第二章

「私が住んでる…… アパートよ」
 ケムヨは見られたくなかったと思っても、ここまで来ると後の祭りだった。
 近代のマンションという建築物や雑居ビルがごちゃ混ぜに密集しているような街の中、明治時代に建てられたような雰囲気のある館が建っている。
 そういうとレトロでお洒落っぽい響きがするが、それはおんぼろで両サイドのビルに挟まれ押しつぶされそうに場違いに汚くボロく建っている。
 つぶれ荘と命名したくなるその建物は、二階建てで入り口は正面に一つ、雨をよける屋根がついたポーチの奥に大きなアーチ型のドアがついていた。その両隣に配列良く窓も並んでいる。
 所々、壁に亀裂が入り薄汚れ、窓も水をかけて洗いたくなるくらい砂埃で曇っている。
 枯れた植木が鉢に入って玄関先の隣に忘れられたように置かれ、全く手入れがない。
 手入れしようにも手遅れなくらいそれはすでに息絶えたカラカラの状態だった。
 あまりにも古ぼけた建物で、お化け屋敷と呼ばれても不思議ではないみすぼらしさが漂う。
「なんか古くてアンティークでぼろい」
「全部同じような意味の単語並べないでよ。住んでるところわかったんだからもう帰ってよ」
「いや、ここまで来たら中はどうなってるのか見てみたい。よくこんなアパートに住めるよな」
 将之は道路とアパートの隔たりを示すように設置されていた門に手をかけそれを押した。動いたとき、ギーっという錆付いた音が不快に響いた。
 表庭と呼ぶには小さすぎるが玄関に行くまでスペースがあり、そこに足を一歩踏み入れたとたんその後は怖気ず、建物の玄関目指して一直線に向かった。
「ちょっと、やめてよ」
 嫌がるケムヨを押し切って玄関のドアを開けると、奥に続く廊下と二階に上がる階段がまず目に入る。
 廊下の両サイドにドアが並んで、それが部屋になっているのがわかった。
 玄関で靴を脱ぐところをみると、一軒家のようにトイレ風呂は共同で下宿先のようにそれぞれの部屋を与えられたような感じだった。
 だが将之は目を見開いて、軽く口を開けている。
 年季は入っているが光沢のある立派な柱。掃除は隅々まで行き届いて清潔感がある。
 廊下は赤い絨毯が敷き詰められ、吹き抜けの頭上には豪華なシャンデリアがぶら下がる。
 壁には立派な額縁の油絵まで掛かってあった。
 そこはお洒落なアンティークの洋館の雰囲気を醸し出している。
 表のおんぼろな風貌と違って、中は全く違って高級感溢れていた。
「なんだ、このアンバランスなギャップは」
 その時、二階から着物を着たおばさんが降りてきた。将之の姿を見ると目を丸くして驚き、ケムヨの様子を恐々と伺っている。
「あっ、お帰りなさい」
 ケムヨを見て挨拶するが、顔が笑ってないところを見るとどう話していいのか戸惑っている様子だった。
「ただいま。あの、お騒がせしてすみません。こ、この人はその」
 ケムヨもどう紹介していいかわからない。
「はじめまして。篠沢将之と申します。ケムヨさんと親しくお付き合いさせて頂いてるものです」
「ちょっと、その言い方は誤解を招くじゃないの。シズさん、違うからね、誤解しないでね。夏生と共通のただの知り合い」
 ケムヨが焦って違う違うと手を目の前で強くブンブン振った。
 心配させないようにとシズも知っている夏生の名前を出したが、それが余計に誤解を招いてしまった。
「まあ、夏生お嬢様のお知り合いの方でもいらっしゃるのですね。これは初めまして。胡蝶シズと申します。ここの管理人です。あなた、あなた、ちょっと」
 階段越しに二階に向かって声を上げると、初老の男性が降りてきた。胡蝶ゲンジ、シズの夫だった。
「ああ、これはお帰りなさい」
 ケムヨを見るなり挨拶をする。
「あなた、こちらは夏生お嬢様のお知り合いでもある方ですって」
 シズが紹介するとゲンジは丁重に挨拶した。
「おお、それはそれは。ようこそいらっしゃいました」
「だから、そんなに丁寧にならなくてもいいんだってば」
「いや、でも、そういう訳には、シズ、すぐお茶の用意を」
「ゲンジさん、いいんです。気を遣わないで下さい。将之、仕方がない、とにかく上がって」
 収集がつかなくなり、ケムヨは靴を脱いで、将之を引っ張り、一階の一番奥の自分の部屋に連れて行った。
 そして部屋のドアを開け、その中に将之を押し込んだ。
 ケムヨは様子を伺っているシズとゲンジの顔を気にして苦笑いになりながら部屋に入ってドアを閉めた。
「もう、なんでこうなるのよ」
 ケムヨが首を垂れて困っているというのに、将之は物珍しそうにケムヨの部屋を隅々まで観察していた。
「なんだよこの部屋、結構広いじゃないか。しかも豪華ときてる。これがおんぼろアパートの中なのか。ギャップが激しすぎる」
 将之が言うとおり、そこは十畳くらいの大きさがあり、ふかふかの絨毯にアンティークの家具とベッド、そして大きな光沢のある木のデスクが置かれ、その上に沢山のペンや色鉛筆がそれぞれの入れ物に入って並べられていた。
 将之はデスクの前に行きじろじろと見る。
 ポーズを取るためのデッサン人形、色んな形の定規などの画材道具が置かれていた。
 将之は無造作に置かれていたスケッチブックを手に取りパラパラと中身を見だした。
「お前、絵を描くのか?」
「あっ、ちょっと勝手に触らないでよ」
 ケムヨはスケッチブックをひったくった。
「部屋の中を見たんだからすぐに帰ってよ」
「ちょっと待ってくれ、ここへ押し込んだのはケムヨじゃないか。それをすぐ帰れって失礼じゃないか」
「だって、成り行きでこうなっちゃったんだもん。将之が待ち伏せしてるのが一番悪い」
 ケムヨは苛ついて悶悶としているときに、将之はニコッと笑って言った。
「絵描くの上手いんだな」
「えっ?」
「駄洒落か?」
 そのやり取りがあまりにも間抜けに聞こえて呆れてしまい、ケムヨの気が抜けた。ヘナヘナと床にへたり込んで座ってしまう。
 持っていたコンビニの袋を思い出し、中から缶ビールを取り出し、それを将之に開き直って差し出した。
「ほら、飲む?」
 ケムヨに缶ビールを向けられて、将之は当たり前のように受け取り、床に腰を下ろした。
 ケムヨも缶ビールを手にしてそしてプルトップを引く。
 ヤケクソで「カンパイ」と将之の持っていた缶にぶつけてごくごくと喉に流し込んだ。
 このカンパイはケムヨにしたら『完敗』という文字がぴったりだった。
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