第三章


 タクシーを拾うつもりが、外の天気は空が澄み渡り気持ちよく、リセは久しぶりに外が歩きたいと言い出し、それに付き合うことになった。
「色々とご迷惑おかけしてすみません」
「いや、別にかまわん」
 そういうだけで精一杯だった。
 愛想の悪い男なので、変に気を遣わないでいいのは楽だったが、リセがジェスにすっかり頼り切っているので、いざというときも自分を守ってく れると思っている節がうかがえた。
 リセ、それはちょっとあざといし、私はジェスじゃないので、守りきる自信がない。
 とにかく、リセと二人っきりになれた事はよかったので、私は虎視眈々とチャンスを窺ってはその時を待つ。
 早くリセに乗り移りたい。
 焦る気持ちをトコトン押さえ、あくまでもジェスのイメージを保ちながら私はアパートにたどり着くまで必死にジェスになりきろうとしていた。
 途中、路面電車に乗り、にぎやかな街通りを過ぎて、リセのアパートの前にやってきた。
「あれ、なぜ私がこのアパートに住んでいるってわかったんですか」
 リセよりも早くアパートに入ろうとしていた私の足が止まった。
 前は婆さんとして来た事があるから、全てはわかっていた。
「えっ、ああ、勘というのか、リセの視線がすでにここを捉えていたから」
「ジェスって洞察力がすごいですね。そういうことまで見抜くんですね。何をしても器用だから尊敬しちゃいます」
「いや、そうでもないが」
 リセの崇拝しきった瞳が、きらきらとしてジェスに熱い視線を送っていた。
 だから、そういうのはキュウジに見せてよ。
 リセはジェスにある程度の憧れを持つ設定にしてあるが、それはジェスの存在がすごいから、ただ感銘を受けるという設定に過ぎなかったはず。
 キュウジに恋をしてなければ、まさかジェスに恋心としてそれが育っているんじゃないかと心配になってくる。
 ジェスもステキには変わりないが、あんたは私の分身だよ。
 やっぱりキュウジが一番好きにならないといけないでしょうが。
 ここはお仕置きのように、思いっきりリセの崇拝を無視してやった。
 元々愛想悪い男だからいいよね。
 自分で自分の分身をいじめてどうするんだ。
 ここまでくると自分でも何をやっているのかわからなくなってしまう。
 とにかく今は、リセに乗り移る方法を考えなければ、ここでリセに乗り移れば、あとは私がキュウジに近づけばいいだけになる。
 でも、リセは自分から男に近づけるタイプではなかった。
 常に言い寄られて、近づいてこられる方で、だから無垢で純粋という設定でキュウジもベタぼれする。
 リセの性格が大きく変わっても、やっぱりどこかで支障をきたすんじゃないだろうか。
 何もかもがずれてしまっているだけに、リセになれたからといって全てが上手くいきそうにも思えなくなってしまった。
 どうすればいいのよ。
 リセがドアの鍵を開けようとしたとき、ふと警戒したのか一瞬動きが止まった。
 ジェスに家の中を見られる覚悟だったかもしれないが、そのまま何も言わずに扉を開けた。
 そっと覗き込むように中を見渡したが、家の中は別に変わったところはなかった。
 荒らされてもいないし、私が婆さんやミッシーとしてここへ来たときに見たまま、大きな変化もなくそのままの姿で残っていた。
 リセに案内されて足を踏み入れ、私も一通り見回す。
 若干、シンクにコーヒーカップやお皿がそのまま置き去りにされて、片付いてないところがあるくらいで、慌てて出てきたという様子が見受けられる程度の事くらいしか変わったところはなかった。
 でも、リセの表情がどこか強張っていたのは、心配が抜けきれてなかっただからだろうか。
 この部屋の住人にしかわからない変化でもあるのか、リセは違和感を感じたように表情が強張っていた。
 そこに、いきなり軽やかなメロディが聞こえてきたから、リセはドキッと飛び上がって驚いていた。
 リセの持っていたショルダーバッグから音は聞こえてくる。
 それを取り出し、リセは表示を見るなり怯えてしまった。
 私は一瞬で事を飲み込んだ。
 その電話はミッシーの電話を持ってるホッパーからに違いない。
 リセが私に助けを求めるようにその電話を見せた。
 やはり、ミッシーの名前が画面に出ていた。
 私は出てはいけないと、首を横に振ったその時、声が聞こえてきた。
「電話を掛けているのに、なぜ、出ないんだ」
 クローゼットが独りでに空いたかと思うと、銃が顔を覗かし、そしてミッシーのスマートフォンを持ってホッパーがそこから出てきた。
「キャー!」
 これは私の悲鳴だった。
「えっ」
 ホッパーもリセも同時に驚いて私を見ていた。
 あっ、しまった。
 私はジェスだった。
 どうしよう。
 これでジェスのイメージが崩れてしまう。
 ジェスごめん。
 謝ってる暇があれば、なんとかしなくてはと思って、咄嗟に無我夢中でホッパーに飛び掛った。
「リセ、逃げろ! 早く」
 リセは気になりながらも、さっさと部屋から逃げていく。
 私はその間ホッパーともみ合った。
「くそっ、女のように悲鳴を上げたかと思ったら、それは気を逸らす作戦だったのか」
 いや、そうではないんだけど、ごまかすにはこうするしかなかった。
 なんかやばい事になってる。
 まだジェスの力があるからホッパーと互角に戦っているが、何せ相手は銃を持っている。
 ホッパーの銃を持つ右手を持っては、なんとかそれを使わせないようにとしているが、いつまでこれが続くのだろう。
 激しい力の比べ合い。
 ジェスだって強い男だし、簡単に負けるとは思わないが、この必死になっているホッパーもかっこよく見えるから、ダメ、気が散る。
 こんな絶体絶命の瀬戸際ですら、私は何を求めているのだ。
 やり込められて、私の腕が弱まったときは確実に撃たれてしまう。
 ジェスの体を傷つけたくはない。
 私も負けられない意地があった。
 激しくどちらも抵抗しては、一歩も譲らない。
 ジェスの体を守りたいという一身で私は必死に、ホッパーにくらいつく。
 派手にもみ合っては、壁や家具とそこにあるものにぶつかり、その拍子にホッパーから銃が零れ落ちた。
 ラッキー! やはりここは私に運があったか。
 私はそれをさらに足で蹴り、遠くに飛ばそうとした。
 だが、その時テーブルの足に当たって、ピンボールのようにまたこっちに戻ってきた。
 やめてよ、そういう偶然。
 お互いそれを咄嗟に掴もうとして身を屈めたときだった。
 思いっきり頭をごっつんこと打ってしまった。
 痛い。
 その一瞬の油断で銃はホッパーの元へまた戻りそうと思ったら、自分がいつの間にか手にしていた。
 そして目の前にはジェスがびっくりした顔で私を見つめていた。
 あっ、まさか!
 ジェスが状況を把握してない間に、私は咄嗟に慌ててその場から走り去った。
 確かめてはないが、充分自分が何者になっていたか確信があった。
 落ち着ける場所を求め、銃を懐に直して、階段を駆け下り、建物の外に出ようとしたとき、そこでリセが二人の男に抑えられて車に無理やり押し込まれそうになっているのを目撃してしまう。
 リセ、あんた捕まっちゃったの? ん、もう!
 助けようとして車に近づくと、そこに居た二人はいきなりかしこまって、お辞儀をする。
「お疲れ様です、ホッパーさん。準備は整いました。さあ、どうぞ」
 あっ、そうだった。
 さっきジェスとごっつんこして、ホッパーに乗り移ったんだった。
 私は、仕方なく後部座席に乗り込み、震えるリセの隣に腰掛けた。
 その時、建物からジェスが飛び出してくるのが見えた。
 不振な車だとすぐに判断して、近くに寄れば、中でリセが悲痛な顔をして「助けて」と叫んでいることに驚いていた。
 ジェスにしても、階段からスカイラーが落ちてきたところから記憶がないと思う。
 それでも、頭の回転が速いジェスだから、自分の記憶がなぜ抜けているかよりも、リセがバッフルに捕まったと瞬時に判断したんだろう。
 車のガラス窓を叩き、なんとか抵抗しようとするも、車はなんの被害も受けることなく、すぐさま、すーっと出て行った。
 ジェスはそれを追いかけようとタクシーを探しているのか、きょろきょろと辺りを見回していた。
 タクシーが捕まるまでちょっと待っててあげようよ、といいたかったが、ホッパーの部下は黙々と運転をして、あっという間にジェスの姿が見えな くなっていた。
 隣でリセが泣きそうになりながら、震えている。
 一体リセを捕まえて何をしたいのか。
 私にもわからなかった。
 でもここまで憑依し続けた今、今度こそリセになれるような気がしていた。
 順序から言えば、もうそろそろだという気もあったし、とりあえずホッパーのフリをして、ここは乗り切り、成り行きを見守るしかなかった。
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