第十二章


 家まで送り届けてくれた修二の車を見送った後、ケムヨが門を開けて中に入ると、表庭の隅っこにこんもりと土が盛られているのが目に入った。
 暫くそこを眺めていると、シズが玄関のドアを開けて出てきた。
「お嬢様、お帰りなさいませ。その後篠沢さんは大丈夫でしたか?」
「はい、かなり落ち着いてもう大丈夫みたいです」
「そうですか。それは良かった」
 シズは優しく微笑む。
「シズさん、あそこだけど」
 ケムヨが盛られた土を指差す。
「はい、ゲンジがそこにプリンセスを埋めました。本当にかわいそうでしたが、お嬢様や篠沢さんに可愛がってもらったことは幸せだったと思います」
 ケムヨはプリンセスのお墓の前に立ち、そして手を合わせた。
「ごめんね、プリンセス。でもお前と会えて本当に良かった。大切なことを教えてくれて本当にありがとう」
 自分自身、負い目が抜けないが、ケムヨは精一杯プリンセスのために祈っていた。
 シズが側に寄り一緒に手を合わす。
「今度ノラ猫が迷い込んできたら飼いましょうか」
「この家で動物飼ってもいいんですか」
「喜美子様も大変な猫好きな方でいらっしゃいました。お若い頃はここは猫屋敷と呼ばれたくらい沢山飼っていらしたと伺っております」
「それを知っていたら私がプリンセスを飼ってあげられたのに」
「私もそう思ったんですけど、プリンセスはお嬢様と篠沢さんの橋渡しでしたからね」
「シズさん……」
「お嬢様、隠されなくてもいいんですよ。篠沢さんは本当に良い方でいらっしゃいます。あの方ならお嬢様と一緒に後を継いで頂けそうな気がします」
「まだ、そこまで決まった訳じゃ」
「でもお嬢様は篠沢さんのことお好きでいらっしゃるでしょ」
「そ、それは」
「とにかく後は旦那様だけですね」
「それなんですけど、将之がおじいちゃんに会いたいとか言い出して」
「そうですか。それならば、喜美子様のご命日の日がちょうど宜しいかと。あの時は旦那様も喜美子様を思い出されて穏やかになられるときですから、紹介するチャンスですよ」
 シズは優しく微笑む。
「大丈夫かな」
「私も腕によりをかけてご馳走作って貢献します。ああ、来週の金曜日は忙しくなりますね」
 一人で話を進めてシズは家の中に入っていった。
 ケムヨはもう一度プリンセスのお墓に手を合わせ祈る。
「見守っててね」
 ケムヨもシズの後に続いて家の中に入っていった。

 次の日、シズが用意した重箱を抱えてゲンジと一緒に将之のマンションに向かった。
 シズはよく気がつくので、こういうことは手際がいい。
 将之のために料理を作るアイデアがケムヨに浮かばなかったことがなんだか悲しくもあり、悔しい。
 本当なら自分が作りたかった。
 女性としての心配りが自分には欠けていると思い知らされた。
 常に男達の世界に入って、女だと思わないことが当たり前のようになっていた。
 少しやばいかなと思いつつ、自分の服装も見れば、ジーンズにTシャツという普段着で、失敗したかと思った。
「まいっか。別に将之の両親に会うわけじゃないし」
 そんな気持ちで将之のマンションのドアのインターフォンを押せば、中から見知らぬおばさんが出てきてケムヨはびっくりした。
「あなた、誰?」
 訝しげな表情を露骨に見せつけ、気に入らないとでも言いたげだった。
「あ、あの、私はその」
 しどろもどろになっているときに、中から将之が現れた。
「あっ、ケムヨ。また来てくれたのか。お母さん、この人は俺の……」
 このおばさんは将之の養母だった。よく見れば、修二に似ていた。
 将之がケムヨを紹介しようとしたとき、その先は聞きたくないと篠沢和子は遮った。
「あら、まー君のお友達なのね。これはどうも初めまして。母の篠沢和子と申します」
 『お友達』を強調してわざとらしく挨拶する。
「初めまして。ナサ…… ケムヨ…… です」
 この時ほどこんな名前を言うのが恥ずかしかった。
「えっ? 情け無用? なあに、そのふざけた名前」
 将之ははっとして、和子から注意をそらす。
「あっ、お母さん、ほらお鍋に火かけてただろ」
「あっ、そうだった」
 和子は慌てて引っ込んだ。
「いきなり母が出てきてごめん。修ちゃんが俺のこと母に話して朝飛んできたんだ。とにかくあがって」
「ううん、気にしないで。下でゲンジさんが待ってるの。これだけ渡しに来たかったの」
 重箱を将之に渡した。
「ありがとう。もしかしてケムヨが作ったのか?」
「ううん、シズさんが作ったの。今度は私が作るから」
「そっか、楽しみにしてるよ」
「それから今度の金曜日なんだけど、祖母の命日でね、うちの祖父が家に来るの。その時なら祖父に会わせることができるんだけど、将之の都合はどうかな。急でごめんね」
「分かった、折角だからお邪魔させてもらう。何時に行けばいいかな」
「夕方くらいで大丈夫だと思う。祖父も仕事があるから」
 どんな仕事があるんだろうと将之は少し緊張した。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。とにかくその日楽しみに…… している」
 この時から体が強張ってしまった。
 用件だけ告げるとケムヨは去っていった。

「あら、もう帰られたの?」
 台所で料理をしていた和子の前で、将之は重箱をテーブルに置いた。
「これを届けてくれただけらしい」
 風呂敷を解いて重箱の蓋を開けると、色とりどりの美味しそうな料理が出てくる。
「まあ、これあの人が作ったの?」
 正直、和子は負けたと思い、少し機嫌を損ねる。
「これは、その、家の人が作ったんだって。今度は本人が作ってくれるって言ってた」
「ふーん、そうなの。それにしても変わった名前の人ね。まー君とどういう関係なの?」
「えーと、その、一応俺が惚れてる人なんだけど」
 将之は恥ずかしげに照れていた。
「ヤダ、まー君あんな人が好みなの? もう少しあどけない可愛い子が好みかと思ったわ。私のような」
 これは冗談なのだろうかと将之は困惑して、軽く笑って受け流した。
 和子は血が繋がってなくとも将之を溺愛している。
 将之もそれは充分分かってるので、母親として心から慕っていた。
 だけど時々、母以上のもっと濃い愛を感じる事があった。
「まあいいわ、まだ若いんですもの。遊ぶときは遊びなさい」
「いや、遊びじゃなくて……」
 将之がケムヨについて語ろうとすると、和子はキッチンに立ち、お玉でお鍋をかき混ぜながら華麗にスルーしていた。
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