第一章
8
ここでケムヨが付き合うといえば、貴史との賭けは勝ったことになる。
将之にとって一か八かの勝負だった。
これ以上、どんな甘い言葉を並べても、優しい笑顔を向けても、お金を持ってると見せ付けたとしても、ケムヨは絶対になびかない。
将之は自分には手に負えない女だと言うことが充分わかった。
しかもケムヨは一枚上手で、人の本質を見抜くのが取り得と思っていた自分の能力も通用しないほどつかみ所のない女だった。
時折見せる魔力をもったような目には将之も心を覗かれて弱みを掴まれたようにドキッとしてしまう。
貴史の賭けのことも気になったが、ケムヨの内面をもっと知りたいと反対に興味をそそられてしまった。
付き合いたい。
それは賭けの勝ち負けを気にすることよりも、もっと膨れる好奇心からであり、この女は自分を満足させてくれそうな予感がする。
自分以上の何かを持っている。直感で感じ取った。
化粧っけはなく派手じゃないが、顔は悪くない。むしろすっぴんでも整っている方だ。本気で化粧をすればキャリアウーマンのようにキリリとした美しさが想像できる。
ぼさっとしているが、それと似合わない身なりのいい高級そうなスーツがギャップ萌えを感じる。
そして謎めいたところが神秘的だった。
だからこそ、自分に惚れさせたい。
スリリングな恋の駆け引きが味わえ、恋人にするには申し分のない素材だった。
いい返事が聞きたいと将之は微笑んで待っている。
一方ケムヨも将之をじーっと見つめ心の中を探っている。
自分に興味があるのは真剣な澄んだ瞳の色から感じ取れた。照明ライトが入り込むせいか茶色い部分が琥珀色に輝き重みのある視線をケムヨに注ぐ。
そこにはまだ野心という何かに挑戦したい気持ちがありありと現れている。
それが純粋に人を好きだからという恋ではない。
この男はゲーム感覚で恋を楽しむような男。
自分に自信を持ち、それにしがみつくように物事を変えようとする願望。
何かに拘って、それがトラウマとなってこの人物像を形成しているのではとそこまで見ていた。
顔は確かにかっこいい。頭も切れるほどに回転もよさそうだった。
恋人にしたいと女性が常に憧れる対象。
それは本人も自覚しているのが良く見えるとばかりにケムヨはいきなり笑い出した。
「将之って面白い。気に入ったわ」
「じゃあ、俺と付き合うってことなんだな」
「いいえ、それはお断りよ。あまりにも唐突過ぎる展開だわ。それに恋人としては私には釣り合わない」
容赦なく刃物を振りかざしたように突き放す。
将之は言葉を失ったように黙り込んだ。
『恋人としては私には釣り合わない』
この言葉はどっちに視点を置いて言ったのだろうか。
ケムヨが将之に釣り合わないのか。それとも将之がケムヨに釣り合わないのか。
あの言い方では後者に聞こえてしまった。
(この俺がこの女に釣り合わないだと)
将之はこのとき自尊心を傷つけられた。まさかそこまで言われるとは思ってなかった。
思った以上にケムヨは普通の女じゃない。
修羅場をくぐってきた世間を冷めた目で将之を見下ろしている。
そこには何かありそうで、将之は腹が立ちながらも意地と興味心がどんどん膨らんでいった。
「この俺が振られるなんて、ああ完敗だ。だが俺もここで引き下がろうとは思わなくなったよ。合コンで俺を本気にさせてくれた女はあんたが初めてだ。諦めないよ」
「しつこいのね」
「それだけ気に入ったってことだ。それじゃまずは友達からだ。それなら構わないだろ」
「ううん、それも嫌。これ以上私に係わらないで。これでお終い」
「おいっ、ケムヨも俺のこと気に入ったってさっき言ったじゃないか」
「客観的にみたら面白いと思うってこと。それ以上でもそれ以下でもない。私がここまで避けてるんだからいい加減に気がついてほしいな。私に係わると碌なことがないってそれとなく知らせてるつもりなんだけど」
「どういう意味だよ。ケムヨと係わると碌なことがないって。もしやなんか呪いでもかけられて人を不幸にするのか」
「あら、よくわかったわね」
ケムヨは俯き加減になると髪で顔が覆われ、垂れ下がった髪の隙間から不気味な目つきを将之に見せた。
「ふーん、確かにホラー的センスがある。でも俺も充分不幸は味わってきた。これ以上の不幸があるなら是非見てみたいね。でもその前に俺が君にかけられた呪いをといてやろうじゃないか。俺が君をそこから救ってやるよ」
将之はケムヨに合わすつもりでノリでそのようなことを言ったに違いない。
だが、その言葉は長くしまいこんでいた記憶を引き出すかのように刺激され、忘れていたケムヨの過去の記憶を瞬間的に蘇らせた。
ケムヨは暫しそれに捉われてしまった。