第三章
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「あの人、名前も変わってるけど、なんか暗い感じで、雰囲気悪いですね」
多恵子はケムヨが居なくなると早速話題にした。
「あのさ、人のこと見た目で判断すると後が怖いよ。それにさ……」
タケルは影で人のことを悪く言うのはよくないと言いかけたが、言ったところで自分には知ったことではないと思うと途中でやめてしまった。
ケムヨがどういう人物かは自分が良く知っている。知らないという事の恐ろしさが、却ってこの場合面白く思えてしまう。
つい嫌味っぽく嘲笑う笑みで唇がムズムズした。
「えっ? なんですか?」
「いや、なんでもない。こっちのこと」
これ以上の話は無意味だと、タケルは残りのご飯をかっ食らう。
多恵子はタケルと急に親しくなれたと少し調子付いて、ぐっと腹に力を込めるように覚悟して大胆な行動に出た。
「二宮さん、今日仕事が終わったら一緒に飲みに行きません?」
もちろん女という最大の武器を利用するかのように甘えた態度を見せる。自分の容姿はそんなに悪くないと思っているからできることだった。
「飲みに行くか…… そう言えば最近そういうことしてなかったな」
「じゃあ、いいんですね」
多恵子はあっさりと自分の思うままに事が運んでいくと喜んだが、タケルはすくっと席を立ち冷静に一言発した。
「いや、遠慮しとく。それに僕にこれ以上付きまとわないでくれるかい? 迷惑なんだ」
「えっ?」
茫然自失となる多恵子を置き去りに、トレイを持ってタケルは去っていった。
その態度は冷たく、普段見るタケルの人柄から全く豹変していた。
プライドを傷つけられたとばかりに多恵子は目を潤わせて悔しい気持ちを噛み締めるように歯を食いしばっていた。
その日、仕事が終わりケムヨが会社の正面玄関を出ようとガラスのドアに手をかけたとき、後ろから「姐御!」と大きな声が辺りに響き渡たり、劈くように耳に届いた。
ケムヨは恥ずかしさのあまり振り向きもせずにさっさと外に出ててしまう。
「ちょっと、姐御、待って下さいよ」
タケルは必死に追いかけていた。
同じ頃、そこに多恵子も遅れて現れ、その様子を見てしまう。
タケルが『姐御』と呼んで追いかけるほど慕う態度に、益々納得できないと睥睨していた。
「姐御、なんで無視するんですか」
ケムヨの腕を取り、タケルは引き止める。
「あんたね、大きな声で『姐御』はないでしょ。あそこはまだ会社の中よ。私が変な人だと思われたらどうするの」
「えっ? 姐御ってなんかずれてますね。もうとっくに皆さん変な人だと思ってると思うんですけど。その名前も含めて」
「あっ、そう言えばそうだった」
ケムヨも矛盾に気がついて素で真面目に納得していた。
タケルはそれが面白く愉快に笑い出す。
タケルにあどけなく笑われると憎めない。ケムヨも釣られて一緒に笑いだした。
「だけど、普通そこは怒るとこですよ、姐御」
「ところで、一体何の用?」
「良かったら、ちょっと飲みに行きません?」
「誘う人間違ってるんじゃないの?」
「いいえ、僕は姐御と一緒に飲みたいんです」
タケルは屈託のない笑顔で可愛く甘えてくる。また姐御、姐御と呼ばれているとなんだか子分を持ったみたいでケムヨはかわいがりたくなる気分が湧いてくるから不思議だった。
これがタケルの戦略だとしたら、この男も中々の兵である。
「じゃあ、少しだけよ」
お酒を一緒に飲むぐらいいいだろうとケムヨも軽く返事をした。
そして会社のビルを後にして、賑やかな飲食店街へと足を向ける。
その様子を多恵子は身を隠せるような場所でそっと覗き見していた。