第三章


 タケルは少しかっこつけたくて、いい店を知っていると年下ながらもケムヨをリードする。
 タケルに案内されたところは有名人もたまに利用するお洒落な高級バーだった。
 ケムヨはこの店に入ったのは初めてだったが、この辺りの土地はどういうところか知っていた。
 まだ早い時間なので客もまばらだが、お陰でゆったりとした空間が流れているように見えた。
「いいお店を知ってるのね」
 ケムヨが素直に気に入ったとばかりに微笑むと、タケルもニコッと笑みを浮かべる。
 タケルはその店ではVIP扱いばかりに、低姿勢でもてなしを受けていた。政治家の息子というだけでそれを知ってるものはヘコヘコしている。
 仕方のないことだとケムヨはじっと受け入れ側の応対を見ていた。
 普段なら寂しい目をしているところだが、タケルがそれをなんともないと自然に振舞っていたことで少しは気が紛れた。
 権力を見せ付けてそれを大いに見せびらかし威張る奴がケムヨは嫌いだった。
 そしてそれに露骨にひれ伏す側の人間もあまり見たくない。
 タケルは馴染みのバーテンダーの耳元に近寄り、小声でケムヨのことを紹介すると、ケムヨにも同じような扱いを施してくる。
 ケムヨはまたその様子を一部始終冷静に見つめ、そしてケムヨ自身深く礼をして不公平にならないようにと一般人のフリをしていた。
 照明が落とされた柔らかな光の中、艶を持ったお酒の瓶がずらっと棚に置かれている光景が見えるカウンター席に二人は座り、それぞれ好きなものを注文した。
「姐御は結構飲める方ですか?」
「まあね。お酒は嫌いではないわ」
「じゃあ、今日は姉弟の杯を交わすということで」
「ちょっと、なんでそんな言い方になるのよ」
「いや、だって姐御だし」
「もう、いい加減にしなさい」
「でも、僕、姐御の子分に喜んでなりますよ。そしたら僕にも都合がいい」
 ケムヨは考えるようにどこに焦点を合わすことなくぼんやりとしていると、二人の目の前に静かにカクテルグラスが置かれた。
 目の前のグラスが視界に入ったとたんフォーカスされると、タケルに視線を合わすことなくゆっくりと質問する。
「やっぱりあなたも権力を気にする人?」
「はい、もちろん。そういう力はあった方が断然いい。でも、誤解しないで下さい。僕はあくまでもそれは楽しいからです。そして僕は姐御から色々と学びたい」
「私から学ぶことなんて何もないわ」
「いえ、確かに幸造さんは僕にそうアドバイスして下さいました」
「やっぱりおじいちゃんが絡んでいるのか。道理で私と出会ったってことね」
「はい。でも僕の父もいい機会だからこの場合はお言葉に甘えてしっかり学べって、背中押してくれましたけどね」
「偉いことになっても知らないわよ」
「それは醍醐味の一つかもしれないので大いに大歓迎です」
「そう。タケルもやっぱり変わってる」
「さあ、とにかくまずは乾杯しましょうか」
 二人は静かにグラスを重ねた。
 タケルは年下だが、思ったよりしっかりしていた。
 将来はやはり父親の後を継いで政治家をめざしているのだろうか。先のことを考えて計算高く動くような気がした。
 そして何より自分の正体を知った上で堂々とそのままで挑んでくる。
 そこには媚などなく、無邪気さの方が勝っていた。
 ケムヨはタケルが気に入った。
 姐御と呼ばれるのなら、弟のように可愛がってやりたくなる。
 それが彼の戦術だったとしても、タケルを見る限り裏の部分というのは見えてこない。
 タケルには人に可愛がられるという才能が自然と肌についているようだった。
「ところで、お昼にやってきたあの女の子だけど」
「ああ、井村多恵子さんですか。同じ部署ですが、特別に僕とは親しくありません」
「でも、あの子どこかタケルに気があるみたいだったわよ」
「姐御もやっぱりそう思いますか? でも僕、付きまとうなってはっきりいってやりました。僕の趣味じゃありませんから」
「結構はっきりしてるのね。ちらっとしか会ってないけど、あの子は少しやっかいな感じがする。ああいうタイプは一人で大げさにしそうなところがある。まだ若くて世間を知らなさ過ぎるところがあるだけに、自分のことしか考えられないと思うわ」
「さすが、姐御。一瞬でそこまで見抜いているんですね」
「私が側に居たからあの子はタケルに近づいたんだと思う。きっと前回も一緒にご飯食べてるところ見ていたんでしょうね。それで心配になって私がどういう女か探りに来たような気がしたの」
「かもしれませんね。時々挨拶程度の言葉を交わしただけでしたが、僕が他の女の子と話してるといつも視線を向けてました。僕に気があると僕も思いましたから、だからはっきりと言ったんです」
「自分の気持ちをはっきりと言うのはいいことだと思う。だけと時にはそれがマイナス効果にもなることがあるのよ。言葉を選ばないと相手によったら180度人格を変えるきっかけにもなってしまう。特に好きという感情が入ってると暴走する場合があるのよ」
「そうですね。それが引き金となって恨みを買うことにもなりかねませんね」
「要するに相手にも気を遣い、また自分の良いようにもっていくかが大事ね。そんなことが簡単にできるなら争いごとなんて起きないでしょうけど」
「世の中は常にどちらかがいい思いをして、どちらかが嫌な思いをする」
「そう、まさに不公平な世界。自分がどっち側かに立ってるしかない」
「姐御はいつもどっち側に立ってるんですか?」
「もちろん恵まれてる方に決まってるじゃない」
「だから、人に何か理不尽な事をされても何も言い返しもせずに我慢できるんですか? この間社員食堂で一揉めしたように」
「そうね、そうなのかもしれない。結局は上から人を見ていて、私はズルイ女なのかも」
「そんなことはないです。姐御は能ある鷹なんですよ。能力のある人間は滅多に力をひらけかさない」
 またここでもあのことわざが出てきて、ケムヨは黙り込んでしまった。そして誤魔化すようにグラスを口に運んでぐっと酒を飲み干す。
 その後は同じものをとバーテンダーの目を見て訴えていた。
 そして二杯目のグラスが目の前に置かれたとき、背後から怒鳴るような声が聞こえてきた。
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