第十一章


 意地を張って突っ張っていた優香の表情が崩れた。
 溢れる涙の中、ケムヨをじっと見つめ、瞳を揺らしている。
 閉ざしていた心のドアが一瞬で全開していた。
「ケムヨさん、信じて下さってありがとうございます。私は本当に書類も捨ててませんし、ケムヨさんのせいにされたミスにも係わってません。だけど、課長の 湯飲みだけは割りました。でもあれはほんの偶然でほんとに手が滑って割ってしまったんです。故意じゃないんですけど、あの時書類を破って捨てたって私も疑 われてそれでかーっとして怒ってしまったから、そう思われても仕方がなかったです」
「そうだったの」
「でもケムヨさんが私のこと信じてくれてたなんて、私、私、今まで酷い態度を取ってたのに、ケムヨさんてなんて仏のような」
「ちょっとそれ言い過ぎよ。私は真実を求めただけに過ぎない。真実は感情に左右されると見えなくなるからね。客観的に見ようとしていただけなの」
 といいながらも、ケムヨも一時は優香を疑ったので、ちょっとげふんげふんとなっていた。
「私は合コンに混ぜてもらえなかったことで、悔しくて騒ぎたててしまったり、ケムヨさんにも八つ当たりして甘えてばっかりでした。本当にごめんなさい。勝 元さんのことでもなんかヤキモチやいちゃって、ケムヨさん、将之さんとも仲良くなってるし、かっこいい人に持ててばっかりで、つい妬んでしまいました」
 ケムヨを受け入れた後の優香は、自分に素直になって本心を語り出した。
 正直な心の吐露を聞けば苦笑いになってしまうが、ここまで優香が気を許すことによって、ケムヨは人の心が掴めたと、この時少し嬉しくなっていた。
 二人の緊張感はすっかり緩み、二人は笑顔を交し合っていた。
 落ち着いたところで、今度は二人で真相を追究する。
「だけど、そうなると一体誰がこんな嫌がらせをするんだろうね」
「私はもう誰でもいいです。自業自得って気がします。いい勉強になりました」
「それはダメよ。そんなことで汚名を被るなんて。もしかしてもう派遣会社に辞めるって言ったの?」
「いいえ、これから言おうかなって思ってただけです」
「それなら、辞めるなんて言わないで。一緒に犯人探しましょう。ねっ」
 ケムヨが念を押すと優香は赤い目になりながらも一生懸命笑おうとしている。
 ケムヨはすっかり冷めてしまったコーヒーを手にとり、一口含んで優香を励ますように微笑んでいた。
「ケムヨさんってどうして社員からパートになっちゃったんですか。話聞いてたらかなりのポジションに居たみたいだし。普通、皆、社員になりたいものなのに」
「えっ、それはその色々とあってね」
 それはまた違う話だとケムヨは誤魔化す。
「ケムヨさんて肝がすわってますよね。園田主任なんてリストラの噂聞いてかなり動揺して焦ってますよ」
「そりゃ、生活が掛かれば仕方がないわよ」
「園田主任は30過ぎてもまだ独身でしたもんね。そういえばケムヨさんがプラネタリウムの前でかっこいい人とデートしていたとか言って騒いでたときありました。彼女も羨ましかったんじゃないですか。私も将之さんを見たとき正直羨ましかったです」
「やだ、あの時園田主任に見られてたの?」
「ケムヨさんがミスをしたと思われたときも、男とデートして現を抜かしてるからミスするんだって恨みぽかったですよ」
 優香は笑い話のように言ったが、ケムヨはまた違和感を感じた。
「ちょっと待って、園田主任、陰でそんな事言ってたの?」
「私も気に入らないとすぐに愚痴をこぼすのでそこは責められないんですけどね」
 土曜日に将之とデートをし、その週末明けの月曜日に、ケムヨは身に覚えのないミスを擦り付けられた。
 まるで誰かに恨まれるというくらいに立て続けに事が起こった。
 自分が恨まれる原因が全く分からなかったが、もし園田睦子がそういう理由でケムヨのことを嫌っていたとしたら──。
 ケムヨは一つの仮説として慎重に考え出した。
「ねぇ、園田主任とは親しいの?」
「はい、割りと気軽に話したりしてます。結構おしゃべりですよ、あの人。何でも教えてくれるんです。だからケムヨさんが私を疑ってるけど気にするなって励ましてくれこともありました。園田主任も犯人は他に居るんじゃないかって私を信じてくれた人でした」
「えっ? ちょっと待って、それ矛盾する。だって園田主任、私には優香さんを疑っているようなことを言ってたわ」
「えっ、ほんとですか?」
「ええ」
 ケムヨは今までの情報を繋ぎ合わせて辻褄を合わせようと腕を組み深く考え込んだ。
 最初のターゲットはケムヨ自身だった。
 その嫌がらせは将之とのデートを目撃された週明けに起こっている。
 ケムヨのデートを見たことがきっかけで妬みから恨みを買うこともありえる。
 証拠はないけど、園田睦子も嫌がらせをできる立場にいた。
 書類紛失も注文書も給湯室の出来事も電話の応対も園田睦子がやろうと思えば可能な範囲だった。
 だが、どうしてそれが優香に移行したのかが分からない。
 優香にも疑問に思ったことを全て話してから質問してみた。
「それで、園田主任から何か恨みを買うようなことしてない?」
「特にないですけど…… あっそういえば合コンに一緒に行ったとき機嫌が悪くなった事がありました。あの時人数が足りないから園田主任も誘ったんです。喜 んで来てくれたんですけど、園田主任が集まりの中で一番年を取ってたのに、彼女28歳とか言って年を誤魔化したんです。私がそれで、違うじゃないですかっ てノリでつい突っ込んでしまって、その時ちょっとムッとしてました」
「それが園田主任の恨み? なんと小さなことで」
 ケムヨは微妙な問題だとうーんと唸っていた。それもありえるかもしれないととりあえず横に置いておく。
「でもその時はムッとしたかもしれないけど、それならば私や優香さんの二人同時になぜ嫌がらせをしないのだろう。私への嫌がらせは優香さんに疑いがかかって、私はセーフってことになった」
「もしかしたら、何か計画が狂ったんじゃないですか?」
 優香の言葉で突然ケムヨは閃いた。
 答えは園田睦子自身が出していた。
『あれもまたケムヨさんのせいにするつもりが計画狂ったんじゃないかって思えてね』
 彼女の言葉を思い出す。
 二度目の書類紛失が起こったとき、ケムヨは休みを取っていた。休んでるケムヨにミスができるわけがない。園田睦子はケムヨの休みのことを把握していなかった。
 それが計画の狂いに違いない。
 仕方がないから自己防衛のために優香を代わりに犯人に仕立てあげる。
 その時、偶然優香は課長の湯飲みを割ってしまい、それをわざとだと言いふらして、以前のケムヨのミスも優香のミスにしたてあげる事ができたということに違いない。
 そして優香にはさも自分が味方だとこっそり知らせ、自分のことをおかしいと思わせないようにして、ついでにケムヨが怪しいと疑っていることを匂わせる。
 その一方でケムヨにも優香が疑わしいと思い込ませ、自分達をコントロールして自己防衛していた。
 もし、園田睦子が犯人だとばれたら、リストラの噂が広がっている中、一番にリストに加えられてしまう。
 それを恐れて優香に罪をなすりつけたということなのだろう。
 ケムヨは自分の推理を優香にも説明する。
 優香は信じられないと驚きながらも立腹するが、ケムヨに対しての非があるために自分のことを棚に上げて園田睦子に対して強く責める事はできなかった。
「これからどうすればいいんでしょう」
 優香は小さく呟く。
「もちろん園田主任には責任を取ってもらうわ。そして優香さんの汚名返上、名誉挽回よ」
「でもどうやって? 証拠もないし、今した話を本人に聞かせても白を切るだけだと思います。どうせ派遣とパートだし、周りも信じてくれるかわからないですよ」
「翔に話してみる。彼なら信じてくれるし、いい案をだしてくれるかもしれない」
 上司として翔に頼むしかなかった。
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