第九章 輝く星になるために戦いに挑んでしまった


 重みの紙袋を抱え、将之が門の前を何度も行ったり来たりしていると、瓶がぶつかり合ってカチャカチャと音が鳴っていた。
 将之の懸念は瓶が触れ合う音でカウントされているようにどんどん蓄積される。
 目の前の家でケムヨが翔と一体何をしているのか、久し振りに会った元恋人と再び恋の炎が燃え盛らないか、気が気でない。
 しかし、シズが近くに待機していると思い、最悪なことは起こらないだろうとまだ少し安心していた。
 だからその時、後ろからシズに声を掛けられて将之は非常に驚いた。
 側にゲンジも居たので二人が家を留守にしていたことにここで初めて気がついた。
 目を丸くしてシズを見て声を失ってしまう。
「篠沢さん、また猫をお待ちですか?」
 将之がいつも餌をやりに来ていることを知っているので、そんな聞き方になっていたが、シズには将之の目的がケムヨだと言う事はしっかり分かっていた。だからニコッと微笑んで将之にお茶の誘いを申し出た。
 とにかく中に入ってケムヨと翔の様子を知りたいと将之は遠慮もなく鼻から息が吹き出るほどに「はい」と申し出を受けた。
 一緒に門を通り、シズが玄関のドアに手をかけようとしたとき将之ははっと思い出して呼び止めた。
「あの、先ほどケムヨのお父さんという方に会ったんですけど」
 それをいうとシズもゲンジも顔色を変えて将之を見つめた。
「それは本当でございますか?」
 ゲンジが問うと、将之は頷いて手に持っていた紙袋の中からワインを一本取り出しそれを見せた。
 シズもゲンジも目を大きく見開いてお互い顔を見合わせていた。
「それで、若旦那…… いえ、その方はどちらに?」
 シズが聞く間にゲンジは辺りを見回して探しだした。
「それが、急いでいたみたいでタクシーに乗ってそのまま帰られました」
 将之も二人の驚きに圧倒されながら伝える。
「そうですか。あの、将之さんは何かあの方から聞かれましたでしょうか?」
 恐る恐るシズは質問する。
 将之は自分が知ってはいけない情報を知ってしまったのではとシズが恐れていると感じ、咄嗟に首を横に振った。
「それが、自分がケムヨの父親だと名乗ってこのワインを渡されただけで、俺もどうなってるのかわからなくて」
 ケムヨの本当の名前を知らされ、家族写真を見せられ、フランスに住んでてワインを製造していることは知ってしまったが、それを伏せたとしても後のことはどういう事情があるのかまでは全くわからない。
 嘘を言ってる訳でもないので、将之は困惑した表情でシズを見つめた。
「篠沢さん、あのできたらお嬢様にはこのことは内緒にして頂けませんでしょうか?」
「別に構いませんが、何か困ることでもあるのでしょうか?」
 将之もとりあえずはその理由が知りたいので、ダメもとで聞いてみる。
「いえ、そのお嬢様と父親である幸助さんなんですが、ちょっと事情がありまして、その篠沢さんが幸助さんとお会いしたとお嬢様が知ってしまいますとかなり気分を害されるかもしれないんです」
「はあ……」
「何せもうかなりの年月会っておられませんので、ここまで来ておいてまた会わずに去ってしまわれたことを知ればお嬢様にはショックが大きいかと」
 シズもかなり言い難そうにしている。
「はい、わかりました。黙っていますのでご安心下さい」
 過去に両親に捨てられたと聞いたことを思い出し、その事情を汲んで将之は素直にシズに従う。
「そのワインも、お嬢様にはお見せになられないようにお願いします」
 シズはそう言うと、これ以上の話はしたくないと玄関のドアを開けて中に入っていく。ゲンジも精一杯のおもてなしの笑顔を将之に向け、どうぞと手を差し伸べて中へ招き入れた。
「あら、お客様がいらっしゃるのかしら」
 シズは玄関に脱いであった男物の黒い靴に気がついた。事がややこしくならないかと心配した目つきで将之をちらりと見つめる。
 将之は気がつかなかったフリをしていたが、突然廊下の奥の部屋からケムヨの悲鳴にも似た叫び声が聞こえ、シズと顔を合わせて驚いた。
 シズとゲンジが驚くのはもちろんだが、将之は翔の存在を知っているだけに咄嗟に上がりこんでケムヨの部屋へと走ってしまった。
「ケムヨ、大丈夫か!」
 ノックもせずにいきなり部屋に飛び込めば、部屋の中に居た二人は何事かと将之の登場にびっくりしてしまう。
 その時翔はケムヨとかなり至近距離に居たために、将之は咄嗟に翔の胸倉を掴んで恐ろしい形相で殴りかかろうと腕が上がった。
「何するのよ」
 止めたのはケムヨだった。
「えっ? だって今、悲鳴が…… だからそのこいつがなんかしたかと思って」
 将之は腕が上がったまま、それをどうしていいのか分からずに困惑する。
「コイツとはなんだよ。失礼な。とにかくその腕を下ろせ」
 翔に指摘され、さっきの意気込みがあっと言う間に消え去り、風船がしぼんでいくように将之は縮こまっていく気分だった。
 翔に突っかかっていた手もぴょこんと引っ込んだ。
「それじゃなんで誤解するような悲鳴なんかあげるんだよ」
 最後の足掻きのようにケムヨに理由を問う。
「だって、クモが急に体に這って来るからびっくりしたのよ」
「はっ? クモ?」
 将之が唖然としていると、翔がその後続ける。
「そうだ。ケムヨはクモが嫌いなんだ。昔っから、クモを見る度に怯えてたよな」
「翔、あ、あそこ、歩いてる」
 ケムヨが床の上を這っているクモに向かって指をさすと、翔は躊躇わずにクモの前に手を向けてそこに上ってきたところを捕まえて、窓を開けてそして逃がしてやった。
 ケムヨは心配そうにその様子を見守り、普段見せないか弱い姿をさらけ出している。
 少なくとも将之にはそう見えた。それが前日の意地を張っているケムヨと比べ全くの別人のように思えてしまう。
 ケムヨの態度の違いが意味するものは将之の心を深く傷つける。そこにはかつて恋人同士だった二人の姿が容易に想像できるからだった。
 心の中にモヤモヤという感情が湧き起こると、その原因が翔の存在に繋がり、とてつもなく大きな障害に感じてならない。
 悔しい思いを抱き、それをこぶしに詰めるように握り締めていた。
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