第十章


 翌日はパートの仕事だったが、トラブルはあっても前日の本業の緊張よりはましだと思うつもりで、ケムヨはオフィスに足を踏み入れた。
 会う人々に挨拶をしていつもと変わりないと思っていたが、いきなり主任の園田睦子に手招きされてしまう。
 また何かあったのだろうか。
 ケムヨは恐る恐る近寄ってとりあえず丁寧に朝の挨拶をした。
「あのさ、昨日はケムヨさんお休みだったから知らせておいた方がいいと思って」
 一体なんなんだと、ケムヨは緊張した。
 園田睦子は辺りを見回してから声を落として話し出した。
「優香さんなんだけど、昨日結構荒れててね、給湯室で湯飲み茶碗を割ったのよ。気が立ってた様子だけに、なんかそれがわざとって感じがしたんだけど、もし かしたらこの間の給湯室の騒ぎも彼女の仕業じゃないかってふと思ったのよ。あの時は確かめもせずケムヨさんを疑ってしまったけど、私が間違ってたかもと 思ってほんとごめんなさいね」
 ケムヨは突然の話に言葉を返せずにただ聞いていた。
「ケムヨさんのこと敵視してるような話もするし、どこかでケムヨさんに八つ当たってるような気がしてきてね。ほら、この間からケムヨさんにはありえないミ スがあったでしょ。あれも彼女がやってるかもって思えてきたの。他の人もそうなんじゃないかって言ってるのよ。なんせケムヨさんが休んだ昨日も同じような ミスがあったのよ」
「何があったんですか?」
「彼女、重要書類を破ってケムヨさんのデスクの隣のゴミ箱に捨ててたのよ」
「優香さんがですか?」
「そうなのよ。優香さんがそれをゴミ箱に捨てるところを他の誰かが見ていたらしいのよ。自分じゃないって偶然ここにあったのを不思議に思って拾って見てい たっていい訳して何度も否定してたけど、あれもまたケムヨさんのせいにするつもりが計画狂ったんじゃないかって思えてね」
 園田睦子とは普段仲が良いわけではないが、この時はケムヨを疑った負い目もあったのか、知っていることを全て話そうとしている様子だった。
 ケムヨは実際のところ話が飲み込めずにただ聞いていた。
 留美がオフィスに入ってくると、園田睦子は話を切り上げて目配せをして去って行った。
「ケムヨさん、おはようございます。朝から浮かれない顔されてますけど、お疲れですか?」
「ねぇ、留美ちゃん。昨日優香さんになんかあったの?」
「えっ、あ、はい。もうケムヨさんの耳にも入りましたか。実は優香ったらなんか機嫌悪くて、それで仕事にまで影響がでてしまいました」
「で、一体どうしたというの?」
「そのー、重要書類を破いて捨ててしまったり、課長のお気に入りの湯飲み茶碗を割ってしまったり」
 留美の話は先ほど聞いた園田睦子の話と同じだった。
「それってやっぱりわざとってこと?」
 ケムヨは言い難そうに聞いた。
「何人かはそう疑ってるみたいですけど、本人は否定しているし、この間のケムヨさんのせいにされたミスのこともあるし一体何が本当なのかわからなくて」
「留美ちゃんは今でもやっぱり優香さんのこと疑っているの?」
 留美は躊躇いながらもコクリと小さく頷いた。
「でも私としては、友達だから信じてあげたい部分もあるんです。だけど優香の態度を見てたらどうしても疑いの方が強くなってしまって、私は一体どうすればいいんでしょう」
 困っている留美をみてケムヨは変な質問をしてしまったと後悔した。少なからずも以前は証拠もなく人を疑ってはいけないと言ったのはケムヨの方だった。
 こんな話、第三者の勝手な憶測だけで済まされることではない。
「留美ちゃん、ごめんね。私、はっきりさせるためにもそれとなく優香さんと話してみる」
「や、やめといた方がいいですよ。優香はケムヨさんにはどこか意地を張ってしまうかもしれません」
 それを聞いて、合コンの件もあるだけにケムヨも留美の言う通りに思えた。
 こんなときに夏生が居てくれたらとケムヨは思わずにはいられなかった。夏生ならうまく対処できるのにと思うと、自分の力不足が身に沁みた。
 そんな時にどこ吹く風で優香が満面の笑顔でやってくるものだからケムヨは唖然としたが、優香の後に入って来た人物に悲鳴を上げそうになるほどもっと驚いた。
 翔が早速自分の部署に現れた──。
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