第二章
9
外は疾うに日が落ち夜を連れてきていた。
将之はもう一度アパートを振り返る。
玄関にぼんやりと灯りが灯っている。古い館は夜の暗さで一層みすぼらしく見えるが中を見てしまうと価値のある建物に見えてくる。
なぜこんなアンバランスの作りになっているのだろうか。
管理人も食事の用意までしているような様子で、アパートらしからぬ雰囲気。
しかしアパートと言うからには他に住居人が存在するのだろうか。
首を傾げ踵を返し、ゲートの門をくぐって静かに閉めるが、錆付いたギーという音に『放っておけ』と言われているように聞こえた。
その音に反応して暗闇で何かが急に動いた。
猫だった。
それをじっと見れば、向こうも同じようにタイマンはって睨み返してくる。
暫く見詰め合っていたが、それに飽きたのか将之の目の前をふてぶてしく我が物顔で横切っていった。
野良猫か飼い猫かわからなかったが、舌と上あごを使ってチッチッチという音を鳴らしてもう一度気を引いてみた。
猫はそれに反応して丸い目を見開いて振り向いた。
将之が腰を屈めて手を出すと、警戒しながらもゆっくりと近づき、鼻をひくひくさせて手の匂いを嗅いでいる。
もう指の先まで猫の顔があった。
触れられそうだと、将之は頭を撫ぜようとすると、猫は頭を下げて将之の手を交わし後ろに下がって身を竦める。
もう一度手を差し伸べてみたが、一度無表情な冷たい眼差しを将之に向けてその後はくるりと振り向いて走って去っていった。
「逃げられたか」
猫は路地を入り込んで、この暗闇の中に溶けていった。
「少し強引過ぎるのかもな」
それは猫を触ろうとして失敗してしまったことだけを表してはいなかった。
「今度ここへ来るときは煮干でも持ってこようか」
街灯の頼りない光が夜の闇を少しだけよけるように照らしている。その薄暗い道を将之はゆっくりと歩いていく。
この時も空を見上げて星を探そうとしていた。
暗い夜が訪れるとき星を見れば夜の空に穴が無数に空いているように感じる。
完全な闇ではないんだと思いたかった。
星影が闇の中で宝石のように輝くように、寂しい心にも明かりを少し振りかけて希望を抱いてみたい。
将之はそんな気持ちをケムヨに抱いている。
最初は暇つぶしで貴史との賭けを楽しむゲームだった。
だがケムヨからどことなく自分と同じ匂いを感じた。
心に闇を持ち、普段、人が見ないようなところまで見ている目。
直感でそれを感じたのはケムヨが将之に挑戦の目を向けたからだった。
──本当の私を見る覚悟はあるのか──
そんな目つきをしていた。
『恋人としては私には釣り合わない』
その言葉の意味している部分がそこなのかもしれない。
将之は久々にいい女に出会ったと思った。
「やってやろうじゃないか」
空を見上げ、何の星か分からないが、その時見えた星に強気に宣言していた。
将之の心の中に光がちりばめられていく。
それを見つめてみよう。
久々に恋に燃える自分を囃し立てているもう一人の自分がいるようだった。
自分を応援してくれる存在として──。
一人はどうしても孤独を呼び込むために将之は一人じゃないんだと強く思いたかっただけだった。