第六章


「ケムヨちゃん、将之さんとはどうなってるの? 友達になったって言ってたから、気になってさ。シズさんから聞いたけど将之さんがここまで連れてきてくれたんだって?」
「やっぱりそういうことか。それを直接聞きたくて、ついでにきたのね」
「もちろん心配したわよ。でもやっぱり気になるじゃない。ケムヨちゃんが男性と仲良くしようと思うなんて前向きだもん」
 夏生は過去にケムヨが受けた失恋の傷のことを気にしている。ケムヨも夏生が何を言いたいのかよく分かっていた。
「将之は何も知らないから私に付きまとって遊んでるだけ。本当のこと言うとしつこいから仕方なく友達って感じなの」
「でも将之さん、ハンサムだし結構真面目そうだよ。あんな人に言い寄られたらそのうちケムヨちゃんも放っておけなくなったりして」
「夏生、ちょっとやめてよ」
 ついムキになって言ってしまう。だがムキになるということは少なからずも言われたくないことを言われて耳が痛いときであり、そしてそういう時は自分でそうじゃないかと認めているところがある。
 確かにここ最近将之と一緒に過ごして、楽しかったのは事実だった。
 強引に誘われたデートも無理に引っ張られたから一緒についていったが、将之だったからなのかもしれないと急に胸がドキッと弾む。
 そしてこの日も熱を出して倒れそうになったところを支えてくれて、そして家まで送ってくれた。
 その時朦朧としてながらも将之に頼るようにもたれ掛かかり、避けようと思えばできたのにそれをしなかった。
 将之の側にいてとても安心できたのも事実だった。
 ケムヨは将之の存在が急に大きなものへ変化していくことに自分でも驚いてしまった。
「ケムヨちゃん、なんだか戸惑ってるみたいだね」
 夏生の言葉で将之のことを考えていた自分にはっとする。
 何か言い返そうかと思ったが、適切な言葉が見つからない。
 まごまごしていると、夏生は女神のように温かい微笑み向けてケムヨの鼻をつまんだ。
「ほら、鼻が伸びてるぞ。自分の気持ちに嘘つこうとしてるのがバレバレ。もう意地を張らずに素直になりなさい」
「でも将之は年下だし、今はゲーム感覚で楽しんでるだけなんだって。そのうち若くてきれいな人が現れたらそっちに行くと思う」
「結局は新しい恋をする事が怖いんだね。気になる人が居ても傷つきたくないから最初から見ないようにしているってことか」
「違う!」
「何が違うの? すべては翔さんとのことがまだトラウマになってるんでしょ。翔さん、ケムヨちゃん捨てて他の女に目移りしちゃったから。本当に翔さんもバ カだった。だけどあの時、翔さんは仕事が全て上手くいき、自分に自惚れてしまっていた。本当はケムヨちゃんが影で一生懸命支えてたからあそこまでのし上が れたのに。全てはケムヨちゃんのお陰だったって事に気がつかなかったなんて」
「翔は何も悪くない。人間なら少しでもいい条件があったらそっちを見てしまうと思う。私に魅力がなかっただけ」
 熱のせいでもあったが、ケムヨの目は二つ黒い穴が開いたように暗く生気を失っていた。
 夏生は自分のしていることに急激に冷やされるくらい罪悪感を感じうつむいてしまった。
「ごめん、ケムヨちゃん。病気なのに、過去の辛いこと思い出させちゃって」
「ううん、夏生はいつも心配してくれるもんね。こっちこそごめん」
 病気でいつもより覇気のないケムヨの姿に夏生はいたたまれなくなり、腰掛けていたベッドから立ち上がると机の上にあったスケッチブックを手にしてパラパラめくった。
「まだ描いてるんだ。しかもアナログか。コンピューターでは描かないの?」
「コンピューターでも描いてるけど、ふと閃いたときはささってまずはスケッチブックに描きたくなっちゃうんだ。昔からの癖だね」
「ケムヨちゃん、昔から絵が上手かったもんね。漫画なんかも描いてたよね」
「昔はね。でも今はもうなんか隠してしまう。それでもオタクの気質はそのまんまだけどね」
「そう言えば、昔マサキ君っていうものすごく絵が上手かった男の子が居て、その子に負けないようにってケムヨちゃん一生懸命絵を練習してたね。私がモデルになってお姫様風に描いてくれてたんだっけ」
「ほんとに絵を描くのが上手い子だった。子供なのに大人顔負けの絵を描いてて、それを見たとき実力の違いを見せ付けられて悔しかったな。すごい気の小さい 消極的な男の子なのに、絵を描いてるときは生き生きとした瞳で鉛筆を力強く握ってすごい絵を描くもんだから魅了されちゃった。時々一緒に絵を描いて遊んで たけど、学校が違うし良く知らないっていうだけで遊んじゃだめだとか言われておじいちゃんに邪魔された」
「ケムヨちゃんのところは子供でも人との付き合いには厳しかったもんね」
「みんなおじいちゃんのせい。あの頃から特殊な訓練させられてたって感じ。私はもっとマサキ君と一緒に絵を描いていたかった」
「その子今頃どうしてるんだろうね」
「マサキ君は交通事故でなくなっちゃったんだって。家族全員が亡くなる不幸な事故だったって、確か新聞にも大きく載ってたみたい」
「そうだったの。お気の毒ね」
 しんみりとした空気が流れ込み、ケムヨはまたマサキのことを悲しく思い出す。
「まだ小学生だったけどマサキ君のことすごく好きだったな」
「初恋?」
「さあ、どうだろう。でも昔から私が好きになる人ってどこか不幸になるっていうのか、何かが起こる。それとも私が負のオーラをばら撒いているのかな」
「ケムヨちゃん、気にしすぎだよ。ただの偶然」
「翔だって、あんなに真面目で堅実な人だったのに、人が変わっちゃったのもやっぱり私のせいなのかも。私ってやっぱり呪いでもかけられてるのかな。両親にも突然見捨てられたしさ」
「絶対そんなことないから。ご両親も必ず帰ってくるって」
 夏生はどん底に暗くなっていきそうなケムヨを一生懸命引っ張りあげるかのようになだめていた。
 そして話題を変えようと仕事の話をしだしたが、この日仕事場でも一騒動があったことを思い出しケムヨは弾んで受け答えができなかった。
 熱があったから元気に話せるものではなかったが、とことんついてない一日だったと感じていた。
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