遠星のささやき

第十二章

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 そしてまた一年経ち春が近づく。
 二十歳過ぎた頃から一年の流れが早く感じるようになる。
 私も気がつけば23歳になっていた。
 数字だけ見ればまだ若いが、これから確実に数はどんどん増えていく。
 年を取る悲しさはこの頃から芽生えてきたように思う。
 振り返れば高校を出てからひたすら走り続けて心休まることなく何かを抱えてきた日々。
 それ故にこの5年間はそれ以上の年月が流れたような気がした。
 心の中はそれ以上の年を取った気分だった。
 
 そして職場で仕事をしているある日のこと。
 商品が送られてきた箱を開け中を確認作業をしているとき、ふと英子さんが目に付いた。
 彼女は私とちょうど一回り違うので、計算すると35歳のはず。
 それでもまだ一人身。
 彼女を観察している訳ではないが、常に手鏡を見て自分の顔をチェックしては、化粧品を出して所々補っている姿を見ると、自分は英子さんと同じ年になった とき一体何をしているのだろうと考えてしまった。
 彼女は常に自分を美しいと思っている。
 周りの人の目から見ると、白く塗りたくった平安京に出てくるような人に見えるらしい。
 お世辞にも美人とは私も言えなかった。

 この日、英子さんは新しく入った男物のシャツを手にとり、色が気に入ったと自ら購入すると試着していた。
 彼女は自分の体より大き目のシャツをだぼっと着ては鏡の前で角度を変えて見ていた。
「こういう私もいいな」
 彼女の呟きが聞こえた。
 何かを想像、いや確実に妄想しているのか、表情はにやけて満足そうだった。
 そして鏡の中の自分を見つめる目が真剣。
 男は女性が男性もののシャツを素肌に来ている姿がかわいいと思う時があるらしいが、まさに英子さんは思い人を想像してそんな自分に見とれている相手の姿 を想像していたに違いない。
 その思い人には全く相手にもされていないというのに、彼女の中ではいつか振り向いて貰えると思っている。
 私とは少し状況は違うが彼女を見てると、一人の人をずっと思うということで年を取っても全ての思い、感覚、状況といったことは保存されたままで自分はそ の時のままなんだと教えられたようだった。
 ただ一つだけ保存できなかったのは、その時年を取り、表面は確実におばさん化されているということ。
 だから英子さんを見ていると、どこか痛々しくて心苦しくなる。
 それは将来の自分と重ねているからなのだろうか。
 私もいつかは年を取る。
 今は成り行きで未来の私にその時考えればいいと心の赴くままにしているが、いつ真剣にそのことを考えるときがくるというのだろう。
 英子さんの年になっても結局はまだ同じ事を考えているのではと、私は鏡の前でポーズを取る英子さんの姿を悲哀の目で見ていた。
 
 私は心にずっと忘れることはない人をしまいこんで、そして表面はハンサムで優しく金持ちの男性と付き合っている。
 そして昔からの知り合いであり、私に惚れているという強み。
 これほどの男性は彼氏にするには申し分のない人。 
 ただ私達の間には決して入り込めない部分があり、それはお互い暗黙の了解で見て見ぬふりをしている。
 そこにさえ触れなければ全ては上手く行く。
 でも忘れることは決してできない部分なだけにそれは知らずと溝を作っていく。
 静かにゆっくりと私には目に見えず進行していき、知らされたときは取り返すことのできない深さと幅になっていた。
 それでも私は真剣に捉えることができなかったと言えば、うっちゃんに対して恐ろしく失礼だったのだろうか。
 
 うっちゃんの仕事は何をしているかわからないが、どうやら自営業で家の跡継ぎをすることが決まっていた。
 会社の社長の息子といえばやっぱり御曹司ということになるのだろう。
 忙しく大変なことは雰囲気で判っても、うっちゃんは仕事の話は私には決して言わない。
 そのことについても彼はきっと悩むところがあり、経営者の立場である親からも色々と指図されていたに違いない。
 仕事のことも、プライベートのことにしても──。
 私が彼女だということは母親には言ってあったらしいが、正式にはまだ紹介して貰ったことはない。
 母親にしてみれば、私がたぶらかしてると思っていい印象は抱いてないのが、電話をする度に感じられる。
 その風当たりの強さでうっちゃんも板ばさみになっていたと思う。
 私もうっちゃんの彼女として彼のご両親に紹介して貰うほどの立場ではないのは充分自覚していた。
 それに対して私は立ち向かう気力もなく、努力して改善しようとも何も思ってなかった。
 うっちゃんも私との触れる事のできない部分にもどかしさと苛立ちを常に抱いている立場。
 その思いを抱いて親に紹介できる訳がなかった。
 普段は何事もなく変わらない日々を送っていたが、いつしかそれは徐々に大きくなり、また三岡君の命日が近づくと爆発準備を整える。
 そしてまたその周期がやってきた。
 今度は唐突に起こらずにあの日が近づくとお互い見えるようにピリピリしだしてきた。
 私は何も言われずにそのまま過ぎて欲しいと思いつつ、自分なりに三岡君を弔いたい。
 うっちゃんは、私が平常心を装って素知らぬ顔をしながら三岡君の事を自分の中だけで懐かしみ強い想いを抱いているのが我慢ならなかった。
 もし二人で過去のことを話し合い、想い出を共有するかのように分かり合えたらもっと理解ある関係になれたのかもしれない。
 それをしてこなかったこと、いやできなかったといった方がいいのだろう、うっちゃんにはどうしても三岡君を越えられないと思い込み、それが嫉妬として膨 れ上がる。
 うっちゃんもまた私を真剣に愛してくれてただけにプライドが許せなかった。
 もう私もうっちゃんもどうしようもなかった。
 お互い解決策を考えることもなくそれぞれの考え方を変えずにここまできてしまった。
 そして命日の日、やっぱり喧嘩になってしまった。
 一度怒りをぶつけて吐き出してしまうと、すっとするのだろうか。
 それとも我に返って反省するのだろうか。
 またその日が過ぎれば見事にリセットされて全く何もなかったようになるのも、恒例の催しになりそうなくらい日常化されたようなものに思えた。
 きっとこれからも二人が付き合っている限り、これは起こってしまうのだろうとこの時感じてしまう。
 直そうとか二人して乗り越えようとか努力する気持ちも特別起こることなく、お互い判ってながらスルーするようなそんな出来事のように思い込んでしまった のかもしれない。
 それを除けば、私達は上手いこといって、とてもいい関係だった。
 私のことを好きだと何度も抱いてくれるうっちゃん。
 その時に限っては私も体の感じるままに彼を受け入れる。
 そして次第に情が湧くというのか慣れきってしまった。
 このままでいいと少なくとも私は思っていた。
 でもうっちゃんは違っていた。
 そして彼の口から出た言葉に私は成り行きの結果を聞かされた。
 うっちゃんはこう言った。
「俺、見合いしたんだ。そして結婚することにした」
 それは唐突に、普段通りに私のマンションで一緒にご飯を食べてくつろいで、そして「またあとで」といつものようにうっちゃんが玄関のドアの前に立ち、靴 を履いて振り返って帰ろうとしているその瞬間のことだった。

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