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夕暮れと呼ぶにはまだ早い夕方だが、お寺の拝観時間が終わってるために、観光客は居ず辺りはひっそりとしてもの悲しい雰囲気が漂う。
一日の終わりの最後の一仕事でもあるかのように太陽も赤く力んでいるが、その光は眩しさをともあわせていない。
まだ明るいがまろやかな日差しの中、光が当たった全ての物の影は長く伸びていく。
家を出る時は小走りになりながら、早く会わなくてはと気が急いだが、がらんとした駐車場で車が一台とその横にすらっとした人影が見えると足取りが無意識
にゆっくりとなった。
その人影は私の方向を黙ってじっと見つめている。
私はにこやかな笑顔を作るべきか、それとも真剣な眼差しのまま表情を変えぬべきか、思案しながら近づく。
そんな風に考えていると顔が引き攣って、少し機嫌の悪そうなつんつんした表情と誤解されたかもしれない。
トモの表情がはっきり見えたとき、彼が不安そうな顔つきになっていたことで、自分の顔つきが想像できた。
「リサちゃん」
トモが私の名前を呼んで笑顔を浮かべた。
私を観察するかのようにジロジロと見つめている。
私も暫く無言のまま、トモを見ていた。
昔から細かったが、この時もかなり細く見えた。
だけど、細さの中に芯の強さと言うのが現れている。
この場合、打たれ強さというのか、雑草のような感じがした。
特にそう思わせたのが、まくったシャツの袖から出た腕。
日に焼けて鋼のように固そうなゴツゴツとした筋肉に見えた。
それが男としてかっこいい腕に見えるほどだった。
トモも私の知らないところでいろんなことがあったんだなと想像できた。
もう何年トモと会ってなかったのだろう。
初めてここで会ったときはまだお互い10代だったが、この時は自分の年を口に出すのが怖くなるくらい大人になっている。
途中途中色々なことがあった。
その時、トモの世話になり、大きなことが起こったときは大体トモが関わっている。
一番の共通点は三岡君に関して、『男部門』『女部門』と分けたら、それぞれ一番仲がよかったって言えることだろうか。
こんな風に表現したら、三岡君笑うかもしれない。
「トモ久しぶり」
何を話していいかわからなかったので、まずは挨拶を交わしてみた。
「一段ときれいになったよ」
優しく、穏やかにトモは返してきた。
「年取ったから、素直に喜べないな。でもお世辞でも嬉しいって事にしておくね」
「ううん、以前より断然大人になった。いろんな意味で本当にきれいになったと思う」
トモが言いたかったのは、三岡君の悲しみを乗り越えたことや、紆余曲折があって経験豊かになった部分が滲み出ているということなのだろうか。
叩けば埃が一杯出てくるくらいだから、確かにいろんな意味での経験は豊かになった。
それがいいことなのか悪いことなのか私にはよくわからないけど。
その経験が全て辛い苦しみでしかなかったことが悲しいだけだった。
とにかく単純に私と会えて嬉しさのあまりいい様に受け取ったことなんだろう。
トモは私のことが今も好きなんだ。
そう思うとなんだか笑けて、知らずと口元が上向きになっていた。
ゆっくり店に入って話をする場所もなく、トモがどこかへ行こうかと車に乗り込もうとした。
私は首を横に振り、「車の中で話そう」と言ってとりあえず助手席に座った。
トモは運転席に座ると、急に密室になって緊張しているのか落ち着きがなく、私と目を合わせるのを躊躇うかのように前を向いていた。
私はトモの立場になって考えてみた。
私と会ってこうやって話すことがトモにはどこか恐れている部分が見えてくる。
私がいつも機嫌が悪い話し方をするのもあるし、これから話す事柄に怯えているのかもしれない。
ここは少しでも和らげようと試みて、自分から折れてみた。
こんなこと男の前でしたことなかったことだけに、膝に乗せていた手に力がはいる。
知らずとぎゅっと握りしめていた。
暫く続いた沈黙を破るように、トモの方向に首を動かして見つめた。
「トモ、この間は変なこと言ってごめんね。ついトモの前だと醜い自分を晒し出してしまうみたい。それはずっと昔からだったね」
「ううん、気にしてない。それよりもリサちゃんに何でも言って貰える方が嬉しかった」
「トモ、もうちゃん付けで呼ばなくていいよ。リサって呼んで。ちゃんなんかつけるから私は付け上がるんだと思う。トモの方が年上なのに、会ったときから私
はトモって呼び捨ててたからね」
トモはどこか照れくさそうに、そして早速私の名前を呟いた。
「リサ……」
私は軽く笑ってそれでいいんだと知らせた。
トモに優しくなる。
私も態度を改めなければならない。
「さあ、何があったか話して。私は聞かなければならない責任があるんだから」
トモは急に話し辛そうに顔をしかめたが、このまま誤魔化すこともできずにゆっくりと語りだした。
「…… とりあえずまとまった金を作ろうと思って、そういう手っ取り早く金儲けができる仕事を紹介して貰おうと知り合いの事務所を訪ねた。何をやらされる
かある程度の覚悟はしていたけど、俺は一度限りだけと念を押した。そして契約書を持ってこられて書いているとき、一緒にお茶も出されたんだ。でもそのお茶
を一口飲んだとき、舌が異常にピリピリしたんだ。俺はもうそれだけで何が入ってるか推測できた。一度体に入れば、次からも欲しくなるようなものさ。だから
怖くなって、急に怖気ついて、その契約書をやぶってそのままそこを出てしまった。そんなことをしたら後が怖いのに、やっぱり俺できないことはできない。だ
から必死で逃げたんだ」
私はとりあえずはほっとした。
やはり犯罪の匂いは正しかった。
トモが私のためにお金を用意しようとそれを覚悟してやったけど、でもちゃんと気がついて止めてくれて感謝した。
このまま仕事を請合っていたら、トモはまた何度も利用されて居ただろう。
そして取り返しのつかないことになっていたに違いない。
それが未然に終わったことが私は体の力が全てぬけていくくらい安心した。
「トモ、私が悪いのは百も承知だけど、こんなバカなことは絶対しないって約束して。お願い」
「うん、わかった。俺、リサ…… に合わせる顔がなかった。こんな話して益々嫌われるのが怖かった。でも言ってよかった」
「うん、トモは何も悪くない、悪いのは私」
そう一番悪いのはこの私だった。
お互いの顔を見つめると私は息をふーっと漏らした。
トモは照れくさそうに落ち着かないのか、車のハンドルを握ってはギュッと掴んで力を込めていた。
その時、トモの腕の筋肉が浮き立ったように見えた。
その腕が私はなんだか好きに思えた。
「ねぇ、トモ、以前、三岡君に助けて貰ったことがあったって言ったよね。それから親友になったって。一体どんなことがあったの?」
「えっ?」
突然そんな話を振られてトモは戸惑っていたが、車のフロントガラスを見つめる目は遠い昔が見えてるように確実に過去のことを思い出していた。
「俺、過去にクラスメートに脅されて引ったくりの手を貸せって言われたんだ。そんなのやりたくなかったし、断れば殴られ、ばれたら俺のせいにされるこ
とも分かっていた。俺はそれでも勇気が出せず言い成りになるところだった。そんな時、三岡がその企みを耳に挟んで、みんなの前でバカヤローって俺を殴った
んだ。それからさ、脅したクラスメートと一緒に居るとすぐに殴ってくるんだ。お陰で俺は自然とその脅しのグループから極力離れる口実ができたというのか、
とりあえずはそいつらと一緒に居ることを避けたんだ。そして三岡が俺の側に居て見張っているうちに側に居るのが当たり前になって、それから誰にも何も言わ
れなくなった」
「すごい荒治療」
「ああ、俺も訳が分からなかったけど、お陰で悪い奴らに利用されなくなったんだ。素で付き合ってくれる三岡に感謝したよ」
「さすが三岡君だね」
「ああ、あいつはいい奴だった。だから俺はいつかあいつのために何かしなくっちゃってそればかり思ってたと思う」
「そっか。恩があるってそういうことか」
三岡君の想い出を楽しそうに話すトモの顔に和むようだった。
そしてその側で、学生時代の三岡君の笑ってる笑顔も見えてくるような気がした。
三岡君が死んでからこんなにも楽しく彼のことを思い出して話せたことは今までなかった。
「久し振りに三岡君の笑顔を思い出した」
私がそう言えば、トモはもっと思い出せばいいと笑みを浮かべて私を見つめた。
「私、三岡君のこと今でも大好き。ずっとそれはこれからも変わらない」
「うん、分かってる。俺は三岡をずっと思うリサが大好き」
「えっ?」
「えへへへへ」
その後トモは誤魔化して笑うだけだった。
だけど、妙に心が安らいでいった。
「トモ」
「ん?」
「もっと三岡君の話して」
「わかった」とトモは大きくかぶりを振ると、学生の頃に戻ったように懐かしく昔の三岡君の話をしだした。
その話しているトモの表情も三岡君の事が話せて楽しいとばかりに笑顔で一杯になっていた。
私は「うんうん」と頷きながら聞いていた。
胸の中にしまっていたものが飛び出してくるかのように私も三岡君をはっきり思い出した。
今、三人でここで話しているような気がする。
トモの話の中の三岡君を想像していたとき、トモが急に話すのを止めた。
気がつくとトモの手が私の頬に触れていた。