遠星のささやき

第八章

5 

「リサちゃん、俺何もできなくてごめん」
 口ごもってはっきり声にならないトモ。
 情けない態度でありながら、それでも本心から心配している気持ちが伝わってきた。
 トモには当たり前のようにいつも感情をぶつけてしまう。
 それに甘えてやりたい放題していた自分にこのときはっとさせられた。
 気がついたとき罪悪感でその場から逃げ出したくなった。
 事を終わらせようと早口になる。
「どうしてトモが謝るのよ。私も変なこと言ってごめん。それじゃもう切るね」
「あっ、待って。今もまだ実家にいるの?」
「ううん、家は出て一人暮らししている」
「それじゃ連絡先教えてよ」
 一瞬沈黙になった。
 私は教えようか迷っている。
 またトモと繋がりたいそんな気持ちがふと芽生えたような気がした。
 でも私のプライドが許さなかった。
 弱りきって誰かに頼りたいなんてトモに思われるのが嫌だった。
 そんなこと私がする訳ないでしょと強がった気持ちを込めて答える。
「それはやめとく。それじゃありがとうね」
 私はあっさりと自ら電話を切ったが、心に何もない状態で暫く動けなかった。
 両膝を抱えて床に座り込んでいると寂しさでまたまつ毛が濡れだした。
 自分でも何をしているんだろうと思っている。
 今さら三岡君の事を聞いたところで何もできないのに、ただ情報だけは知りたいなんてほんとに何を求めてるんだろう。
 また辛くなるだけなのに、それを判っていても自分はそういう道しか選べないなんてどうしようもない馬鹿だと思えてきた。
 すると突然、年月を飛び越えて新しく怒りが湧き起こった。
 私の幸せを奪ったことの全てはあの出来事以外に他ない。
「なんであの時、子供なんかできちゃったんだろう」
 ふと声に出していた。
 会ったこともない美幸という存在に私は強い憎しみをこの時になって抱いてしまった。
 もしかしたらそうなるようにわざと仕向けたのかもしれない。
 三岡君は嵌められたのでは──。
 持っていきようのない気持ちの表れとして、今さら考えても仕方のないことが浮かぶ。
 悔しさが湧き出ると同時にこんなことを考える自分が益々情けなくなっていった。
 誰のせいでもない、誰のせいでもないんだ!
 私はそう思い込もうと要らぬ感情を誤魔化すように、リモコンを掴みテレビの電源を入れた。
 観たいものもないまま、チャンネルを変え続ける。
 ふと手を止めた時、バラエティ番組で大笑いしているタレントの姿を見ると非常に馬鹿馬鹿しく思えた。
 くだらないと吐き捨てるようにテレビの前で顔を歪めていた。

 秋は深まり夜は何かを羽織らないと冷えてきだした。
 木の葉っぱの色が思い思いに変化を遂げる中、自分の心も乱されて不安定が続く。
 また三岡君が店に来るんじゃないかとお客が入ってくる度に敏感になってそわそわの毎日。
 ここへ来ることを恐れているよりも、期待してまた会いたい気持ちが膨らんでいる。
 会っても悲しみしかないというのに、まだ引きずってる自分に歯がゆくもあり、また情けを乞いたいようでもあった。
 毎日毎日、こんな気分で仕事をする。

 『想い出は美化される』

 まさにその状態。
 大好きだったときの気持ちのまま終わってしまったことがこういう結果を招いてしまった。
 三岡君が私よりも美幸が好きならこんなにも辛くなかった。
 子供ができたからということで美幸を選んだなんて、やっぱりそんなの卑怯だ。
 子供で繋ぎとめるなんてどうしてそっちが優先されて、本当に好きだという気持ちは無視されてしまうのだろう。
 子供には罪はないけども、美幸のしたたかさがこびりつく。
 あれから4年以上も経ってこんな感情を抱いてしまうなんて、私はもう二度とこの苦しみから逃れられないように思う。
 この思い捨てられたらどんなにいいだろう。
 どうやればすっきりとなくなるんだろう。
 記憶喪失にでもなりたい気分だった。

 こんな不安を持ち続けているとき、仕事帰りに一緒に働いている者同士で飲みに行こうと提案が出る。
 仕事先の近くにあるチェーンの居酒屋。
 繁華街の中にあるので人がよく集まってくる。
 あまり気乗りしないが、家に帰っても一人なので何もやることはない。
 皆それを知っている。
 こういうお誘いは特別な用事がない限りはっきり断る理由がみつからない。
 行きたくない気持ちを抱きながら、仕方なく付き合いと義理だけで誘いを受けた。
 でもこれも間違った選択だと行ってから気がついた。

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