遠星のささやき

第九章

  ──三岡君、うっちゃん、トモ…… なんでここにいるの?

 私はすぐに顔をそらし、体を丸めて落ち着きなくしてしまう。
「しーたん、どったの?」
 英子さんは私のことを苗字の滋賀の『し』をとってしーたんと呼ぶ。
「なんでもない。それより今日は一杯飲みましょう」
 誤魔化して楽しむ姿勢を強調してみたが、内心焦って生きた心地がしなかった。
 後ろには、いくつかのテーブルを越えてあの三人がいる。
 ましてや三岡君まで。
 私がこの近くで働いているのを知ってるのに、どしてこの店を選ぶわけ?
 ここまで運が悪いのかと偶然を益々恨む。
 危機を感じるほど追い詰められていく気分だった。
 絶体絶命──。

「滋賀さんは何を飲むんだい?」
 店長の声にはっとさせられた。
 そんな大きな声で苗字を呼ぶなと慌てながら、ウーロン茶と焦って言った。
「え、折角の飲み会でそれはないよ、滋賀さん」
 また名前を呼ばれる。
「もうなんでもいいです。適当に」
 相当私も自棄になって焦っている。
 落ち着かず、両手を変にばたつかせていた。
「それなら、カルピスチューハイにしなさい」
 店長はふざけて先生のように指を指してピシッと決めると、周りはまたノリで笑い出した。
「はい!!」
 私も開き直って返事をするが、とにかくなんでも言うことを聞いて少しでも話題からそれたかった。
「しーたん、大丈夫? なんかとても困っているみたいだけど」
「大丈夫、大丈夫。ハハハハハ」
 変な笑い方が、余計怪しくなる。
 目に付いたお絞りを咄嗟に手に取り、誤魔化すように何度も何度も手を拭いた。
 血液がどくどくと激しく体を駆け巡っている。
 逃げたい、逃げられない。
 どうすればいい。
 私が落ち着けばいい。
 振り返らなければいい。
 落ち着け、落ち着けとふーっと息を吐いて、お絞りをテーブルに押さえ込むように置く。
 私の焦りも封印するかのようだった。

 息をついたところで、ちらっと見たあの一瞬がぱっと脳裏に蘇る。
 昔と比べれば初めて会った頃より三人とも大人になっていた。
 祭りで会ったときも充分大人に見えたけど、年月が経つと男らしさという部分が磨かれている。
 あのトモですら、そう思える。
 英子さんがかっこいいといったのはうっちゃんのことだと思う。
 相変わらず本当に整った顔をしていた。
 誰が見ても目を引くくらいのかっこよさなんだろう。
 だけど三岡君は、昔の方が威勢が良くてだんぜんかっこよかった。
 私が幸せじゃないと思い込んで見ているからそう見えただけかもしれないが。
 私が物思いにふけっているとき、目の前にチューハイのグラスが置かれた。
 皆に飲み物がいきわたると、店長がコホンと喉を鳴らし、日ごろの働きぶりをたたえるかのような挨拶を始めて乾杯の音頭を取った。
 私は虚しくグラスを宙に向け、どうしてこれが乾杯なんだと納得いかない気持ちを抱え、近くにいた人と作り笑顔でグラスを重ねる。
 その後、皆ぐーっと力強く飲んでいる側で私は背中を丸めてチビチビと飲んでいた。
 気がついて見られているんじゃないかと思うと背中が石になったようで重苦しい。
「滋賀さん、どうしたんですか。ノリ悪いですよ」
 隣に座った高山君に突然背中を叩かれると、飲んでいたチューハイが気管に入り込む。
 ゴホゴホと何度も咳き込み、却って目立ってしまった。
「滋賀さん、大丈夫ですか」
 皆が次々に私の名前を呼んでいる。
 ヤバイ。
 必死に咳を止めようとするが、変なところに入り込んだ液体はまだまだ咳足りないと私を容赦なくいじめた。
 そしてやっと一段落ついて顔を上げると、英子さんの視線が私の後ろを通り過ごしていた。

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