第八章


「表と中とでは全く雰囲気が違うんだな。」
 翔が辺りを見回しながら言った。だがあまり驚いている様子はなく思量深く観察している。
「コーヒー飲む?」
 ケムヨが廊下を歩きキッチンへ向かおうとすると、翔はケムヨの腕を取って用意しなくていいと首を横に振った。
 掴まれた腕を迷惑そうにケムヨは振り払ってしまった。
「ごめん、とにかく静かに話したい。誰にも邪魔されずに」
 ケムヨは仕方なく自分の部屋に連れて行った。
 そこなら、シズが帰ってきても邪魔はされない。
 部屋に入れば、翔はじっくりと中を見つめた。「いい部屋だ」と優しい笑みを浮かべながらケムヨの様子を伺った。
 ケムヨは強くならなければならないと、試練を乗り越えるように必死に翔と向かい合った。
「適当に座って」
 翔は椅子を見つけてそれを取って座り、そしてケムヨはベッドの上で腰を下ろした。
 翔は暫くケムヨを愛しげに瞳を震わしながら見つめる。罪悪感と愛情が同時に現れているようだった。
 ケムヨは翔の瞳に飲まれそうになるのを振り払うように声を発した。
「さっきの続きだけど、被害者ってどういうこと?」
「そうだったな。まず、しっかりと謝らせて欲しい。本当にすまなかった。あれから自分が間違ってたって後悔しない日は一日もなかった。俺は図に乗りすぎてつい羽目をはずしてしまった。本当にバカだったんだ」
「だからそれはもういい。済んだことよ」
 ケムヨも口ではそういいながら、過去の記憶が蘇って辛そうに下を向いてしまった。
「俺、あの時、全てが軌道に乗って何もかもうまく行き過ぎた。それがケムヨのお陰だったのに、全て自分一人でやったような気になってた」
「翔は当時から実力があったのは事実よ。私は別に関係ないわ」
「いや、はっきり言えるよ。全ては俺を支えてくれた君のお陰だった。それなのに俺は寄って来た女に現を抜かしてしまった。それがケムヨも知ってるあの女 だ。あの時、酒も随分飲んでいた。いや、飲まされたって言ったらいい訳に聞こえるだろうか。あの日、どういう訳か彼女が突然俺のマンションに酒を沢山持っ てやって来た。以前から俺に気があると見せかけてたから、俺も正直まんざらじゃなかったのは否めない」
 ケムヨの手に力が入り、それを発散させるために膝を掴んでしまった。本当にいい訳にしか聞こえなかった。
「つい酔った勢いで彼女に手を出してしまい、そこをケムヨに見られたという訳だ。本当にすまなかった」
「だからもう謝らないで。それは決して消す事が出来ない」
「ああ、分かってる。でもあれは本当に間違いだった。その後は弁解の余地もないからケムヨと止むを得ず別れてしまったけど、その後どれだけ後悔したか。そして後で気がついたんだ。俺は誰かに嵌められてあの状況に陥れられたんじゃないかって」
「どういうこと?」
「仕事は常に上手く行き、ケムヨという有能なパートナーのお陰で上にのし上がれた。だから俺は敵も一杯作っていたってことなんだ。そして気に入らない奴らがケムヨと俺を引き裂こうと俺に女を近づかせた」
 ケムヨは体に溜めた力を発散できずにブルブルと体を震わせていた。
「あの出来事が罠だっていいたいの?」
「わかってる。馬鹿げた話だって。それが嘘臭く聞こえることも。それが真実だとしても、俺がやってしまった事が許されるとは思わない。でも、俺は本当に反 省してるんだ。俺、どれだけケムヨを愛していたか、失ってから気がつくなんて、本当にバカだよな。本当にごめん。充分に謝ることもなく、俺は海外にすぐに 飛ばされた。これもあまりにもタイミングがよ過ぎて、まるで最初からケムヨと俺を引き裂こうとしていたと思えてならなかった」
「もういい。それ以上謝られても私だって辛い。この三年間、忘れようと必死だった。そんないい訳聞かされたらもっと辛くなる」
「ケムヨ、もう一度チャンスをくれないか。俺、お前とやり直したいんだ。許してもらえるならなんだってする」
 ケムヨは歯を食いしばる。気を抜けば崩れて行きそうなくらい脆くなっていた。
「翔、私はこれでよかったって思ってる。翔と別れて見えたものもあるし、私は恋だの愛だの言うような人間じゃないってことにも気がついた。あの時はとても 辛かった。いいえ、今もその気持ちは忘れられない。だけど、翔と付き合えたことには感謝している。本当にありがとう。私達、これからはいい友達でいましょう。そうする事が一番いいと思う」
「ケムヨ……」
 翔はもどかしく、そしてどこまでも寂しい瞳でケムヨを見つめていた。
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