える。
キュウジの態度がまるでミッシーである私を意識しているかのように思ったのは、私の気のせいだろうか。
まさか気取った女が、無防備に甘えてキュウジに泣きついたことで、キュウジにしてみればどこかドキッとする部分があったのだろうか。
それだったら、嬉しい…… えっ、ちょっと待った。
違う、それは誤った道ではないか。
この体は私がなるべきであったリセではなく、ミッシーだ。
なんでキュウジはミッシーとくっつかないといけないのだ。
でも中にいるのは私だし、やっぱりこのままミッシーを乗っ取って、キュウジとラブラブになるべきなのだろうか。
いやいやいや、それはいくらなんでも脱線している。
あくまでもキュウジの恋人はリセじゃないと困るんだ。
それじゃなかったら、今まで夢見心地で妄想してきた私の物語は崩壊してしまう。
絶対にその設定は変えちゃだめ。
でも、あれ? キュウジは私を見ている。
その目は意味ありげに憂いを帯びて、あたかも何かを考えている目だった。
そんな目はミッシーに見せちゃダメでしょうが。
でも、実際ここにいるのは私だから、そんな目で見られたら、いやん、萌えちゃう。
一体私はどうしたいんだ。
もう全てがめちゃくちゃになってくるじゃないか。
まだ婆さんの中にいたときの方が潔い諦めがあったけど、美人で若いミッシーの中に入ってしまったら、私は堂々とキュウジにモーションをかけられるだけに、これは葛藤する。
ダメダメ、リセはどうするんだ。
リセこそ私の分身であって、ミッシーは友達だぞ。
自分で自分を裏切るのか?
どうしよう。
私が一人で悶々としているとき、看護師が部屋に入ってきて、そろそろ退出してくれと催促された。
でも、考え込んでしまいすぎて、体の動きが鈍くなってすぐに行動に移せなかった。
「ミッシー、何してんだ行くぞ」
キュウジが動かない私に、手を背中に添えて、優しく出口へと向かわせた。
私の体に触れたキュウジの手、その感触を体全体で感じていた。
このままでは私は自分の欲望が抑えられないかもしれない。
でもでも、ミッシーとキュウジがくっつくことは絶対ありえない。
しかし、今、中にいるのは紛れもなく私である。
変な事になってしまったと、私は首をうなだれてしまった。
もういやーん。
でも実は嬉しかったりする。
どっちやねん!!
複雑な思いを抱え、廊下で待っていた皆と再び顔を合わせば、リセはすぐに私の元にやってきて、婆さんの様態を訊こうとした。
私はそれよりも、置かれている自分の状況の方が心配すぎてぐったりしてしまった。
「ミッシー、お婆ちゃんはそんなに悪いの?」
「いや、その」
婆さんの状態も決していいとは言えないが、はっきりとそう言いきってリセを悲しませることも憚られる。
自分の浮き沈みの激しい感情に左右されすぎて、何をどう言っていいのかわからなかった。
それを見ていたボスが
「ミッシー、事件後だし、疲れてもいるだろう。仕事のことは気にしなくていいから当分休め」
と気を遣ってくれた。
店もかなり酷いことになっているだろうから、すぐには開けられないのもあるが、ここで充分な時間が取れるのはいい傾向だった。
この機会にリセとキュウジをくっつけなければ。
でもほんとに素直にそう持っていけるだろうか。
自分が欲張りそうで、尚且つ自分が信用置けなくなってしまった。
なんでミッシーに憑依してしまったのだろう。
そんな時、キュウジが私を見ていたから、目が合ったときお互い非常にびっくりしてわざとらしく視線を逸らしてしまった。
こりゃやばい事になってるんじゃないのか。
嬉しいのに、嬉しくない。
どうしていつもこんな風に、同時に二つの感情が表れてしまうの。
私は一体この先どうキュウジと接すればよいのだろうか。
あー悩む。
そんな時、スカイラーがリセにちょっかい出しているのをみてしまった。
ぴったりとマークするようにリセの隣に、しっかりと自分の身を置いている。
あれはリセが気になって、自分の事を気に掛けてもらおうとして、あれこれと作戦を練っているに違いない。
スカイラーは私のシナリオ通りにリセを気に入り、モーションをかけ始めてしまった。
そこは忠実にならなくてもいいのに、なんでこんなときにそこだけ機能してしまうのよ。
リセは今、婆さんの容態が悪くて心配のあまり、気持ちが不安定になっている。
普段は男には興味がないけども、婆さんと接点のあるスカイラーが近寄れば、それだけで気を許してしまい隙が出てきてしまう。
キュウジに惚れていたならば、全然問題ないのだが、その部分がないだけに、優しく近づいてこられたらそのうちにスカイラーになびく可能性もあるかもしれない。
リセがキュウジに惚れるのは、一目ぼれをしたキュウジが不器用ながらも一途に思いを伝えようとすることで、いつしかすっかり心を許して恋心が芽生えていくのである。
ここで先にスカイラーに心を許されたら、スカイラーがキュウジの変わりになってしまう可能性もでてくるじゃないか。
しかし、キュウジはリセの存在よりも、今は私の存在が気になっている様子で、やっぱりチラチラと私を見ている。
まさか、そんな、嘘。
ここはなんとかしないと。
「リセ、私とても疲れちゃった。アパートに帰りたい」
とにかくリセも私もここを離れなければならない。
リセは気を遣ってあげられなかったことに悪いと思って、すぐさま私の側に寄ってきた。
「大丈夫? ミッシー」
「うん」
いや、ほんとは大丈夫じゃない。
違う意味で。
「それじゃ私が送っていこう」
ボスがすぐさま、車を出しに歩き出した。
私もそれについていこうとしたとき、キュウジが呼び止めた。
「ミッシー!」
私は自分がミッシーなのか成瀬ハナなのかややこしいまま、喜びと悲しみが混ざり合った感情を抱えてキュウジに振り返った。
「また連絡していいかい?」
えっ! これは一体。
ちょっと待って、でも、ああ、ああ……
心はドキドキとしているのに、それはダメだと警告もしている。
「……うん」
返事をしておいたが、私の気持ちの針は今どっちを向いているんだ。
全くやばい事になってしまった。
「じゃあ、リセ、僕もまた連絡するね」
調子に乗ってスカイラーまでもが言う始末。
「リセ、行こう」
リセが返事をする前に、私はリセを強く引っ張った。
リセはつんのめりそうになりながら、私についてくるが、きっちりと挨拶をしたいために、一度振り返った。
「皆さん、色々とありがとうございました。それじゃまた」
「うん、またね」
スカイラーの軽やかな声が、私の背中越しから聞こえ、それは私を益々不安にさせてくれた。