第十章


「姐御! おはようございます」
 翌日の朝会社へ出勤中にタケルが声を掛けてきた。
 ケムヨも挨拶を返すが、どこか覇気がないのがタケルの目に映った。
「あれ、なんかお疲れですか」
「まあね。色々とあってね。そっちはどう? あれから多恵子さんとも上手く行ってる?」
「あっ、はい。彼女とは仕事のことで普通に話す程度です。わだかまりはすっかりなくなりました。彼女もなんだか姐御に影響を受けて今一生懸命仕事してます。少し見る目変わったくらいです」
「上手く行ってよかったわ。だけど吉永課長とはどう? 先輩の清水さんとかと言う人も怪しげなことしてない?」
「清水先輩については、井村さんが僕の代わりに注意をして観察してくれてます。元々先輩は井村さんに気があったので注目を受けてると思って落ち着いてま す。何かあったら井村さんが報告してくれるはずですから。吉永課長には相変わらず怒鳴られたりしてますけど、それは課長の気質みたいですね。それよりもな んだか今上から注意を受けたみたいでそっちの事が気がかりで僕のことはどうでもいいみたいです」
「どういうこと?」
 タケルは周りを確認してケムヨの耳元に近寄って囁いた。
「なんでも不倫が会社にばれかかっていて、それの蓋をするのに必死みたいです」
 前日なぜ須賀の部屋に吉永が居たのかこれで謎が解けた。
「その様子からだと疑われている状態で証拠を会社は掴んでないみたいね」
「だから自己防衛に勤しんでピークが去るのを待ってるみたいです」
 二人は会社のビルのドアをくぐると、それ以上この話はしなかった。
 お互い頑張れと励ましあってからそれぞれの部署へと向かう。
 ケムヨはひしめき合ったエレベーターに乗り込みながら、吉永が今後どうなるのか気になった。
 自分が密告すれば、不倫がばれて、そういうことに厳しいこの会社では何か制裁が加えられることだろう。
 これまでのことを考えるとケムヨは吉永に制裁を加えたくなってくる。
 あんな社員はこの会社にふさわしくない。
 正義感が湧き起こる中、ケムヨは廊下でばったりと吉永に出くわしてしまった。
 一応は頭を下げて挨拶するが、顔を上げたとき、吉永の表情は見下してると言わんばかりに冷たい視線をケムヨに突きつけていた。
「ナサさんだったね。少しいいかい?」
 吉永が誰も使っていない会議室のドアを開け、入れと顎をつきつけ無言で要求する。
 ケムヨはそれに従った。何を言われるのか確かめたかった。
「私の言いたいことは分かっているだろう?」
 吉永が睨みつける目を向けてケムヨに問いかける。
 ケムヨは首を横に振り「いいえ」と答えた。
「白を切るつもりか。まあいい、こっちは君がリークしたと思っている。上に言い付けたのは君だろ。昨日須賀専務を訪ねてきたのを見て確信した」
「いいえ、私は何も知りません」
 それは本当に全くの濡れ衣だった。やはり前日須賀の部屋に訪ねて行った事が新たな火種を引き起こしてしまった。
「この件についてはもうこれ以上荒立てるな。会社も真相が掴めずうやむやにしてしまいそうだ」
「だから、私は本当に何も……」
「いい加減にしろ。たかがパートの雑用の分際で課長クラスの私に制裁を加えるつもりか? その前にお前を辞めさせてやるからな」
 ケムヨはぐっと腹に力を入れる。好き勝手言われて悔しいが、この状態では何を言ったところで焼け石に水だった。
 だが、憤りすぎて体は震え、もう少しで爆発しいつぞやのチンピラにしたように啖呵を切りそうになった。
 その時ドアをノックする音が聞こえ、返事も聞かずに大きくドアが開いた。
 そこには翔が立っていた。
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