遠星のささやき

第八章

4 

 どうしてこうも偶然という意地悪な出来事に私は弄ばれてしまうのだろう。
 静かに何も起こらなければ、平穏で苦しみから解放された日々を送っていたのにと思うと、引き寄せられるように事が起こることが憎くて仕方がない。
 偶然が起こるなら宝くじに当たるとか得なことにして欲しい。
 また出会ってしまったことで、簡単に不安定のグラグラ、ガタガタ、ヨロヨロ。
 いつ崩れてもおかしくない状態。
 こういうとき佳奈美がいたら、電話で聞いてもらえるのに……
 気軽に話せないもどかしさが本当に遠いところに行ってしまったんだなとしみじみ感じる。
 
 でも佳奈美も異国の地できっと辛いこともあるに違いない。
 私も負けずにしっかりしなければいけないかも。
 たかが再会しただけで戸惑ってどうする。
 私も佳奈美を見習って奮い起こそうと、仕事を頑張るぞと体に無理に力を込めた。
 こういうときは誰かを例に挙げて、一緒に頑張ってるんだと連帯感を自分に取り入れることで少しは救われる。
 涙を拭い、歯を食いしばってトイレから出た。
 不意に見た自分が映った鏡。
 真っ赤になった目。
 その目で見た自分。
 恐ろしく痛々しく見えた。
 
 化粧を直し、三岡君の事は忘れるんだと休憩後はいつも通り仕事に励もうとする。
 しかし考えまいと力を入れれば、余計にそっちに気を取られてミスを犯してしまった。
 注文発注を間違えたり計算間違いをしてしまったり──。
 力を入れてこれだから、相当私は動揺していたに違いない。
 こればかりはもうどうしようもないかも。
 半分認めるように諦めてしまった。
 偶然出会ったときの三岡君が立っていた場所ばかり見つめて彼を何度も思い出す。
 ため息ばかりの一日となった。
 
 その晩、一人になるとベッドを背にして床に座り込み、ぼーっとこの日あった三岡君のことを頭に描いていた。
 考えるなという方が無理である。
 私も開き直ってしまった。
 そしてとうとう自分の中の戒律を破るように、電話の受話器を手にした。
 その相手がそこに住んでるとも限らないし、何年も連絡をしてないことでいきなり電話すれば迷惑なのも判っていたが、どうしても聞きたいことがあった。
 そう思うと、私はトモに電話をしていた。
 トモなら三岡君のこと何でも知っているに違いない。
 呼び出し音が受話器の向こうで鳴り始めた。
 暫くすると「もしもし」という声が聞こえる。
 私は一テンポ置いて、息を整えてから声を出した。

「トモ?」
「あっ、リサ…… ちゃん?」

 トモは私の声をすぐに判別できた。
 驚いて少し固まっているのが電話越しからも伝わる。
 その後、自分の正直な気持ちを表すようにすごく嬉しそうに弾んだ声で語りかけてきた。

「久しぶり。元気だった? どうしたの? でもまた連絡くれて嬉しい」
「あのさ、聞きたい事があるんだ。三岡君のことなんだけど、私と別れてから彼どうしてた?」
「ああ、三岡か。あいつならあの後すぐに籍入れて、それから子供も生まれたよ。男の子だった」
 私に気を遣っているのか、トモの声が急に沈んだように思えた。
 私を前にトモも言い難いに違いない。
 もちろんトモが教えてくれた情報はやっぱり聞きたくないことには変わりなかった。
 私も平常心ではやりとりしにくかった。
「そう…… 今は彼、幸せかな?」
「どうしたんだい急にそんなこと聞いてきて」
「今日、偶然仕事場で三岡君に会ったんだ。なんかとても寂れたように見えたから、ちょっと気になっただけ」
「そっか、アイツに会ったのか」
「三岡君には私がトモに電話して様子を聞いたなんて絶対に言わないでね」
「そういうことなら俺も隠さないで話すけど、三岡は美幸とあんまり上手くいってないかもしれない」
「えっ?」
「若すぎたんだよ。まだ20そこそこで結婚してすぐに子供ができて、慣れない事だらけだろ。でも三岡は責任感強いから良き夫であり父親であろうと頑張って るみたいだけど、でも…… 」
 トモがその後を言っていいものか迷っている。
 話の途中で止められるとイライラして私はせかすように、またぶっきらぼうに催促した。
「でも何よ」
「常に三岡の心にはリサちゃんがいたと思う」
 トモはそれがいい話なのか悪い話なのか全く判らず、最後が聞き取れないくらいの小さな声になっていた。
 言わせたのは自分だが、やっぱりトモの話はムカムカと胸が不快になり露に感情を表してしまった。
「それはトモの憶測でしょ。また本人以外から聞いたって仕方のない話して。相変わらず無神経だね。そんなこと聞いたら嘘でも辛いよ」
 客観的に見ても自分が事を持ちかけ、八つ当たられたトモがお気の毒なのは判っているが気持ちはいつもストレートに飛び出す。
 だからトモの素直に弱々しく謝る声は私に罪悪感をたっぷり注いでくれる。
「ご、ごめん」
「いいよ、トモに様子を聞いたのは私なんだから」
 本当は申し訳ないと思っているのに、素直じゃない私は謝るときもトモには迷惑顧みず強気で口調が意地っ張りな子供の様だった。
 でも自分も充分反省している。
 プンプンと怒っていた声が汐らしくなった。
「私の自業自得。でも正直、三岡君あまり幸せじゃなさそうに見えたんだ。私が言っても仕方ないんだけど、で も三岡君には幸せになって欲しい。そうじゃないと私が惨めになる」
 私は電話口で涙声になってしまった。
 トモはそれにうろたえていた。


目次

BACK  NEXT


inserted by FC2 system