第十一章
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ケムヨが家に着いたとき、プリンセスの姿は見えなかった。
将之がすでにやってきたのだろうか。
空の小さな猫の餌皿がちょこんとポーチに置かれてままをみて、プリンセスが餌を食べたのだけはわかった。
「お帰りなさいませ、笑美子お嬢様。遅かったですね」
「ちょっと用事ができて。あの、プリンセスには誰が餌を?」
「私でございます。篠沢さんも今日は現れませんでしたし、お腹を空かせたプリンセスがニャーニャー鳴いて餌を催促してたので」
「シズさん、すみませんでした」
「いえいえ、私は別に構わないんですけど、プリンセスもかなり慣れましたね。これも篠沢さんが根気よく餌を与え続けたからですね。プリンセスもすっかり心開いてしまってますね」
心を開く。
ケムヨもプリンセスと同じ思いだった。あの時までは。
「お嬢様、どうかなされましたか? なんだかご気分が優れなさそうです。もしかしてまたお風邪とか」
「いえ、大丈夫です。ちょっとお酒を飲みすぎてしまいまして」
「あら、それはいけません。今お薬用意しますね」
「シズさん、大丈夫です。寝たらすぐ治りますから。その前にお風呂入ってきます」
ケムヨはバタバタと廊下を歩いていった。
シズはいつもと違うケムヨを心配しつつも、そっとすることにしておいた。
何をそんなにショックを受けているのだろう。
ケムヨは部屋に入ってから電気もつけずにドアを背中越しにして立っていた。
合コンは元々ゲームのようなもの。
そこで息が合ったもの同志が恋の駆け引きをするところ。
自分に声を掛けてくるような男などはなっから居ないと分かっていたし、元を正せば騙されて参加したに過ぎない。
そこに将之のような奴がいても不思議ではない。
あの時の将之の異常なしつこさを考えれば、すでに分かっていたことなのに。
自分に近づく男なんてただのカラカイだと、あの時もしっかりと本人を目の前にしていった言葉だった。
「そんなの分かってたわよ」
それなのに、なぜこうも傷ついたヒロインのようなシチュエーションになるんだろう。
ケムヨは相手にしてた訳でもないのに、なぜか将之に裏切られた気持ちになっていた。
「さっ、考えるだけ無駄無駄。風呂入って寝なくっちゃ。明日はおじいちゃんと一緒に一仕事だ。今からしっかり休んで明日に備えなきゃ」
部屋の電気をやっとつけたとき、デスクに置いてあったコンペイトウの袋に目が行った。
暫くじーっと見つめている。
「まさか、私がゴミ箱に入れて捨てると思ってる? そんなことしないわよ。全て全部食べてやる。コンペイトウには罪はないもの」
また一つ袋から出して口に放り込む。
コンペイトウは相変わらず甘かった。
翔に抱きしめられたとき、小さな星を見て無性にこれが食べたくなったのに、この時、味を楽しむ代わりに思いっきり噛んでしまった。
噛み砕くとイガイガが口の中で当たって痛かった。
貴史がケムヨと翔に出会って、将之のことを話してたとも知らずに、将之はこの夜も一心不乱にケムヨのことを思って作業していた。
ケムヨなら絶対に気がついてくれる。
自分のありったけの思いを込めてそれを作り上げようとしていた。
「まだまだこの辺が満足いかないな」
ぶつぶつと呟きながら、ケムヨの父親から貰ったワインも飲んでいた。
その時携帯が鳴り響いたが、相手が貴史からだったのでまた後で掛け直せばいいとそんな軽い気持ちで無視をした。
とにかく目の前のことに集中したい。
将之の部屋の隅には、プリンセスのために飼ったばかりの猫のトイレや、猫のベッド、キャットフードに捕獲した後に閉じ込めるケージまで用意してあった。
プリンセスを迎え入れる準備はすでに出来上がっている。そしてその日は近いことを意味していた。
全ては何もかも上手く行く。
そのことだけを励みに将之は心弾ませながら日々を過ごしていた。