第七章


「笑美子さん、かなり混乱されているようですが、私は本気でそちらの世界に入りたいと思ってるんです。一生懸命頑張ります」
 ハルトの話を聞いていると、ケムヨのことよりも、祖父の権力を当てにしているように聞こえてきた。
 ケムヨはそれでふと冷めた目つきになった。
「ハルトさんは祖父が持ってるものに興味がおありみたいですね」
「そりゃそうですよ。私は次男なためにこのホテル業界は継ぐ事ができません。それ以上のものを目指せるチャンスがあるのなら私は手にしてみたいと思います」
「正直なんですね。嘘を並び立てて私の機嫌を取るよりかは好感もてます」
 ハルトはまっさらな笑顔を向ける。そこには潔いともいえる彼なりの嘘偽りない野心があった。
「最初は幸造様からお話を頂いたときそんな大それたことに怖気つきましたし、自分の器じゃないと思いました。だけど笑美子さんを見てから考え直したんで す。笑美子さんのような方と一緒に居たら楽しい毎日が過ごせるのじゃないか、そして一緒になれば、幸造様のお仕事も自分次第で手に負えるようになるので はないかと。そう思うと急に欲がでてきたという訳です」
「どこまでも正直なんですね。ここまではっきりと言われると気持ちいいくらいです。祖父はきっとハルトさんのそういう気質をすでに見極めていたんでしょう。だからこの話を持ちかけた。祖父の考えそうなことです」
「笑美子さん、よろしければ結婚を前提に私と付き合って貰えませんか?」
 一度過去に会って面識があるとは言え、お見合いの場で会って10分足らずでもう正式な付き合いの申し込みになるとはケムヨも驚いた。
「あの、まだ知り合って間もありません。それに私は結婚はしないと……」
 ケムヨがいいかけたときハルトはニコッと笑って遮った。
「それなら今からデートしましょう。少しでも私のことを知ってもらいたい」
「ハルトさんも強引な人なんですね」
 ケムヨは誰かとオーバーラップしてしまうが、その誰かの顔がさっきから脳裏に浮かんで離れない。
 ハルトは『ハルトさんも』の『も』の部分が引っかかった。そこには他にケムヨに言い寄る男性の影があることに気がついた。
 ケムヨは仕方がないと、この日は義理で付き合うことにする。
 その前にちょっと待ってくれと、折角出された目の前のお菓子と紅茶に手を出した。
「有名なお茶とお菓子ですから。頂かないともったいないです」
 ニコッと笑って、ケムヨはケーキに持っていきようのない気持ちを込めてフォークを刺していた。

 その後はハルトと肩を並べてホテル内を歩く。
 ホテルの中では、制服を着たものがハルトを見るとにこやかに笑ってはケムヨの存在を冷やかすように目立たなく顔の表情を作ってる様子だった。
「ハルトさんがこのホテルのオーナーの息子さんだとはどれくらいの人が知ってるんですか?」
 ケムヨは小さく囁いた。
「そうですね、上にいる者は知ってますが、私と一緒に顔を合わせて働いているものはほとんど知りません。笑美子さんも同じ立場でしょ。それがばれてしまうととても都合が悪くなるんじゃないんですか」
「その通りです。私も極一部の人間だけが知ってる状態です。その方が私も都合がいい」
「ほら、私達気が合うじゃないですか。同じ立場として」
 ハルトはそう言うが、ケムヨは良心の呵責を感じながらあまり好ましく思ってはない。
 その部分をハルトにも聞いてみたかったが、ハルトの場合は特別扱いをされないように従業員に気を遣っている様子が大きい。
 なぜなら、ハルトは皆に好かれている様子で、会う者皆、眼差しが温かく見えたからだった。
 ケムヨとはそこが少し違った。
 ケムヨの場合はずる賢い策略が見え隠れしたからだった。
「さてどこへ行きましょう」
 地下の駐車場で、ハルトが車のドアを開けた。セダンのそこそこ見た目がいい若者に人気がありそうな車だった。
「それじゃハルトさんが行きたいところへ連れて行って下さい」
「わかりました」
 ケムヨは車に乗り込んだ。シートベルトをして、隣のハルトを見れば、また違ったイメージの彼がいた。
 ハルトは車を走らせる。
 神経質に運転する誰かと違ってハルトは楽しそうに車を運転している。
 ケムヨはなぜか将之と比較している。なぜ将之が常に出てくるのか、こう頻繁だといつの間にか苛ついてきた。
 毎日のように将之と過ごしてしまうと、洗脳されたように思える。
 また将之がわざとらしい笑みを浮かべて笑っている顔が浮かんで無意識に手で宙を叩いてしまった。
「笑美子さんどうかされました?」
「いえ、ちょっといらぬことが頭によぎって」
「それってどんなことですか? 誰か他の男性だったりして」
 ハルトの言葉にケムヨはドキッとしたが、濁すように首を振って否定した。そんな姿は図星ですといってるようなものだった。
 ハルトは自分とその男が比べられていると判断する。
「その方どんな人なんですか? 私と同じように笑美子さんにいい寄ってる方なんですか? そういえば、以前ある男性に追いかけられていましたけど、もしかしてあの方ですか?」
 ハルトの読みの深さにケムヨはキリキリと何かをねじ込まれたようにたじたじしてしまう。
 とにかく首を横に振って否定し続けていた。
 それが逆効果だとも気づかずに。

 ハルトが連れてきたところは公園の一角にある美術館だった。
「一度こういうところで静かに美術鑑賞してみたかったんです。もちろん隣には気になる女性も一緒に」
 ハルトがニコッとして背筋を伸ばしてリードするように前を歩く。
 どこまでもきれいな姿勢で見てて気持ちがいいとケムヨは思った。やっぱり制服着ていたら萌えていたかもと一人隠れてくすっとしてしまった。
 あのホテルの制服だと誰が着てもケムヨは萌えを感じているかもしれないと、つい将之にも当てはめて想像してしまう。
 ぽわーんと頭に描いたイメージで、そんな絵を描いてみたいとオタクの感情が表れていた。
 そんな頭の画像を思い描いていたので周りが目に入らない。
 ハルトに声を掛けられて初めて、はっとした。美術館とは全く違う方向を歩き、道から逸れて芝生の上をさ迷っていた。
「笑美子さん、一体何をお思いになって歩いてらっしゃったんですか? 本当にあなたは時々面白いことをされますね。でも僕のことも見て下さい。今ここに制服がない事がこんなにも悔やまれるなんて生まれて初めてです」
 ハルトは笑っていたが、ケムヨはまさにその制服のことを考えていたので笑えなかった。
 恥ずかしさのあまり、身が縮んだ。
inserted by FC2 system