第六章


 会社では自分に与えられた仕事をしてればいいものを、中には足を引っ張ろうと策略を練ってくる人間がいることはケムヨもよく理解していた。
 そこには嫉妬という感情が混じりこみ、そして気に入らない者を陥れようとする。
 ケムヨはそういうことには無関係だと思っていた。
 パートで常に雑用の仕事しかせず、誰よりも地位が低いし、まず幽霊扱いで目立たないはずであった。
 まさかこんなことに巻き込まれるとはケムヨも久々にショックを受けていた。
 さて、一体どうしたものか。
 確かに優香は合コンの一件でかなり根に持っている。だが、ケムヨは留美が言うように安易に優香を犯人扱いにしたくなかった。
 どうにかして解決への方向性を見出したい。
 しかし、暫く様子をみることしかできなかった。
 この日はケムヨは目を光らせ、自分の行動に人一倍責任を持って行動し、お陰で何一つ失敗はしなかった。
 時々留美もケムヨを気にしながら、目を合わせてニコッと微笑んでは励ましている様子だった。
 優香はつんとすましているが、仕事だけはきっちりとやっていた。
 
 仕事を終えて、張り詰めた気をため息と共にふーっと吐き出しながら帰宅しようとビルを出たとき、目の前で何かもめてるカップルが目に止まった。
 良く見ればそれはタケルと多恵子だった。
 タケルはいつもの爽やかな笑顔が消え、鬱陶しいとばかりに多恵子を見下ろしている。
 多恵子はすがる思いで一生懸命何かを話そうとするが、タケルはそれを無視して聞く耳持たずだった。
 帰る方向に二人が居たため、見てみぬ振りできず、ケムヨはタケルに声を掛けた。
「お疲れ様です」
 挨拶をしてそのまま過ぎ去ろうとしたが、タケルが尻尾を振るようにケムヨの側に駆けつける。
「姐御、今帰りですか。よかったら一緒に食事しに行きませんか」
「えっ、その、邪魔しちゃ悪いし、また今度で」
「何を言ってるんですか、僕と二人でじゃないですか。さあ、行きましょう」
 タケルがケムヨの腕を引っ張った。
「二宮さん! 待って下さい。だから話をちゃんと聞いて下さい」
 多恵子がすがるように後を追いかける。
 ケムヨもこれには無視できなかった。 
「ちょっと、タケル、一体どうなってるの?」
「いいんですよ。僕はあの人と別に話をすることはないですから」
「でも、向こうは話したがってるよ」
 ケムヨはタケルと多恵子を交互に見合わせた。
「ケムヨさん、お願いします。助けて下さい」
 今度はケムヨに多恵子がしがみついて慈悲を乞う。
「ちょっと一体どうなってるのよ?」
 ケムヨは鼻水をすすりながら、二人をどこか静かな喫茶店へと連れて行った。

 あまりお洒落とはいえないが、オフィス街でビジネスマンを相手にしたビルの一角にあるシンプルな喫茶店に三人は入って行った。
 まばらに客が居たが、一番隅のテーブルが空いてたのでそこに二人を並ばせて座らせ、その向かいにケムヨが腰を下ろす。
 鼻をぐずつかせたケムヨでもコーヒーのいい香りが漂ってくるのが感じられる。
 その香りでタケルと多恵子も興奮気味だった気分が紛れていく。
 ウエイトレスが水を運んできた際に、無難に皆コーヒーを頼み、その後はケムヨがその場を仕切った。
「で、一体何があったの。まずは多恵子さんの話から聞きましょうか。私がいいって言うまでタケルは黙っててね」
 タケルは少し不服そうだったが、首を縦に振り、グラスを持って水を飲み落ち着こうとしていた。
 多恵子は俯き加減で、目だけは下から覗き込むようにケムヨを見つめる。
「あの、私、何も関係ないんです。それなのに二宮さんが私が課長に告げ口したとか言い出して」
「ちょっと待って。まずは何が起こってるかから話して頂戴」
 多恵子はおどおどして、かなり落ち着かず言いたい事が纏まっていなかった。支離滅裂になりながらも、一生懸命ことの発端を話し出した。
 どうやら、タケルが課長の悪口を他の誰かに言っていると、多恵子が課長に告げ口したと言うことになっていた。
 タケルが課長と馬が合わずにギクシャクしていたのはケムヨも知っていたが、タケルも誰かに嫌がらせされているのではと薄々感じており、その原因が多恵子だとタケルは思っているということらしい。それを多恵子は弁解しようと必死になっていた。
 一区切り良く、ここでコーヒーが運ばれてきた。
 ケムヨはミルクを入れながら、タケルに話しかけた。
「なぜタケルは多恵子さんが犯人だと思ったの?」
 そんな質問をしてみたが、以前タケルと飲んだとき、ケムヨも多恵子のような女は自分のことしか考えられず、暴走するような女だと決め付けたことが思い出される。タケルが多恵子を疑う気持ちはケムヨも安易に理解できた。
「だって、時々彼女と目が合うと様子が変だったし、この間一緒に食事したときも姐御が居なくなったとたん、見た目で判断するようなこと口走ったから、課長にもそういう風に僕の事言ってるのかって思ったんだ」
「そんなこと言ってません」
 多恵子が泣きそうになりながら声を発した。
「わかったからちょっと待ちなさい。今はタケルの発言の番よ」
 ケムヨは多恵子に微笑んで優しく言う。
 多恵子は頷いて、ケムヨに任せようと目の前のコーヒーに砂糖を入れだした。
「それでタケルも憶測だけで勝手に判断したってことなんだ」
「だって、それしか考えられない。課長がいやに僕に冷たく当たるし、仕事にも支障が出てくるし、原因を考えたら、僕が食事に誘われたのを断ったために井村さんが根に持って意地悪したんだって思ってしまって」
 タケルの言い分もケムヨは分かる。
 だがそれはあくまでも憶測であって、証拠は全くない。この場合公平になるべきだとケムヨは慎重に考える。
「なるほど、それで多恵子さんに文句を言ったってことか。でも多恵子さんには寝耳に水だったって訳ね。タケル、証拠もないのに決め付けるのはいけない。多恵子さんだって今のあなたと同じ立場よ。勝手に悪者にされて害を被ってる」
「それじゃ一体誰が。どうしても井村さんしか考えられなかった」
「だから私じゃありません。信じて下さい。そりゃ、お食事を誘って断られたことはショックで悔しかったです。だからといって、好きな人に迷惑掛かることするわけないじゃないですか」
 多恵子の言葉を聞いて、タケルもケムヨも顔を見合わせた。
 一テンポ置いてから多恵子が急に真っ赤になりだして慌てふためいた。
「あああああ」
 多恵子はケムヨが思っていたような計算高い子ではなかった。少し不器用で自分の感情がストレートに出てしまうだけだった。
 こういう子は案外とさっぱりしたところがあるもんだと、ケムヨはニコッと笑って微笑ましい気分になりながらコーヒーを飲んだ。
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