第三章


「姐御、どうかされたんですか?」
 俯き加減に、顔を手で覆いながら、タケルの後ろに身を隠す。
「いえ、その、ちょっと都合の悪いことが……」
 舞台正面でスタッフらしき人たちに指示を出して歩き回っている男がいる。
 将之だった。
 ケムヨはタケルを盾にあちこち連れて歩き、将之を避ける。
 将之はうろちょろして、ケムヨのいる場所に何度も近づきそうになっていた。
「姐御、大丈夫ですか。あの男を避けているようですけど、なんかあるんですか。あの人、このパーティを企画しているイベントスタッフですよ」
「へっ?」
「今回僕の父がイベント会社で運営を任せたんです」
「あいつそういう仕事してるの? もう早く言ってよ。うそ、こっち見てるじゃない。うわぁ、こっち来ちゃうし、きゃー逃げ遅れた」
 ケムヨは咄嗟に背中を向けた。そのまま過ぎ去ってくれることを願っていたが、運悪くタケルの目の前に将之がやってきた。
「君は二宮先生の息子さんでしたね。この度は私どもの会社を選んで下さってありがとうございました」
 声が耳に入れば、将之はビジネスマンらしく装っている。かしこまったその声にこの上ない危機感を感じてケムヨの心臓が早鐘を打つ。
 タケルは適当に相手しているが、その後ろで不自然に背中を向けて固まって立っているケムヨの存在が将之の目についた。
 そのまま放って欲しいのに、将之は礼儀だと思って声を掛けてくる。
「そちらの方は、お連れさんですか?」
「あっ、はい」
 タケルも事情を飲み込んで、ケムヨを庇うように身を将之の前に乗り出し気にしながら答えている。
 髪をアップにしてうなじが目立つその後姿はそれとなく興味を注がれ、将之は顔を見てみたいと思った。
 少し角度を変えて回り込んでみようとするが、同じ調子で動かれて避けられてしまい気分がすっきりしない。
「ちょっと人見知りが激しくて」
 タケルが取り繕うが、将之は納得できなくて気持ちが収まらない。
 そこで背広のポケットから名刺を取り出してタケルとケムヨにそれぞれ渡そうとした。
「もしまた何かご用命がございましたらご連絡下さい」
 タケルに一つ渡し、もう一つをケムヨに差し出す。
「あの、そちらの方も是非お受け取り下さい」
 指名までされたら逃げられないとケムヨは不自然に俯いたまま振り返り、それを手にした。
「どうも」
 小さな作り声を出すが、その後をどうしていいかわからない。
 まだ目の前に将之の足が見える。将之はその場を去ろうとしそうにもなかった。
(早くどこか行け)
 ケムヨが心の中で叫んだ。
 しかしその望は叶わず、将之はわざとらしく名刺ケースを落としてそれを拾おうと屈み出し、その拍子にケムヨの顔を見ようと試みる。
(こいつ、どこまで諦め悪くてしつこいんじゃ)
 それよりもここに自分がいることがばれてしまう。
 将之が覗き込もうとしたとき、ケムヨは顔を上げ、横向き加減で口を手で覆い咳き込んだ。
「どうも失礼。少し風邪気味なもので。ちょっと失礼します。ごほんごほん」
 適当に理由をつけ、将之が顔を上げきる前にその場を去った。
 上手く交わしたと思ったのも束の間、離れても将之はチラチラと気になってケムヨを目で追っている。
 タケルは将之が後を追いかけていかないように機転を利かせて話をしだした。
 タケルが気を逸らしてくれても一時的な応急措置にしかならず、ここに居ればいつかは顔を合わせてしまいかねない。
 ケムヨは出口に向かい早々ながらパーティを去ることにした。
 念のため、退場する前にドアに手をかけ後ろを振り返る。
 だが予想もつかないことが起こった。
 将之も出口めがけてそれとなく追いかけて来ていた。
「あの男のしつこさは病気か」
 もう自然に振舞うことすらできず、ケムヨは露骨に逃げた。
 振袖を着ているというのに、おしとやかさなど吹っ飛んで、振袖を派手に揺らし、大股で動く。
 部屋の外に出て廊下を左右キョロキョロと見渡して勘を頼りに着物の裾を持ち上げて走った。
 そして将之もドアを開けて外に出てきた。
 その時ケムヨが突き当たりの角を曲がった様子が目に入る。藤色の振袖が角でひらりと舞った。
 迷わずそこを目指した。
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