遠星のささやき

第九章

4 

「なんか飲む?」
 トモが聞いた。
 この間電話したことには触れずに普通に接しようとしてくるが、目を合わすと視線が安定せず、誤魔化すように笑っていた。
 気を遣っているのがバレバレだった。
 こっちがどうしていいのかわからなくなってしまう。
 だからお得意のつっけんどんで返す羽目になってしまった。
「もういい、お腹が一杯」
 トモはそれを聞くとホッとしたように息をついた。
 それが一番私らしくて、変に気を遣わなくてもいいと判断したのだろう。

「だけど、またリサちゃんに会うなんて思わなかった。聞いたよ、三岡とのこと。ほんと大変だったね」
 トモから聞いたのだろうか、それとも三岡君本人から聞いたのだろうか、どっちでもいいが、とてもあっさりと言うので、うっちゃんの中ではこ の話はすっかり終わっている様子にとれた。
 どうせ他人事には変わりない。
 だけどあまりにも軽々しく扱われて、私は胸の奥が痛む。
 大変で片付けられない程、この時も現在進行形。
 私は膝の上に乗せた手をぎゅっと強く握る。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、うっちゃんは三岡君のことを平気で話してきた。
「あいつも家族をもって、一段としっかりしたよ。あいつが選んだ道だから俺は何も口挟めないけど、運命ってあるんだろうな」
「おい、うっちゃん」
 トモが止めろと言わんばかりにテーブルの下でうっちゃんの足をコツいている様子だった。
「運命か。それって、結局は結果論だと思う。思い込みでそういう風になる場合だってあるんじゃないかな」
 私は挑むように反発したくなった。
 側でトモが落ち着かずうろたえていたが、却って私は粋がって笑顔を見せてやった。
 そんなこと私が気にしてるなんて思われたくなかった。
 男に弱みを握られたくない私の性分が無意識にでる。
 うっちゃんは手元にあったジョッキを手にして残りのビールをぐっと飲み干した。
 その間、一瞬の沈黙が走る。
 そしてまたうっちゃんが口を開いた。
「だったらさ、運命って一杯作れるってことなんだろ。他の可能性もあるってことだろ。自分から他のところに飛び込んでその結果を運命にしてもいいじゃん」
「何が言いたいの、うっちゃん? もしかして酔ってる?」
 うっちゃんの目が急に真剣になった。
 何かを言いたそうに一度口を開けたが、言いたいことは飲み込んで誤魔化すように違う話をしだした。
「酔ってるか…… そう言えば、リサちゃんが座っていた席の前に白いお化けがいたように思った」
「えっ、白いお化け? (まさか英子さんのこと?)」
「うん、じっと見られていたような気もした。怖くて目を逸らしたけど」
 それを聞いて英子さんが気の毒に思えたが、やっぱり誰の目にもそう見えるものなのかと納得してしまった。
「やっぱり、目立ってたんだね。私があそこに座ってるって最初からわかって観察してたんだ」
「まーね」
「だけど、なんでここで飲んでたの? もっと他にもお店あったのに」
「三岡がここで飲もうって」
 トモが言った。
「どうして? 三岡君、私がこの近くで働いてるの知ってるのに、なんでそんな会う機会があるようなところを選ぶのよ。現にもう一緒にこの店にいたし」
「リサちゃん、この近くで働いてたの? そんなの知らなかった。三岡がそれを知ってるって事はリサちゃんにまた偶然を期待して会いたかったってことなの か? だって俺たちここには何回か来てるぜ」
 うっちゃんが少し不機嫌になったように見えた。
「会いたかったんだったら、なんで先に帰っちまうんだ。リサちゃんだってちゃんと確認してから帰っていったぜ」
 トモが言った。
「だから、本人を目の前にして怖気ついたってところか。結局はどうすることもできないからな。三岡の奴、この場に及んでリサちゃんにまだ未練たらたらなの か」
 うっちゃんはもう一度ジョッキを手にするが、ビールを既に飲み干していたので、チェッと舌打ちして苛ついていた。
 しかしその苛つきはビールがなかったことに対してではなく、どこか三岡君に怒っているようにもとれた。
「でも、私はもう会いたくない。だってもう疾うに終わってるんだよ。今さら会って思い出話を楽しくしようなんて到底無理」
 うっちゃんは私の言葉に反応して少し身を乗り出してきた。
「だったら、俺たち付き合っちゃわない? そしたら三岡もすっきりするだろうし」
 うっちゃんの顔つきが真剣になったように見えた。
 心に余裕がなかったせいか、昔のようにさらりと交わせず私は無言となってしまう。
「おい、うっちゃんやめろよ。リサちゃんが困ってるじゃないか」
「もういいよ、トモ。うっちゃんもその軽いところは昔と変わってないんだね。とにかく今日は私帰るね」
 私は嫌味っぽく言ってしまった。
 立ち上がろうとして、テーブルに手を置いたとき、うっちゃんはいきなり私の腕を掴んできた。
「まてよ、行くなよ」
 この時のうっちゃんの目は友達ではなく私を一人の女として見ていたかもしれない。
 トモが助け舟を出すように、うっちゃんの肩に手を置いて「いい加減にしろ」と牽制する。
 うっちゃんははっとして、慌てるように「だから、連絡先は?」と聞いてきた。
 それならと働いてる店の名前だけ告げた。
 その名前を聞いて二人はすぐに場所を把握する。
 三岡君の事がなければ、この二人ともいい友達でいられたと思う。
 本当ならこの二人とももう会いたくない。
 ずっとずっとこの苦しみが続くことに私はいい加減嫌気がさしてきた。
 そんな気持ちが見えるように体から出ていたのだろうか、うっちゃんは機嫌を害したような態度を急に見せた。
「なあ、リサちゃん。そんなに三岡のことが忘れられないんだったら、美幸から奪っちゃえよ」
 うっちゃんのヤケクソとでも取れる過激発言にはさすがに私も我慢できず、何も言わず二人からさっさと去った。
 後ろでトモがうっちゃんを叱ってるような声を聞いたような気がしたが、二人とも急に去る私の後までは追いかけてはこなかった。
 とても後味悪い久しぶりの再会となってしまった。

 『奪っちゃえ』って、どうしてそんな発想になるのか神経疑う。
 お酒が入ってたにせよ、うっちゃんの態度はおかしかった。
 だけど、うっちゃんも私がいつまでもうじうじと過去のことを引きずってるのを見て我慢ならなかったんだと思う。
 きっとイライラして出た言葉なんだろうと思うと、帰宅途中、急に怒りが収まった。
 私だって、どんなに時間が経ったところで、この気持ちから抜け出せないことが辛くて仕方がない。
 自分でもいい加減にしたい。
 一駅電車に揺られ、改札口を出ると風が冷たいことに気がついた。
 秋が深まり冬の準備が始まった夜。
 一気に気温が下がる。
 風が吹くと落ち葉がかさかさ舞っていた。
 またセンチメンタルが一番ぴったり合う季節に、こんな沈んだ暗い気持ちになるなんて、もしかしてわざとそういう演出してくれてるの?
 思わず木から落ちる葉っぱに目で問いかけてしまった。

 それから何日か過ぎた。
 客商売の仕事は土日が稼ぎどきなだけに休日は平日。
 休日は、朝から洗濯して、適当に掃除をするのが日課。
 別にすることもなく、家でテレビみてダラダラするか、買い物に行くくらいのことしかやることない。
 無駄に過ごしているとは思うが、自分がそれでいいと思ってると何も疑問も湧かない。
 そんな午後、電話がかかってきた。
 取れば、仕事場から英子さんが掛けて来ていた。
「しーたん? 今あんたに客がきてるんだけど、今日休みだからさ、どうしたらいいかと思って」
「誰が来たの?」
「えっと、佐山とかいってた」
「佐山? あっ、トモの苗字だ」
「どうする?」
「どうするって言われても、判った。今からそっち行くから、適当にその附近で待たせといて」
 どうして次から次へとかき回してくれるんだろう。
 またトモのことだ、先日のこともありいらぬお節介をするんだろう。
 私は休日なのに仕事場に向かった。
 30分過ぎた頃、店の近くまで来たときだった、トモに会ったらきっと嫌な顔になるだろうとすでに眉間に皺を寄せて準備していた。
 しかし、店の前に立っていた人物を見て、心臓を鷲づか みにされるぐらい驚いてしまった。

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