遠星のささやき

第十三章

 トモの姿を見たのと同時に、駅の側の踏切の音がけたたましく鳴り響き、次に電車が通り過ぎる音がすると心が訳もなくざわつき始めた。
 まるで嫌なものを見たかのように、怪我をしたトモの姿がより一層痛々しく見える。
 私は心配するような顔を見せるよりも、どうしてそんな格好をしているのか嫌悪感に近い表情をしていた。
 そんなことも気にせず、トモは自分の怪我のことなどお構いなしに私を見て会えた事を嬉しそうに笑っていた。
 しかし私は松葉杖と足のギプスを私に見せて同情を引きたくて、今回はわざと振り込まずに私と会うための口実を作ったのではと変に勘ぐっていた。
 そうだとしたら卑怯だ。
 素直になれない私の心はそう叫ぶしかできなかった。

 松葉杖を使ってトモが行き交う人に混じりながらヒョッコヒョッコと私の方へ向かって歩いてくる。
「その足どうしたのよ」
 普通ならもっと労わった優しい声で言うべきだが、ざらついた心ではついつっけんどんになってしまった。
 いつも通りのパターンと言ってしまえば、それで済むかもしれないが、この状況では私の態度はかなり酷く、思いやりも何もない。
 暫くじっとトモの怪我した足に視線を向けていた。
「これ、大したことないんだ。階段で足を滑らしただけなんだ」
「ドジね」
「へへへ」
 なぜもっと労った優しい言葉を掛けられなかったのだろう。
 そうすべきと分かっていたのに、どうしてもできなかった。
 それでもトモは恥ずかしいとばかりに笑っているだけだった。

 トモはどこまでお人よしなのかがわからないほど、自分がお金を振り込んで感謝されるべきと思って良いのに、そんなことを微塵も感じさせずに今月振り込め なかったことを先に謝ってきた。
 私の方が最初に感謝の気持ちを述べるところなのに、私の性格を知ってなのか恩ぎせがましいことを私にさせないかのようにも思えた。
 それが却ってまた落ち着かなくさせる。
 そして怪我をして仕事ができなくて、給料が減ったために振り込めないことをまたここでも謝ってくる。
「そう、もう助けてくれないんだ」
 お金がもらえないことを露骨に残念がる態度を見せていると言うのに、トモは嫌がりもせず松葉杖を脇に挟んで、ぎこちない姿勢になりながらポケットから3 万円を取り出して私に差し出した。
「これが今回精一杯なんだ。少しでも役に立つといいけど」
「あっ、今回まで助けてくれるってことなんだね」
 私はお礼など言わずにお金をあっさりと受け取った。
 この状況の中で受け取ったことがどれだけ厚かましいことか、そんな常識はわかっていたのに、躊躇せずにお金に手を出したことを心の奥に閉じ込められた別 の自分が酷い 奴と呟いていた。
 トモを目の前にすると、どうしても酷い女になってしまう。
 それが自分の本心じゃないってこと自分でもわかっているというのに、なぜ表面はこうなってしまうのだろう。
 そしてトモは嫌な顔一つせず、それどころか充分に助けられないことを気にして、申し訳なさそうに何度も謝っていた。
「早く仕事見つかるといいね。助けられなくて本当にごめんね。俺も早く怪我が治ってきっちりと働けるようになったらまた……」
 私は話を最後まで聞かずにたたみかけるように声を発した。
 その後の言葉はもう不要だった。
「そうだね、早く怪我治してよね。じゃあお金ありがと。私もう行くね」
 トモは寂しげに私を見つめていた。
 私が薄情に金目当てだけにトモを利用していることを失望しているのではなく、私と会えないことを純粋に残念がっているそんな目をしていたように思う。
「リサちゃん、体には気をつけてね。俺のように怪我とか病気なんかもしちゃだめだよ」
「言われなくても分かってるわよ」
 もう何も言えなくなった。
 自分の生活の方が危ういというのに、トモは本気で私を心配している。
 三岡君が言っていた言葉、『トモは自分の幸せよりも人の幸せを願うんだ』を思い出す。
 トモは本当にバカだ。
 私はトモと別れると、なんだか悲しくなって目が潤っていた。
「なんで利用されてるってわからないのよ」
 大きな声で本人にぶつけたかった。
 でも自分でもこの感情がよくわからない。
 こんなに世話になって、苦しい時に助けて貰いながら、どうしてトモに酷いことを言ったり、思いやりに欠けてしまうのか。
 男になんか甘えたくないというプライド。
 それなのに本当はトモに甘えている。
 それを認めるのが悔しい。
 本人にはそう思われたくない。
 それだけのために、こんなに酷い態度になれるというのだろうか。
 私も相当ひねくれている。

 トモのこと一番理解していたのは三岡君だった。
 そして二番目はきっと私だろう。
 もうトモには会わないでおこう。
 「さようなら、トモ」
 私は心の中でそっと呟いた。
 
 夏が本格的になってきた頃、佳奈美がこの秋に結婚することになったと知らされた。
 相手は職場で知り合ったアメリカ人。
 確か付き合っていたのは留学で知り合ったヨーロッパ人だったのにと思ったが、もうそれは深く追求しないことにした。
 遠距離恋愛だったのが、就職したところでまた運命的な出会いをしてしまい、結局はそっちを取ることになってしまったのだろう。
 恋愛なんて本人同士にしかわからない。
 それは私が一番良く知っている──。
 それにしても、日本だというのに相手が日本人じゃないのが佳奈美のすごいところ。
 暫くは日本で一緒に暮らすといっていたので、すぐにはアメリカに行くことはなかった。
 彼女は着々と自分の人生を切り開いている。
 私はまだ結婚という言葉には無頓着だったが、どこか思うように先に進めずにいたことで佳奈美が羨ましくも思えた。
 自分の思うようにわが道を歩きたい。
 そう思いながらも、結局自分は何をしたいというのだろう。
 特に目的もやりたいこともわからずただこの時をやり過ごす。
 まるでずっと森の中を彷徨い、その場その場をしのいで生きているだけのように思えてきた。
 森の中の道はコンパスや地図を見ながら自分で行き先を選べばいつかどこかへ抜けるだろうに、そうする手段を知っていながらもそれをしないだけなのではな いだろうか。
 とにかく遠い未来のことよりも今のこの瞬間のことしかまだ考えられない。
 私に必要なものは生活するお金であり、それを手に入れる仕事。
 もうなりふり構ってられなかった。
 これ以上後がないと必死で片っ端から面接を受けまくり、やっと就職先が決まった。
 ホッとしたのもつかの間、また一からのスタート。
 通勤時間も以前は一駅で済んでたところだったのに、今度は1時間以上かけて通わなければならなくなった。
 文句は言ってられない。
 仕事内容は、服飾業で前回とあまり変わりはなかったが、企画やバイヤーといった業務も携わり、売り上げを常に伸ばすことを考えないといけないしんどさが あった。
 しかし逆に言えばやりがいもある。
 ここでやりたいことや自分が満足する目的が得られるかもしれない。
 だからまた一生懸命やらなければと心が奮い立つ。
 仕事が変われば、生活も変わってくる。
 何かこの先変化がある。
 そんな気にもなってくる。

 折角ここまで来れたというのに、私が選ぶ道はまだいい加減なものだった。
 どうしてもひねくれるというのか、自分の幸せを壊して最悪の状況をわざと選んでいるようにも思えた。
 なぜそうしてしまうのか。
 最初から壊れていれば誰にも壊されない。
 私なりの戦い方?
 だからこの時、知り合った二人の男性と同時に付き合ってしまった。
 いわゆる二股。
 その男性二人は親友同士だと言うことも判っていて──。
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