遠星のささやき

第十二章 成り行き任せ

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 三岡君がこの世から去ってしまって、私もいつまでも同じ場所に留まるわけにはいかない。
 無理をする訳でもないが、自力で生活している以上、毎日働いて、それにそったことをやらなければ死活問題に繋がる。
 自然とまたいつもの生活のリズムになっただけのこと。
 何かやることがあると気は紛れていく。
 ただそれは疲れきったときに自転車で坂道を漕ぐようなものだった。
 止めれば簡単に後ろに下がって転がってしまう。
 だから、寂しさが募った夜、どうしようもなく自分でも訳がわからずに手にかみそりを持ち、手首を軽く切ってたときがあった。
 その時、自分の意識が飛んでいて、そんなことしたなんて記憶がなかった。
 無意識の行動。
 私は自分で納得しようと無理をしていただけだったのだろうか。
 美幸が言った真実も、言葉だけ受け取って、感情を別の空間に置き去りにした感じだった。
 これも本当は相当ショックで、それを認めるのを拒んで脳の回路がショートした状態だったのかもしれない。
 驚きすぎると予測不可能なほど、意に反した行動をするときがあってもおかしくない。
 特に精神状態が崩れているときは、記憶も蓄積されずに突拍子もない行動をとってしまう。
 まさか自分がそんなことをするなんて、やってしまった後に我に返るというもの。
 今さらながら、悲しみが溢れるように蘇る。
 反応が遅いのか、それともやっとまともに考えることができるようになったのか、突然手首に感じた痛みで自分でも顔が歪むくらい驚いてしまった。
 でも中途半端な傷に笑ってしまう。
 やるならもっと深く切り込め。
 結局は心の反抗だけなもので、私ははったりをかました弱い人間。
 だけど、こんな傷でもひりひりとうずくように痛かったのは、もうこんなことするなってことなんだろう。
 痛みは有難いほど私の体に警告を発してくれた。
 ごめん、三岡君。
 私はまだそっちに行けない。

 人にあれこれ何を言われても、自分に起こってることは結局本人にしかわからない。
 そしてその自分自身が何をやってるかわからなくなっては元も子もない。
 心が無になるくらいのそれだけのものを失ったんだから、立ち直るには時間という薬がたっぷりいる。
 当分は自分が何をしたいのか、白黒つけずに未来の私に託してみよう。
 だから今はあれこれ考えることはしないことにした。
 成り行きに任せてみよう。
 真面目に考えずに、いい加減になるくらいに、時の流れに身を任せることもいいかもしれない。
 そうしろと言われるかのようにトモやうっちゃんからはたまに電話があったり、仕事場にサプライズと顔を出してきたりして、交流が続いていた。
 私がどうしているか心配してくれているのもあるが、二人も親友を失ったことで寂しさを紛らわしたくて私と会うのかもしれない。
 それとも三岡君が私の面倒見ろとでも二人に命令してたのだろうか。
 どんな理由であれ、二人と交流を持つのは嫌じゃなかった。
 
 ある日のこと。
 季節は暦の上では秋だったが、まだ日中の暑さは続くそんな夏の終わり時、軽いノリのうっちゃんがいつになく真剣になって、私と付き合いたいといい出し た。
 三岡君が説明してくれた話ではうっちゃんも私のことを気に入っていたことになっていたが、うっちゃんはとてもハンサムで他にも色んな女性が選べるはずな のに、なぜこの私なんだろうと不思議に思ったけど、私はこのときあっさり承諾した。
 真剣に話したうっちゃんの顔の方が信じられないと目をぱちくりしていたくらいだった。
 これも成り行きに任せてみようという気持ちからだけど、本当は気分的にとても楽だった。
 全く何も事情を知らない人より、全てを知っている人の方が一から始めるより、幾分過程を省けて土台がすでに出来上がっている。
 ある程度の土台があるところから始める方が余計な労力を使わなくてもいいというもの。
 本当のところは私自身に何かが変わると期待していたのかもしれない。
 トモは私とうっちゃんが付き合うことに驚いていたが、意見することはなかった。
 ただ私と三岡君を応援してくれたようなお節介な部分が消えた。
 うっちゃんとの仲のことは見て見ぬふりというのか認められないようだった。
 三岡君がいなくなったトモとうっちゃんの関係はあまりよくなさそうに見えていったが、私はそれについてはあまり深く考えなかった。
 それとは対照的に私とうっちゃんの仲は急激に濃くなっていく。

 うっちゃんも三岡君と同様に私のことを大切に思ってくれた。
 軽いと思っていたけど、いざ付き合ってみるとしっかりとした人だった。
 表面と内面を使い分けることができる人。
 だから以前人付き合いも上手いと感じたのかもしれない。
 三岡君はいつも直球で信念を貫くような人だったけど、うっちゃんはフレキシブルで要領がとてもいい。
 それにうっちゃんはやはり顔が最高級に整っているだけに、一緒に歩いていたら振り返る女性も多い。
 そんな側で私が彼女の立場なのは少し優越感が出てくる。
 だけどこんな風に思っていいのだろうか。
 それとも今までが激しく真剣になり過ぎていただけなのだろうか
 どこか無意識に三岡君とうっちゃんを比べている。
 そして私の心があの日うっちゃんには透けたように見えていた。
 自分ではあんなことになるまで気がつかなかったと言ったら、やっぱりただの言い訳だろうか。
 本当は自分でもどうしようもできないくらいわかりきっていたことだった。

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