第七章


 次の日、昼を過ぎた頃のこと。
 ケムヨが何を着ていけばいいのかシズに聞けば、シズはできるだけ「かわいらしいお洋服で」とリクエストする。
「かわいらしい服?」
 クローゼットの中の服を見てケムヨは考え込む。
 その中には半分に分けて、片方が名の知れた高級ブランド物と呼ばれる服、もう片方はブランド物じゃない普通の服が並んでいる。
 ケムヨはTPOに合わせて服を着ていた。
 この日は、シズの知り合いもいるかもしれないと失礼にならないようにブランド物から選んでいる。少し汗ばむ季節にもなり、薄い生地のワンピースを取り出した。
 そして今度は箪笥の一番上の引き出しを開ける。そこにはあのロレックスの時計も入っており、それと引けを取らないアクセサリーが色々と一緒に並んでいた。
 そこからダイヤモンドのネックレスを取り、アクセントで胸元につけるとキラリと光る。
 化粧も念入りにすれば、いつもより少しキリリと目元が涼しくなり、きれいなお姉さん風に化けた。
「フリだから、ただのフリ」
 あくまでもシズのお供ということで、きっちりとした正装をして自分を着飾っているだけだった。
 そう、現地に着くまでは頼まれた用事だと思っていた。
 ゲンジの運転する車に乗って連れてこられたところは、またあのホテルだった。
 祖父に頼まれて政界パーティに顔を出して、将之に追いかけられて逃げ帰ったあの場所。
「シズさん、このホテルで一体何を見立てるんですか?」
 シズはニコッと笑っているが、その後の言葉を濁す。
 ケムヨは何があるのだろうと、シズの後をついていくしかなかった。
 来たところはホテルの中にある小さな会場で、中を開ければ、そこにスーツを着た男性が背中を向けて、部屋の真ん中に置かれたテーブルについていた。
 ケムヨは頭に疑問符を乗せたまま、その部屋に入り込む。
「どうもお待たせいたしました」
 シズがその男性に話しかけると、男性は立ち上がって振り向いた。
 どこかで見たような顔だと思いつつも、ケムヨはこの状況がどうなっているのかわからない。
 その分からないまま、シズが「それでは宜しくお願いします」と言って下がるものだからケムヨの頭の疑問符が一杯増えていた。
「ちょっとシズさん。これってどういうこと?」
 シズは何も言わず、まるで逃げるようにそこを去っていく。
「えっ、ちょっと、シズさん?」
 ケムヨの声を退けるようにドアが閉まると、ケムヨはまるで置き去りにされて閉じ込められた気分になった。
 唖然として突っ立っていると男性が声を掛けた。
「その調子では騙されてここへ来られたみたいですね、笑美子さん」
 ケムヨの本当の名前を知っている。
 ケムヨが振り返ってその男性を見ると、男性は「ようこそお越し下さいました」と洗練されたお辞儀を見せた。
 そして顔を上げた時、爽やかなスマイルをケムヨにむける。
 その時やっとこの人物が誰だか思い出した。
「ああ! あなたはあの時の助けてくれたボーイさん」
「やっと気がついて下さいましたか。制服でここに居た方がよかったかもしれませんね」
「でも、一体どういうことなんですか?」
「とにかくまずはお掛け下さい」
 白いテーブルクロスが掛けられた大きなテーブルに手を差し伸べられ、ケムヨは用意されていた椅子に座る。
 その向かい側にその男性も座った。
 その直後、タイミングを見計らったように、ホテルの制服を来たボーイがお茶を運んできた。
 ケムヨはまたその制服に自然と目が行き見つめていた。
「やはり、私も制服を着ていた方がもっと笑美子さんの気を惹けたのかもしれませんね」
 ケムヨは少し恥ずかしくなったが、ボーイが居るので俯き加減で黙っていた。
 目の前にティーカップが置かれお茶が注がれた。テーブルの真ん中にはスコーンやケーキという英国のアフタヌーンティで出てくるようなお菓子が添えられる。
 準備が全て整うと、ボーイは去っていった。
「さあ、笑美子さんどうぞお召し上がり下さい。当ホテルが取り寄せる英国のティーと菓子職人が作ったケーキです」
「あの、私、まだあなたの名前も知りませんし、一体私はここで何をしているのでしょう?」
「そうですね。それは大変失礼しました。私は、松岡ハルト、ちなみに年は29歳。そしてこのホテル経営者の息子です。」
「えっ?」
「息子といっても次男なので、私は正式な跡継ぎではありません。私はあくまでもボーイとして修行のためにここで働いてるんですけど、笑美子さんと同じで自分の身分を隠しています」
「はぁ……」
「笑美子さんのことは幸造様からよくお伺いしてましたし、先日幸造様とお会いしたとき、笑美子さんと見合いをしてみないかと言われました。その時はそん な大それた話、滅相もないとお断りしたのですが、一度こっそり会ってみたらいいと、それでこの間のパーティのお席に笑美子さんが現れたということです。そ したら想像していた方より、とても美しく、そして面白くて興味が湧きました。そこで私の方から正式にお会いしたいと申しましたら、幸造様がこの日を設定して下さっ たんです」
 目の前のハルトは礼儀正しく、どこまでもボーイと話しているようなきっちりとした対応でケムヨはまだこれが何を意味しているのか把握し切れてない。
 シズが嘘までついて平日に休みを取らせたのはハルトとここで会うことだった。ホテル業界は土日は忙しいから平日だったのかと思った直後、なぜ自分がハルトと会っているのか遡って考えたら、『お見合い』という言葉が鮮明に浮き上がった。
「ちょっと待って下さい。これって、お見合い?」
「はい、そうです。本来ならお互いの親を交えるのが一般ですが、笑美子さんの所も、そして私の所も忙しいので、勝手に二人だけと言うことになりました。シ ズさんという方を巻き込んでしまいましたけど、どうか彼女のことはお叱りになられませんようにお願いします。全ては私に責任があります」
「あの、それでもおじいちゃん…… いえ、私の祖父の話を鵜呑みにされたから、断れなかったってことですよね」
 ケムヨは本質を誤魔化すように自分の言いように解釈しようとした。できることなら祖父に脅されたといって欲しい。
「いえ、ですから、あのパーティで私が笑美子さんにお会いしたとき、私の方が気に入りまして、私は正式に笑美子さんとお付き合いしたいと思ったんです」
 お見合いから、もう飛び越えて正式に付き合いたいまで話が飛躍している。
「えっ? それはその……」
 祖父が笑っている姿が目に浮かぶ。あの人は一体何を考えているのか。ケムヨは焦ってしまった。
「心配しないで下さい。私はあくまでも次男です。養子になることもできますし、覚悟もできています」
「覚悟も出来ているって、そんなすぐにでも結婚するみたいに言わないで下さい」
「笑美子さんとなら結婚しても楽しいと思いますし、第一幸造さんの下に置いていただけるなら人生も大冒険というくらいの価値があると思います」
「大冒険って……」
 正直ケムヨはそこまで言うかと思った。
 ハルトは見掛けは悪くない。ホテル業界で礼儀の正しさをみっちり仕込まれて、それが気品として体全体に溢れている。笑顔も爽やかで、とても芯の強いしっかりさも備わっていた。だがケムヨは突然のことに何をどう話していいのかわからない。
 助けて欲しいと思ったとき、ふと浮かんだ人物はなぜか将之だった。
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