遠星のささやき

第十四章 小さな星の明かりが見えたとき

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 私が病院に駆けつけた時には、父はもう既にこの世の人ではなかった。
 ベッドに横たわる父を呆然と見ながら原因を聞かされる。
 過労死──。
 それは突然に、夕飯を食べてる最中に意識がなくなり崩れていくように倒れこんだらしい。
 母と弟が目を真っ赤にして悲しみに暮れ、嗚咽しながら話してくれた。
 そして私も悲しみに耐え切れず息ができないくらい泣き叫んだ。

 最後に父にあったのはいつだっただろう。
 たまに実家には顔を見せることがあっても、時間を割いてまで父とゆっくり話をしたことはなかった。
 空気のような存在で、そこに居て当たり前だと思っていた。
 父も父なりに言葉少ないながらも、私のことをいつも考えていたとは思う。
 一緒に住んでたときも常に好きなようにさせてくれて、私がする事に何も口を挟まなかった父だった。
 それが私に一番適した接し方だと父は思ってたに違いない。
 特に言葉にすることはなくとも、誕生日には黙ってお金と共に気持ちをさりげなく置ていく、面と向かえば照れるけど何も言わなくてもお互い信じあえるそん な親子。
 そして陰ながら面倒見がよく、そういう父だったから周りの人達からも慕われて友達は多い方だった。
 いつもニコニコした丸顔が夜空に輝いた優しいお月様のようにも見えた。
 その父が無言で横たわっている。
 抱きついて何度も父の体をゆすってみた。
 まだ温かいのにピクリとも動かない。
 身を切られるほどの悲しみは体全体を震わせて、この上ない苦しみを私に味合わせていた。

 こんなにも早く父を亡くすなんて考えたこともなかった。
 でももう父はいない。
 また大事な人が私から去っていった。
 好きにさせてくれたのに、私は娘らしいこと父に何もしてあげられなかった。
 後悔だけが残る。
 失ってから気がついたとき、それはもう遅かった。
 そしてもう一つ早くから気がつくべきだった。
 気ままに生きてきたと思っていたが、それは父が陰で支えてくれていただけだったと、皮肉にも父を失ってから自分が自由に好きなことをできていた意味を 知った。
 
 父の葬儀が終わり形式的なことが終わると、色々な問題が見えてきた。
 父が居なくなることで収入はなくなり、お金の問題が露になる。
 母は年も取り体が弱く働きに行くこともできず、弟も仕事をしているが、父ほど稼ぎはよくない。
 実家はそんなに貯蓄もなくこのままでは生活は苦しくなる一方だった。
 だから私が実家に戻らなければならなかった。
 私と弟で母を支えていく。
 私の自由気ままな一人暮らしはもうお終いということになった。

 人生はいつもどこかで思うように行かない。
 私の場合特にそうだから、また自分の想像と全く違う方向へ行ってしまったと、荷物をすべて運び出した後のがらんとした部屋を見てうっすらと涙が出てい た。
 でもこの部屋は必ずしもいい思い出ばかりではなかった。
 しかし何かのきっかけがなければきっとこの部屋からは抜け出せなかったかもしれない。
 それなら出た方がいい。
 自分が変わるためにもそうすべきとでもいうように、家主さんのチェックを経て、鍵を渡すと私は潔くその部屋を出た。
 だけどこれからどうなるのだろう。
 想像しようとしても何もビジョンはなく、そしてこうしたいと思ってもきっとその通りにならないことも判っていた。
 それでも一つだけ学んだとしたら、ただ成り行きに任せるということは避けたい。
 やらなければならないのはやっぱり仕事をしてお金を稼ぐ。
 これが私の最優先だった。
 それさえきっちりしていれば──。
 それなのにそれもままならなくなってしまうのは、やはり私は呪われているのだろうか。
 どこまで試練が付きまとうのか、一生懸命やりたくてもやっぱりここでも道は開けない。
 
 これもまた私だけのせいではない。
 見えない周りからの影響。
 どうしようもない時代の波。
 それが押し寄せてきた。
 この時期、景気がどんどん悪くなり、会社も生き残るために規模を縮小する道を取らなければならなかった。
 そのため、他の部署で働いていた女性が私の部署にやってきた。
 その人は私よりかなり年上で、子供も高校生のお子さんがいるらしかった。
 これが普通の人なら一緒に働くだけでなんの問題もないのだが、それがかなりの難癖のある女性らしく、その人と働くと皆次々にやめていくと噂されていた。
 体は細身で頬骨がやけに目立ち、顔つきも狐のようにずる賢くきつい印象があった。
 名前は吉岡アヤカ。こういう服飾業で働いているだけに年を取ってる割には洋服のセンスはよく、かつて自分で出したアイデアが採用され会社の売り上げを伸 ばし、それ専用の部署を作ったくらいアイデアに優れた人だった。
 しかし、この不況でそれも売り上げが伸びず、結局は閉めることとなったのだが、仕事ができるだけにかなりきつい物の喋り方をする。
 売り上げを上げた実績もあり、上の者からも認められ、誰も刃向かえるものはいなかった。
 だからこそ、吉岡アヤカの下で働くものは我慢をするか辞めるかの二者選択。
 私もこの人と働いてみて、なぜ皆辞めて行くのか身をもって理解できた。
 この人はお客であっても失礼な態度を取る。
 私の目から見れば人間性が全くできてない。
 仕事ができるから反論できないというのではなく、この人の気質がきついものであって、人を傷つける言葉が口から飛び出し、何を言っても無駄であっただけ だった。
「化粧が濃い。不細工。センス悪い。のろま。あなたアホ?」
 というようなことは日常茶飯事。
 ずけずけとネガティブな言葉がいつも発せられた。
 しかも悪気があれば、尚更腹が立つ。
 ただ、自分の部署がなくなって移動になっても、新しいところでまたいいものを作ればいいという気持ちをもっているのには驚いた。
 かなりの前向きな人であったにも関わらず、性格が悪いため私は好きになれなかった。
 いや、他の人同様、私「も」好きになれるはずがなかった。

 吉岡アヤカと一緒に働きだしてから、仕事はどんどんストレスが貯まっていく。
 常にネガティブな言葉を聞かされて陽気になれる人の方がいないだろう。
 この会社に入った当時は慣れるまで大変だったが、そんなに悪いこともなく、お客とも仲良くなり、私の顧客が出来たくらい仕事が楽しい方だった。
 それが吉岡アヤカの登場で、毎日が苦痛でやりきれない。
 自分の思うように相手がしないと、この人はすぐに文句を言ってくる。
 一緒に働くものを召使としか思ってない。

 私の休憩中に私を訪ねてお得意客が来たとき、吉岡アヤカしか店に居ないのに私の顧客だからという理由で無視をしたらしい。
 用件を聞く姿勢など全くなかった。
 それを後に客本人から聞かされて背筋が凍った。
 ひたすら謝ったが、私には問題はないので、吉岡アヤカだけが悪いからと、それ以来、その客は私が確実にいるか電話で連絡をしてから来るようになった。
 お客ですら避けるほどの社員。
 まだ私のことを気に入ってくれていたので、店に戻ってきてくれたが、普通ならそこで見切って離れていってもおかしくない。
 こんな人とこれから先一緒に居られるはずがないと、私も一大決心をした。
 家計が苦しいときに仕事を失うのは辛かったが、リスクを負ってまでも私はこの吉岡アヤカから離れたかった。
 またここで会社の記録更新。
 吉岡アヤカと一緒に働くものは誰しも辞めていく。
 それが立証されるのに、会社は何もこのことについては口出ししない。
 実力を一度認めたものはそう簡単に失いたくない人材なのだろう。
 私のようなただの平社員を失っても変わりはいくらでもいる。
 私は潔く去ることにした。
 何か動きがあるごとにまた更なる転機へと向かっていく。
 それも辛い方向へと流れていくのはなぜなんだろう。
 未来の私がその時判断すればいいと思っていたが、ずっと後回しにしてきたつけが取り返しのつかないことになっていた?
 それとも私はまだ夢の中にいると思って現実を見ようとしてないのだろうか。

 私が失ってしまったもの。
 それは一生埋めることはできない。
 でもこのままでいいとも思えない。
 私は何かを探し続けるように、ただ彷徨い歩いている。
 そこが真っ暗で明かりもなく、だから簡単に躓く。
 そして最悪のときは転んで傷を作ってしまう。
 こんなの望んでないのに。
 少しの光も得られないのというのだろうか。

 仕事も人生もうまく行かないことに、ただ苛立ちが募る。
 だけどそれってわざと与えられているものなんだろうか。
 神様はその人が越えられない試練は与えない……
 なんてよく慰められるけど、そんなのこじつけ。
 それに神なんているかも怪しいし、大切なものを奪ってまで試練を与える価値なんてあるのだろか。
 よっぽど意地悪じゃないとできないと思う。
 こう思ってるときは、何を考えてもネガティブだった。
 
 一体何が起これば私は考え方を変え、いい方向へと進めるのだろう。
 そう思ってるうちはきっと何も変わらない。
 私はため息を吐きながら求人広告を虚しく見つめていた。
 年齢もこのとき28歳。
 もう後がないように思えた。
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